稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。まさかのここに。

確かにあったね、さようなら

「確かにあったね、さようなら」
 
女    それ、使わないでしょ。
男    うん、なんで。
女    捨てれば。
男    嫌だって。
女    ちょっとやめてよ、ホコリたっちゃうじゃん。
男    ああ、ごめんごめん。
女    それ使ってるの見たことないよ。
男    ああ、うん使わないからさ。あんまり。
女    じゃあいらないよね。
男    いるよ、たまに使うんだから。
女    そんなこと言って多分ずっと使わないから。
男    ああ、あれ、破けてない。
女    ああ、破けてたよ。
男    嘘だあ、破けてなかったって。
女    えっ、疑われてる、私。
男    いや、疑ってないけど。だってそんなとこ破けてたらすぐ分かるじゃん。
女    うわー疑ってんじゃん。うわー。
男    はいはい。じゃあ、もともとだったのね。
 
    間。
 
女    今、使って
男    えっ。
女    今すぐ使って捨てちゃいなよ。
男    むちゃくちゃ言うなよ。
女    むちゃくちゃ言ってなくない。
男    俺の物なんだから、俺の物。君の物じゃないんだから。関係ないだろ。
女    関係あります。そうやって捨てずにいたらどんどん物が増えてくんだから、そしたら私の不快感も連なって増えてくわけだから。
男    ちょっとぐらい我慢しなよ。
女    ちょっとじゃないじゃん。これもこれも、これもこれも。
男    ちょっとじゃん、こっちのやつは全部捨てるんだから。
女    あっ、ちょっとそこ踏まないで、拭いたばっかなんだから。
男    ああ、ごめんごめん。
 
    間。
 
女    ねえ、これも雑巾にしちゃっていい?
男    えっ、それも。
女    きたないじゃん、なんか。
男    ああ、うん。
 
    間。
 
女    私じゃないからね。
男    分かってるって。
 
    間。
 
女    あっ、あれやった?郵便の。
男    やったよ。
女    えっ、いつやったの 。
男    けっこう前に、君があっち帰ってる時。
女    そうだったんだ、ありがと。
男    電話で言ったよ。
女    あれ、そうだっけ。うわ、ねえ、やっぱ捨てよ、ね。
男    ダメだってば。
女    ねえ、お願いだから捨てて、本当にお願いだから。
男    うるさいなあ。大事な物なんだから、思い出の詰まってるさあ。
女    そんな物見ないと思い出さないような思い出悲しくない?
男    本当にうるさい、ほんとうるさい。
女    本当に大事な思い出だったら、物とか関係なく思い出すって。
男    もういい、もういいよわかったわかった。
 
   間。
 
女    何がわかったの?
男    …。
女    捨てるってこと?
男    …。
女    ちょっと黙るのやめてくれない。
男    考えてんだよ。
女    何を。
男    これからのこと。
 
   間。
 
女    ねえ、耳かきしていい?
男    えっ、いいよ、いいけど、なんで今。
女    いや、しまっちゃう前に。
 
   間。
 
男    痛い痛い。
女    あっ、ごめんごめん。でも痛いところの方が取れるよ、ほら。
男    ほんとだ。もういいや、早く終わらせちゃおう。
女    えっ、だって左。
男    左は今度でいいよ。
女    えっ、気持ち悪くない。左だけしないって。
男    気持ち悪くないから。もうこんな時間なんだから。
女    なんで今までやってなかったの。
男    えっ、耳かき。
女    耳かきじゃなくて、仕事終わりにちょっとづつダンボール詰めてけば、こんなに大変じゃないんだから。
男    あのねえ、そんな体力ないんだから、仕事終わりにさあ、ご飯食べて、風呂入って寝たらすぐに出勤なんだから、分かんないかなあ。
女    あー、もー、これもどうするの?こんなの置いてても意味ないでしょ。
男    意味ないってこれに関してはただの置物なんだから。
女    置物って言っても可愛くないし、おしゃれじゃないし。
男    感性をさあ一緒にしないでよ、感性を。君と僕は違うんだから。俺にとっては、可愛いんだから。
女    これが?
男    うん。
女    これだよ。
男    可愛いよ、かわいいかわいい。
 
   間。
 
男    やっぱ気持ち悪い。
女    えっ。
男    左。
女    ああ。
 
   間。
 
女    忘れてたでしょ。
男    何が。
女    あいつがあの天窓のとこに、何年か何ヶ月か知らないないけど、ずっとポツンといたってこと忘れてたでしょ。
男    そんなことないよ。
女    今の今になって意識してやっと存在確認できるぐらいの物なんだから捨てようよ。
男    いった。
女    あっ、ごめん。
男    もういいや。
女    でも全然取れてないよ。
男    いや、いいから。ほんとに。
 
   間。
 
男    あれを買ったのはさ、もう潰れかけの電気屋っていうか雑貨屋っていうのが閉店間際に物全部シートの上に置いてセールしてたの。
女    うん、あっ、家賃用の口座つくってくれた?
男    つくってないよ。
女    えっ、まだしてないの?
男    前も言ったじゃん。あっち引っ越してからつくらないと面倒臭いんだって。
女    あっそうだっけ。ごめん。
男    そういうとこあるよね。
女    何そういうとこ。
男    だからなんか、そういう、いいや。
女    何。そういう。
男    なんにもないって。
女    なんにもないことないでしょ。
 
   間。
 
女    また黙る。
男    うるさいなあ。
女    はっきりしてよ、はっきりはっきり。
 
   間。
 
女    ねえこっち来て。
男    何。
女    ほらほらこっち来てよ。
男    なんだよ。
 
   間。
 
男    これ。千円だったの。そん時夏で、俺、扇風機持ってなくて、扇風機欲しいなって思ってた時だったんだけど、扇風機も千円で売ってたの。それで扇風機とこれが同じシートの上に置いてあって、どっちも千円で、買うとしたらどっちかじゃん。
女    いや、扇風機だよね。
男    それで悩みに悩んでこっちを千円で買ったの。
女    いや、扇風機千円で買おうよ。
男    っていう思い出があるわけだから、思い出して懐かしがられるエピソードがあるわけじゃん。
女    どうでもいいじゃん、その思い出。捨てちゃいなよ。
男    どうでもいい、ね、人の思い出とかどうでもいいよね、そりゃあ。
 
   間。
 
男    あーなんか喉痛い。気がする。
女    マスクしなよ。
 
   間。
 
女    捨てよ。
男    待って。
女    いつまで。
男    納得いくまで。
女    いつまでも捨てないじゃん。
男    なんで捨てる前提なの。あっ。
女    あっ。
 
   間。
 
女    懐かしいね。
男    うん。
女    捨てる…か。
男    あっ、ほんとに。捨てちゃうんだ。
女    いや、待って。
男    こういうのも捨てようって言えるんだ。
女    冗談だから冗談。
男    もう、なんか。
 
   間。
 
女    怒んないで、冗談だって、冗談。捨てるわけないじゃん、大事な物なんだから。ねえ、ほら、捨てないよ、大事な物ボックス入れとくよ。
 
   間。
 
女    いや、やっぱ捨てよっか。全然使ってないし。
男    …。
 
   間。
 
女    ねえ、こっち来て。ねえ、ほら抱きしめて。ねえ 、なんか話しして。ねえ、これからのこと 話そう。これからのこと。ソファー買おうよ。絨毯は何色にする。ベッドの位置はどうしようか。向こうへ行ったら少し節約しなきゃね。大分引越しでお金使っちゃってるからね。ねえ。
男    うん、前の日曜日さ、俺休みだったじゃん。それでなんかボーっとしててさ。携帯さ、一日君からしか電話こなかったのね。一日で。まあどうでもいいことなんだけどさ。友達少ないって言いたいんじゃなくてね、そういうことじゃなくてね、俺、こいつらやっぱ捨てたくないんだけど。
女    全部捨ててよ。
 
   間。
 
女    お腹空いたね。
男    めっちゃ空いた。
女    なんかつくろっか。
男    うん。

   間。
 
女    わたし、すごいこと気付いちゃって。引越しってなるまでこの物達、あったけどなかったじゃん、あるんだけど、ないて感じ。分かるかな。意識されてなかったから。でも引越しってなった瞬間。当たり前なんだけど、ああ、あるなあって、すごいいるなあって。こいつら。プンプン存在感出してきてんじゃない。プンプン。だから、すごいこと気付いちゃって。だから、存在してるって状況だなって、何事も、って思うんだけど、どうって聞いたら彼はぴーぴーいびきをかきながら寝てて、あーじゃあこのわたしの言葉も存在しないかあと残念がってみたけど、今言った発見ってなんかよく考えたらすごい恥ずかしいロマンチックなこと言ってる気がして、あー存在しなくてよかったーとか思ったんだけど、わたしにとっては存在してるわけ。あなたにとっては存在してないけども。だから、わたし、すごいこと気付いちゃって、わたしも、あなたも、状況次第で存在してるってことになって、でも状況次第で、うわー存在しちゃったーってなって、何が言いたかったんだっけ。うわー存在しちゃったーがちょっとでもなくなればいいのになー。と、言ってみたりして。
 
   間。
 
女    ねえ、起きて。
男    うん、なに?
女    見て、これ見て。
男    なんだよ。
女    これ、カーテン。
男    うん、カーテン。
女    そう、カーテン。
男    うん、だから。
女    ほら見て、机。
男    うん、机。
女    ほら触って、机。
男    うん、机。
女    絨毯。
男    絨毯。
女    時計。
男    時計。
女    手紙。
 
   間。
 
男    灰皿。
女    雑誌。
男    トランプ。
女    たこ焼き器。
男    ススまみれのガスコンロ。
女    微妙に残ってる醤油。
男    コップ。
女    変なコップ。
男    服。
女    変な服。
男    冷蔵庫についてる磁石。
女    去年のスケジュール帳。
男    ヒビの入った柱。
女    貼らなかったカレンダー。
男    網戸越しの月。
女    金色の貯金箱。
男    隣の家の喧嘩。
女    日に当たるホコリ。
男    足りないシャワーカーテンのフック。
女    電車の走る音。
男    ぎいぎい鳴る床。
女    髪の毛の詰まった排水溝。
男    フライパンで焦げたキッチンの壁。
女    あれ、何これ?
男    あっ、それは。
女    ネットで買ったの?
男    あっ、うん、昨日届いた。
女    引越し前日に…。
男    …どうしても必要だったんだよ、…今必要だったの。
女    …。
男    …。
 
   間。
 
男    向こうへ行ったらさ、ベランダがあるじゃん。そこで、花を育てようか、なんか綺麗なやつ。全然花とか知らないけど、植木鉢みたいなん買ってさ、あと、ネギとか、トマトとか。それで台所とか広くなるじゃない。だからできるだけ毎日交代でご飯つくるの。つくったやつとかたまにつかって。それで本当に美味しい時は抱き合って、味が薄い時なんかはソースとか醤油とかドバドバかける君を見て少しむっとするわけ。
女    そんなにドバドバかけないよ。
男    それってなんかすごい普通じゃん。びっくりするぐらい普通だよね。
女    普通かは分かんないけど、うちのお姉ちゃんなんかはもっとドバドバだからね。
男    そうなんだ。
 
   間。
 
女    ねえこっち来て。
男    何。
女    ほらほらこっち来てよ。
男    なんだよ。
 
   間。
 
男  あっ。
 
終わり
 
 
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