稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。まさかのここに。

夕焼け公園で奔走中

「夕焼け公園で奔走中」
 
――何をしているんですか?
中年の男(以下中年) 靴の紐がほどけそうなんです。本当に今もうほどけるぞって寸前のところで今キープしているんです。多分これ普通に歩いたらほどけてしまいますよね。でもそれをどうにかほどけないようにして歩いているんです。靴の紐がほどける瞬間ってあまり見ないですよね。さっきまでは普通に歩いていたんです。しかしふと。本当に何故だかふと下を見たんです。そしたらほどけかけてました。靴紐が。ほどけていたんではないんです。ほどけかけていたんです。何故私はふと下を見たのか。靴紐がほどけきっていたなら説明がつきます。視界の片隅に違和感を。あるいは歩いている足に何か異物が当たる感覚、靴紐ですね。訴えかけてくるんですよ、靴紐が。ほどけてるぞー。って。しかしですよ。ほどけてなかったんですよ。異物も違和感も何もなかったんですよ。なのに下を向いたんです。そしたらほどけかけていた。この状態。今にもほどけてしまいそうな中心の結び目。あの頃は凛としていた。二つの輪っかを均等の大きさに保ち、あたかも自分から生えているような二本の紐を左右に伸ばす。この世界のすべての中心にいるかのように堂々と君臨していた結び目は今はもう、ほら、見てください。今ではもうなんか、例えるなら、こう、蛇がなんか、グニャって。こう。ふやけてるでしょう。そこから出てる二つの輪っか。左右非対称。左側はこんなに大きいのに、右側は半分ぐらい小さい。この右側が原因です。この右側の輪っかがより小さくなる時、つまり左側に伸びている紐がより引っ張られるとき、この靴紐は完全にほどけてしまいます。ということは左側に伸びている紐を伸ばさないように最善の注意を払いましょう。私が何故右側の靴底を地面につけて歩いていたのかこれでお分かりになりましたね。左側に伸びている紐へのダメージを少なくするためです。左側に伸びている紐に異物が当たる、大抵は地面ということになるのでしょうが、その回数が多ければ多いほど、その当たった際の振動が結び目に伝わり右側の輪っかが潰れていくということになるのでしょう。そしてこのゆっくりさ。このゆっくりさが大事なのです。靴紐が何故ほどけるのか。それは靴紐にも重さがあるからです。こんなに軽そうに見えるのに。というか実際すごい軽いでしょう。しかし私達の行う行為の中で最も単純な行為。歩くというこの行為がこんなに軽そうに見える靴紐に重みを与えるわけです。そう、歩く、揺れる、靴紐が揺れる、靴紐の端への遠心力。だから私の右側の輪っかはこんなに小さいわけです。だから私はこんなにゆっくりとさらに右側の靴底を地面につけて歩いているわけです。しかしてこの靴紐の先に見てください。靴紐の重力をさらに増やすかのごとくまとわりつくビニールのテープ。忌々しいこのテープ。今まではこのテープのことなんてなんとも思ってなかったんですよ。今までは。ああ、靴紐の紐自体が先っちょからバラバラにならないようしてくれてサンクスサンクスとすら思ってましたよ。知ってますか?これがないと靴紐の先っちょから糸がバラバラになり始めてこうモジャモジャしてくるわけです。そしてモジャモジャになったらもう。靴紐を通すこの穴に通りづらい通りづらい。それを防いでくれているわけですよ。このテープは。しかしですよ。しかしですよ。今となっては重力を増やす邪魔者と化しているわけです。このテープの重みが私の歩いた際に起こる振動をかなり助長しているわけです。ささいなことですよ。本当にささいな重さですよ。しかしこの重さに私は今苦しめられているわけです。この重さがなければもっと楽に歩けているはずなのです。忌々しいこのテープ。あっ、カッター持ってません?あるいはハサミ。今すぐこのテープを切りたいんです。重力を少しでも減らしたいんです。
 
――持っていませんよ。
中年 持ってない。そりゃあそうだ。持っているわけないですよ。普通の人はハサミやカッターなんか持ち歩かない。持っているのは舞台監督、美容師、小学生、測量士、殺人鬼、中学生、アーティストそれも美術系のひとですね、あと、あとはいますかね?ハサミやカッターを持ち歩く人って。
 
――紙切り芸の方ですかね?
中年 紙切り?なんですか?それは。
 
――ほら、紙を切って象とかキリンとか作る芸をしている人いるじゃないですか。寄席とかに。
中年 紙を切って象とかキリンとか作るんですか。そいつはすごい。いますぐその人からハサミをもらわないと。どこにいるんでしょうか?その紙を切って象とかキリンとか作る人って。
 
――どこって言われましても。浅草とかですかね?
中年 ようし、今から浅草に向かいましょう。そしてハサミを手に入れましょう。そしたら万事解決だ。私は靴紐をほどききらずに家に帰ることが目的なのです。
 
  中年の男は去る。
  その後ろ姿にはかすかの希望と新たな戦いへと挑む勇姿が垣間見える。
 
――何をしているんですか?
若い女 どうしてあなたに何をしているのか答えなければならないの?
 
――いえ、単純の興味ですので、答えたくなければ結構です。
若い女 どうしても聞きたいって言うんなら、あそこに男がいるじゃない。あの方に何をしているのか聞いてきてくださらない。
 
――ええ、分かりました。
若い女 よろしくね。
 
――何をしているんですか?
金髪の男(以下金髪) あっ、ええ、うん僕。あっ。僕に聞いてますよね。ああっ。ホアタッ。そうですね。何をしているか。あっ。困りましたね。アイアー。あっ、これは一言で説明できないやつですので。えええとですね。えええと。あああ、どうしよう。なんて説明しましょうか。アタっ。アタっ。
 
――まずその、ホアタってしているのはなんですか。
金髪 あっ、これはですね。あっこれは誰もが知っているでしょう。アタっ。これはみんな知ってる。カンフーです。カンフーなんですけど。あっ、そうですよね、あっなんでこれをやってるかですよね。そうなんですよねえ。ええっと。こっからが難しくなるんですが。ンーハァーっ。これなんです。コレがなければァーっ、ハアッ、喋れなくなってきたんですね。アイヤッ。いや本当。ンーハアッ。大変に。
 
――??どういうことですか??
金髪 あっ、そのままです。ナハっナッハ。これ。イーヤフウっ。これです。コレがなければもう話すことすらままならない。マーフウっ。
 
――つまり、カンフーしなければ人と会話することができない、ということですか?
金髪 あっ、そう、ムーハア、そういうことですね。ニヤッホウ。辛いんですよ。ッハっ、とっても。
 
――そんなことって、あるんですねえ。困りましたね。ちなみにそのカンフーをやらないようにしたらどうなるんですか?
金髪 あっ、それはですね、ヤッ。こうなります。
 
  金髪、カンフーするのを止める。
 
金髪 あっ、喋れるんですけどね、(間)こう、考えないとですね。(間)何を喋るのか、何を喋りたいのか。(間)分からなくなってしまうわけですね。(間)大変なことになってしまいました。あっ、(間)大変大変。
 
――どうしてそんなことになったのですか?
金髪 あっ、(間)やっていいですか?
 
――え?
金髪 あっ、あれ、(間)カンフーですね。
 
――ああ、どうぞどうぞ。
金髪 あっ、それじゃすみません。ホアチャー、ホアタホアタっ、アーチャー、ヤっ、ハアアー、イヤはっ、ヌーーーハッ、ヌーーーハッ、プウアーイヤイアヤヨッホッコセイッ、ハップっ、ムーハッ。あっ、すみませんどうも、ヌーハッ。ええと、たまってたみたいで。たまるんですよこれ、アーイヤッ、用心しないと大変なんです。ええと、なんでしたっけ?
 
――どうしてそんなことになったんですか?
金髪 あっ、これはですね、あの、ンっパイ、僕がもともと会話が苦手というのがありまして、その際にですね、あっ、クッハイヤ、あっ、これですね。カンフーしたら、アンミャー、心地よくしゃべれるようになったというわけです。会話ってのは何が大事だと思いますか?まず第一に。
 
――会話にとって大事なもの。なんでしょう。相手ですか。
金髪 そうです。相手です。相手がいなければ会話にならない。でもそれは前提です。相手ありきで何が大切か分かりますか?
 
――すみません。分からないです。教えてください。
金髪 あっ、それはですね。話したいことです。話したいことがあれば人は喋れる。聞きたいことです。聞きたいことがあれば人は話を振れる。これが会話の基本なのです。つまり話したい対象、聞きたい対象がある。対象があるということなのです。会話は。現に今僕はあなたと会話している。そしてその対象は会話について。僕は会話について話したいのです。会話はこうだと。会話はこうなっているんだと思うということを話したい。すごい話したいから今、会話が成立しているわけです。しかし、この会話。会話について僕が話すことがなくなれば、途端に成立している会話が会話にならなくなるでしょう。ホアタっ。ほら来ましたそろそろ成立が危うい。あなた、僕に何か聞きたいことありますか?
 
――そうですね、聞きたいこと。カンフーとそれとはどういう関係があるんですか。
金髪 あっ、そうです。これです。僕が話し始めた理由は、それでした。会話の対象というのはですね。アーヤウっ。そりゃ、人にもよるんですけどね、アーッチャウッ、初対面の方が共通の対象の数自体は少ないわけです。しかし相手についてはほとんど何も知らないわけだから、色々と相手と自分を対象にしてお互いの知らないことを話せるわけです。ミウーヤっ、しかし逆に毎日顔を合わせている人のほうが対象の範囲が広い。つまり共通の対象が増えてくわけです。あの人はどうだ。この場所はどうだ。共通の知人や場所ですね。最近はこうだ、台所きれいだ、トイレは汚い、朝漬けの素を買った、こんな細かいことは、初対面の時には話さないであろうどうでもいい話ですが、少し何度も会うようになってくるいろいろな共通の対象ができやすい。しかしですよ。やっぱり会話の対象の基本は相手と自分なわけです。というかどの話をしていても、結局相手か自分の話になっていくのです。つまり、例えば相手と自分以外の共通の知っている人について話しているとするでしょう。しかしそれでもやはり結局は、その人はこうだ、ああだと。その人については私は、好きだ、嫌いだと、結局はその人について私はこう思う、あなたはこう思うと、自分か相手の話をしていることになってくわけです。つまりですよ。相手に興味があるということが大事なわけです。さっきから僕がながーっく喋っている理由。僕は会話をすることが苦手と言った。だから、カンフーがで始めたと言った。つまり何が言いたいか。ハアタっ。会話が苦手な理由として話すことがなくなると言った。ムーイヤア。しかし、対象は結局は相手か私だと言った。マッハマッハマーーっはっ。つまりですね。ヤーイアッ。話すことがなくなるというのは、相手に興味がないってことなんだ。アーイヤアっ。ミーキュウミーキャウっ、パーゼンショア……。ほら来ましたそろそろ成立が危うい。あなた、僕に何か聞きたいことありますか?
 
――そうですね、聞きたいこと。カンフーとそれとはどういう関係があるんですか。
金髪    あっ、それは今喋ったじゃないですか、マーセイマッゲャ、今僕が必死で必死で喋ったところですね。これ以上のそれを伝えるすべはありません。あなた、他に僕に聞きたいことはありますか?
 
――そうですね、聞きたいこと。じゃああなたは今、この公園において何をしているんですか?
金髪    カンフーです。
 
    間。
 
金髪    もしくはカンフーの練習です。
 
    間。
 
金髪    あなた、他に僕に聞きたいことはありますか?
 
    間。
 
――ありません。
金髪    そうですか。アーイヤアチョーっホッホッホッホーはー…
 
――ありがとうございました。
金髪 アイヤーっねーショウっレイアっっ。
 
――ということでした。
若い女 ありがとうね。一部始終を聞かせていただいて、とっても勉強になったわ。
 
――さて、あなたは何をしているんでしょうか?
若い女 私が何をしているか。あなた。あててみてくださらない?
 
――あなたが何をしているか。全く分かりません。あなたはボーッと突っ立っている。それしか分かりません。
若い女 惜しいですわ。半分正解ですの。それにプラスアルファを加えればもう正解よ。
 
――プラスアルファ。なんでしょう。ボーッと突っ立って。昔のことを考えている。
若い女 全然違います。あなた少し適当に答えすぎてやしません?私のことをよく見てくださらない。なにかがあるでしょう。
 
――あなたのことを。さっきからよく見てるんですが。なんでしょう。
若い女 あなた、私がそろそろ正解を教えると思っていやしません?とんでもない。私が正解を教えるっていうのがどんなに私を辱めにあわすことになるか。私はあなたが正解を導き出すまで、絶対に答えを言いませんからね。
 
――そんな。さっきあそこの男に何をしているか聞いてきたら教えるわと言ったじゃないですか。
若い女 だから教えようとしているじゃありませんか。でも、あなたは考えようともしない。ただそれだけ。
 
――考えないことが悪いっていうのですか?
若い女 そう。考えないことが悪い。見ようともしない。現に私のことをしっかり見てくださればすぐに分かることよ。いいえ、考えるまでもないことですわ。
 
――全く分かりません。あなたのことをじっくりじっくり見てますが、全く分かりません。ボーッと突っ立って。ボーッと突っ立って。何をしているんだ。
若い女 さあ、何をしているんでしょうね。
 
――全く分かりません。あなたのことを毛穴の一つ一つが分かるほどじっくりじっくり見てますが、全く分かりません。ボーッと突っ立って。ボーッと突っ立って。何をしているんだ。
若い女 まあ、いやな人。お止めなさいよ。全くふしだらな。こんなとこ人に見られたら勘違いされるじゃありませんか。わかりました。一つヒントを出したげる。私の顔の辺りをよく見てごらんなさい。
 
――顔の辺り。なんですかね。さっきから顔は特に注視しているんですが。
若い女 顔ではなくてよ。顔の辺りでございますの。何か違和感ありません?
 
――分かりませんねえ。それはそうとこの辺はなんだか虫が多いですね。
若い女 それですわ、私が気付いて欲しかったこと。
 
――??虫ですか??
若い女 虫ではありません。蚊柱ですの。
 
――蚊柱。
若い女 そう蚊柱。私、ボーッと突っ立て蚊柱を眺めているわけですの。
 
――しかし何故蚊柱を。
若い女 知っていまして。蚊柱って一匹一匹のオスが飛び交っていますの。そこに一匹のメスが入ってきて、交尾相手を探しますの。つまり蚊柱ってのはメスから選ばれるために集団で待ってるオスたちの群れなわけなのですけれど、つい2,3時間前に私このオスたちに選ばれたらしいのです。
 
――あなたは何を言っているんですか?
若い女 すごいのよ、こいつらの目。俺を選べ俺を選べと。まるでこれで選ばれなかったら人生が終わってしまうかのような感じ。あら、人生ではないわね。虫生とでもいうのかしら。私、どなたを選んで差し上げれば良いのか皆目見当も付きませんで、ほら、よく外国の方の顔はどなたも同じように見えるって言うじゃありませんか。それと同じでこの蚊の方々も皆、一匹一匹同じような姿形に見えて何を基準に選べばいいのか、途方に暮れていたところでございますの。普通こういうお見合いパーティのような場合、まずはご趣味はとか、ご出身は、なんてお話をして、互いにどういう方なのかを知ってから、というのが正しい付き合い方じゃありません?でもほら、相手は蚊でしょう。喋ろうにも喋れないじゃありませんか。そりゃあお互いに深く知り合うこともできないというわけですの。
 
――あなたは何を言っているんですか?虫と交尾するつもりですか?
若い女 そう、そこなんですの。私、今までこんなに大勢の人に、いいえ、虫なんですけどね、必要とされたことがなかったのよ、だからとっても嬉しかったのです。しかしいざ虫と交尾となると、嫌じゃありませんこと。虫と交尾なんて。第一人間と虫が交尾なんて出来るわけないじゃありませんか。それでもこのオスたちは私に選んで欲しそうな目付きで飛び交っていますの。これをどうしたものか、どうしたらこの方々は私から離れて行って下さるか。そこにあの方が現れたんですの。そしてあの方に何をしているのかをあなたに尋ねてもらったわけ。
 
――あのカンフーの方とこの蚊柱とどんな関係があるんですか?
若い女 簡単なことよ。私、あの方と交尾をしようと思っていますの。
 
――あのカンフーの方と交尾。なんでですか?
若い女 私がこの蚊柱の中からあの方を選んだとすればこの蚊柱は私から離れていく。そんな簡単なことを説明させないでください。あなたに最後のお願いがあります。あの方に私を紹介してくださいませんか。
 
――あの方となんの面識もないんでしょう。いきなり性行為するつもりですか?
若い女 もちろんそこらへんは会話をして、互いに深く知り合う必要があると思いますわ。でも私の勘ですと私はあの人とうまくいく気がしますの。
 
――そうですか。そういうことなら。
若い女 お願いね。
 
――またまたすみません。あなたに一つお願いがあるんですが。
金髪 あっ、ええとなんでしょう、僕に出来ることなら、ムーヒィ、なんでも、そうですね、やらせてください。
 
――実はあなたとお話がしたいという方がいらしてですね。あなたの会話の練習にも最適かと思いまして。
金髪 あっ、本当ですか。いや、さっき会ったばっかりなのにこんなに親切に。ヌーっハウ、ありがとうございます。そしてその方というのは?
 
――この方です。
若い女(以下よし子) お初にお目にかかります。よし子と申します。ごめんなさい。こんなにご無理を言って。
金髪(以下戸坂) あっ、初めまして、戸坂と言います、イッヤッハ、いやこれは、ええと、癖でして、マヒウ、気になさらないでください。
よし子 ええ、この方から全て聞いてますのよ。あなたのことは。だから安心なさってね。
 
――それでは私はこのへんで。
よし子 ちょっと待って。もう少し一緒に居てくださらない。私達二人だけでは心配よ。
戸坂 あっ、そうですね。ペンヤッレ、ペンヤッレニャーハウ、ショーエムウ、初対面の人といきなりというのは、ペンカーバイ、少し怖いですね。
 
――まあ、私も初対面なんですが。
よし子 それでは、始めさせていただきます。ご趣味は?
戸坂 あっ、そうですね、ええと、イヤーホっ、なんでしょう、あっフー、マアマアっ、メーリストっ、トッキャアット、ああう、駄目ですね。趣味は、ええと、パゼルスト、ポートレイトっポウ、トッパース、思いつきません、趣味らしい趣味が。マーセウ、すみません。
 
――まあ、落ち着いて落ち着いて。
よし子 すみません。答えづらい質問をしてしまって。では、次の質問に移らせていただきます。お仕事は?
戸坂 あっ、そうですね。ペイニャア、ピノウ、仕事仕事、こればっかしは、アッハウ、セイヤッハ、サイヤッサ、してるんですけどね、そりゃあ、ポンチューーロシューゼウ、してますよ、もちろん、イーシャアイシーッシャッハ。
 
――それは何を。
よし子 何をしているの?
戸坂 あっ、そうですね、すみません、あっハウ、答えられません。すみません。ナーコトダッパ、ナーセントっ、そんなに答えられない仕事ではないんですが、パッチワークっ、すみませんが答えられません。
 
――いえいえいいんですよ。人間誰しも答えられないことの一つや二つありますから。
よし子 私と性行為してくださらない?
戸坂 えっ、性行為。
 
――ちょっとよし子さん。
よし子 もう十分会話しました。相手がどんな人かも分かりました。ねえ、私と性行為してくださらない?今ここで。私、今すぐあなたと性行為がしたいの。
戸坂 あっ、性行為って、あの、男女が子作りのために行う行為ですよね?
 
――そうですね、今急にというのもおかしな話ですよね、これには深い事情がありまして。
よし子 私の顔の辺り、見てくださらない?
戸坂 あっ、うわっ、すごいっ、蚊だっ、うわっ。
 
――こういうことなんです。戸塚さん。彼女が性行為をせがむ訳は。
よし子 簡単に申し上げますと、私、蚊のオス達に交尾をせがまれていますの。それを避けるために、戸塚さん、あなたと性行為をしたいということなんです。そうすれば、蚊も私のことを諦めてくださるんじゃないかと思って。
戸坂 あっ、まず、僕の名前は戸坂なんですけどね、いや、いいんですけどね、戸塚でも。はい、よし子さん、あなたの要望はわかりました。しかしですよ、僕はですね、キャーッシュウっ、ほらこの通り、マッセントっ、まともに性行為ができるかしらというのがありまして。ええと、できるかな、やってみますか?ポーゼット。ほらこれですよ、できるかな。
 
――できますとも。
よし子 ほら、私の言ったとおりだわ。あなたとは相性がいいと思ってたの。やってくださるってことよね。
戸坂 あっ、そうですね、ハイーっ、僕に出来ることならですね、ハーヤッハ。でも、どうすればいいんでしょう。
 
――それでは私はこのへんで。
よし子 ちょっと待って。もう少し一緒に居てくださらない。私、実は性行為をどう行えばいいのか分からないの。失礼ですけど私に性行為の仕方を教えていただけません?
戸坂 あっ、そうですね。僕もどうすればいいか分かんないです。教えてください。
 
――性行為ってのはもっと二人だけで親密にやったほうが良いかと。
よし子 分かっています分かっていますとも。無理を承知で聞いてるんじゃない。でも分からないものは仕方ないじゃない。
戸坂 あっ、そうですね、ええと、つまり最初だけでもミャーハッス、最初の流れだけでも教えてくれませんか、ポスポオス、どうことを運べばいいのかがまず分からないのです。
 
――なるほど順序ですか。それでは検索して差し上げましょう。性行為の順序。検索。はい出ました。性行為の順序、①静かな部屋でキスをする。
よし子 静かな部屋と言われましても、ねえ。
戸坂 あっ、そうですね、パッス、
 
――どうしたんですか?
よし子 ほら、蚊が部屋に入ってしまいますし、蚊が飛んでる時点でうるさいわ。
戸坂 あっ、そうですね、ペッサリっ、それ以前に、僕も静かにできなさそうです、ミーッヤッホ。
 
――そうでした、そうでした。それでは、静かな部屋というのは割愛します。キスをする。
よし子 さあ。キスしましょう。
戸坂 あっ、はい、あっ、そうですね、あっ、うっ、うわっ、うわっ、あわわ、蚊が、蚊がすごいです、うっ、はっ鼻に、すみません、ミャッハ。うっ、ふごふご。
 
――これもダメそうですね。
よし子 ああ、なんてこと。忌々しい蚊。
戸坂 あっ、すみませんアヒューハッ、ポーシュトンサ、ビュウビュウシュぺーイっ。
 
――では次行きます、性行為の順序、②優しく「いい?」と聞き軽く胸を揉む。
よし子 まあっ、恥ずかしいわ、こんなに急に。
戸坂 あっ、ではすみません。いいでしょうか?ピキーっ、ッシャウンッシャッスン。
 
――ああ、ちょっと。
よし子 痛い、痛いわ、なんてこと。
戸坂 パーロシアン、ピューストストロポンネッヘイ、パゼンチョアパゼンチョイ、シューエオエンキュロース。(間。)昔のことなんですけどね。鼻に蚊が入ったことを思い出しました。そうですそうです。それも蚊柱だったんです。僕は小学生か中学生で、川に沿った遊歩道を自転車で飛ばしてたんです。そしたら、あいつらが入ってきた。鼻に。フンフンっと鼻から息を何度も吐き出し、それでもあいつらが残っているような気がして、何度も何度もフンフンフンフンっ。虫が生きたまま体内に入ったら、人の心臓を食い尽くすなんて話をテレビで見てたんですよ。あれ、何が言いたいんだろう。鼻に入ったら辛いってことを伝えようとしているのか、今だに違和感がありますよ。さっき鼻に入ったばかりですから。フンフンっ。性行為の話をしましょう。初めての経験になりそうな時があった。確かにあった、君に触ろうとした、しかし、君は今?と聞いた。僕にとっては今だった、君にとっては今じゃなかった、今じゃなければいつがありえるのか、つまり、何が言いたいか、もっと豊かで穏やかな心を持っていたらなあ。フンフンっ。あなたの願いは、蚊柱をはらうこと。分かってますとも分かってますとも、あなたは僕に興味ない。それでいいんです、それで。僕は君に興味がなかった。性行為に興味があったんです。ありふれた話です、かなり。つまり何が言いたいか。あっはは、これは笑えてきました。あっはは、フンフンっ。今気づいたことを言うと、僕は何を喋りたいのかということを伝えてる、何を喋りたいのかということを会話にしている、こんなおかしなことがあるのか、あるんです。まあいいや、性行為しましょう。あなたは僕に興味ない、僕もあなたに興味ない。性行為しましょう。それが望みなら、それで全てが解決するなら。
 
    よし子、嫌がる。
 
よし子 やめてください、なんだか怖いわ。
戸坂 性行為しましょう。それで解決するんでしょう。
 
――何をしてるんですか。嫌がってるじゃありませんか。
戸坂 性行為しようと言ってきたのはこいつです。
よし子 ごめんなさい、もういいわ。
戸坂 勝手ですね。あなたは。うわっ、なんだ、虫、なんか増えてません?
よし子 あら。
 
    中年、登場。
 
中年 靴紐がほどけました。
 
    間。
 
中年 ほら、見てください、靴紐がほどけたんです。
 
――そうですね、綺麗にほどけてますね。残念でした、家まで帰ることができずに。
中年 死のうと思うんです。
 
    中年、靴紐を靴からはずし始める。
 
中年 これがダメならすべてダメだと思ってたんです。悔いはありません。私の計算ミスでした。ハサミを手に入れようと浅草に行こうとするなんて。駅に着く前にですよ。あなたと別れて一時間も経っていない。ああ、ダメだ。ダメになりかけと、ダメは違うんです。私はさっき完全にダメになりました。
 
    中年、靴紐を靴から完全にはずしきる。
    中年、靴紐で首をくくろうとする。
 
――何をしてるんですか。
中年 何をしている、見ればわかるでしょう、首をくくろうとしているんです。あなたは私にさっきも何をしているんですかと尋ねた。私は靴の紐がほどけそうだと答えた。あの頃は良かった。希望に満ち溢れていた。この靴紐をほどかずに家に帰ることができると信じきっていた。この靴紐で。うっ。(靴紐で首を絞める)
 
――やめてください。
中年 やめる必要はありません。全然締まってない。こんな弱々しい紐ではやはり人は殺せないのだろうか。うっ。(さらに絞める)まだ大丈夫だ。全然苦しくない。むしろ心地いいくらいだ。体中の血を意識できる新しい感覚です。ほらこの部分、見てください。(ビニールのテープの部分を見せる)このビニールの部分がすべての原因、この少しの重みが全てを変えた。ほんのちょっと、ほんのちょっとの重みに耐えさえしていれば、私はこの重みを取り払おうとしたのです。楽に歩くために。その考えが私をダメにしました。少しでも楽に。少しでも楽に。うっ。(もう一度首を絞める)うおっ、すごい、見てください、この靴紐。さっきから全然苦しくない苦しくない思っていたら、ほら、(靴紐の端と端を引っ張る)伸びるんです、伸縮性があるんです。これはすごい。靴紐って伸びるんですね。そりゃあ死にづらいわけだ。ほら、見てください。靴紐です。靴紐ってこんなになってたんだあ。ほら、一メートルぐらいですかね、いや、もうちょいありますね、うわー靴紐だあ。なかなか靴紐を単体で見るってことないじゃありませんか。ほら、見てください。これが完全にほどけきった靴紐です。実に美しい。この世の物とは思えないほどです。私達は靴紐がほどけた、靴紐がほどけたとあのちょうちょ結びがほどけただけで迷惑がりますが、そんなのは序の口だったのです。これが完全にほどけた状態。ここまでいってやっとほどけたというわけですか。あっ、(間)ほどいてしまった、自らの手でほどいてしまった。完全にほどけきっていたわけではないのに、自らの手で完全にほどいてしまった。ああ。
 
  間。
 
戸坂 うわっ、すごい蚊だ。すごいどんどん増えてる、どんどん増えてる。早く性行為しましょう。さもないと大変なことに。
よし子 あなたと性行為するのはごめんだわ。私には選ぶ権利があるの。これだけ何千、何万、の中から選ぶ権利よ。あなたと性行為するのはごめんだわ、だってあなた自分のことしか考えてない、私のことを考えてくださらないんだもの。
戸坂 そういう類の性行為という話でしたでしょう。あなたが目的を達するためだけの。
よし子 そう、そういう類の、でもさっきあなたが私に襲いかかろうとした時、あなたに野獣を感じたの、ドラゴンが燃えているかのように。私、そんな野蛮な人に抱きしめられたくないの、そんな野蛮な人に抱きしめられるぐらいなら、虫に抱かれたほうがましよ。
戸坂 でも虫に抱かれるなんて無理だよ。
よし子 そうなのよ、困ったわね。
戸坂 だから僕に抱かれなさいってば。
よし子 ねえ、あなた、私虫と性行為したいんですけど、どうすればいいですかね?
中年 えっ、虫と性行為、あなた正常ですか?
よし子 私が虫と性行為したいって本気で言ってるとしたら、あなた笑う。
中年 笑いますとも笑いますとも、虫と性行為なんて出来るわけない。
よし子 ならあなたが私と性行為してくださらない?
中年 えっ、私が。
戸坂 なんでだよ、なんで僕じゃないんだよ。
よし子 見るところによるとあなた、すごく絶望してらっしゃる。私、ある理由で性行為しなきゃならないの、今すぐ。私が体で癒してあげる、ねっ、利害が一致してるでしょ。
中年 はあ。しかし私はそろそろ死のうと思っているところなんです。そんなときに性行為なんてできますかね。
 
――できますとも。
よし子 そうよ、自信を持って。あなた、まず何から始めればいいんでしたっけ。
 
――キスです。
よし子 それではキスしましょう。
中年 はい、うっ、うわっ、うわっ、あわわ、蚊が、蚊がすごいです、うっ、はっ鼻に、すみません。うっ、ふごふご。
よし子 やっぱりダメなんだわ。私、これだけ大勢の中から選ぶことは可能なのに、どうして、どうして自分の好きなようにはいかないの。選ぶことはできるのに。ことを遂行することができないなんてあんまりよ。
戸坂 僕なら大丈夫です。今度ばかりは大丈夫です。鼻をつまみます。これでキスしましょう。そしたら鼻に蚊も入らない。
よし子 あなたはダメ。
戸坂 なんでなんだ。なんで僕じゃダメなんだ。
よし子 あなたと性行為するということはもうすでに私が選んだ性行為じゃないもの。あくまでも私が選んだ相手じゃないとダメなの、あなたが私を選んでいるの。いいえ、私を選んでいるのでもない。性行為を選んでいるの。ただそれだけ。
戸坂 なら、あなたが僕を選んでくれよ。
よし子 戸坂さん、あなた、自分がさっきから普通にしゃべっているのにお気付きになって?
戸坂 えっ。
 
――あっ、ほんとだ。カンフーなしでしゃべれるようになったじゃありませんか。
戸坂 本当だ、やったやった。
よし子 しかし、あなたはまたすぐに喋れなくなるの。私、その理由を知っていますから。
戸坂 なんですと。
 
――理由というのは、なんなのでしょう。
よし子 少しは自分で考えたらどう。全くあなたは私が答えを言うとばかり思って甘く見て。
戸坂 もったいぶらないで教えてください。
よし子 いい?あなたは今、性行為をしたいという衝動があるから喋ってるわけですの。つまり性行為をするという目的をこなそうこなそうと必死なのよ。だから喋っていられるの。話したいことがあるってことなの。でもね、私が、あなたに一言しゃべるだけで、あなたはまた元の状態に戻るわ。というかもっとひどいかもしれませんわ。あなたの性質上。
 
――それは、どんな一言なんです。
戸坂 やめてください、や、やめて。
よし子 あなたはこの先一生、性行為できないのよ、諦めなさい。
 
  間。
 
戸坂 あっ、あっあああ、あああああああ。ンっハースっ、スウェイスウェイ、シュロットトーキャンス、ポウェイポーシュレイト、ハンクーイェン、ナーゼ、ナーハ、トーステルダムキンザッシャーイアー、ミテレ、ミテネっ、レットーカンパイハンドーザイーッヒっ、ああ、ペイヤ、ピシッレ、なんてことだ、イーシャオメロノン工イっパシノーオウパーチェンコショークジャ、ッジャ、ジャジャジャジャジャ、ピーシャオペーリシトモにユッキョウモータントモーゼント、ああ、プウロントゥーイン、つらい、んんーーッペんんーッパアーイヤア、イラマーチッツッテネーッテノーピッテパー、ハームシュキャンチョウ、誰か、アーベルスト、トーバラスト、テーナラシテ、ああ、ミッソウンガ、助けて、ギャーグルヘン、ギャーグルホン。ポーーーーーーーーーーーーーーーーっ、ピーーーーーーーーーーーーーーっ。ネーーーーーーーーーーーーーーーーっ。シュックライゼンゼンハーゼンヒー。ポートテルモン、メガロシンキャイっパッチパッチステイチョン、ステイチューン・・・。
 
  戸坂、カンフーしながら去る。
 
――なるほど、溜まると言ってましたね。
よし子 そういうこと。
中年 皆さん見てください。あなたがたがしゃべったりカンフーしている間に、もう片方の靴紐もとってしまいました。
 
――もう、なにしてるんですか。
よし子 なんでまたそんなことを。
中年 最後のお願いがあります。私、もう死のう思ってたんですがやり残したことがありました。これだけはしておきたい。つまりですよ。うわおっ、なんて美しいんだこの完全にほどかれた靴紐というのは。しかも二本。この靴紐を使ってですよ。こうやってこうやって。(靴紐をつなぎ合わせる)こうです。見てください。長くなりました。これとこれを、あなたがた持ってください。(紐の端と端をそれぞれに渡す)ピンと引っ張って、そうです、ありがとう。私はいろいろとゴールできずに生きてきたわけですが、死ぬ前に、形だけでも、表面だけでも、味わわせていただきたいと思います。それでは、すみません、私が走ってきましたら、さくらーふぶーきのー、さらいーのそーらにーと歌っていただけますでしょうか。いえ、お願いしますね。
 
  中年、去る。
 
よし子 勝手な人ね。
 
――まあまあやってあげましょう。それで満足いくのなら。
 
  間。
 
  中年、走って登場。
 
中年 さくらーふぶーきのー、
三人 さらいーのそーらにーいつかかえーるーそのときまーでゆめはおわらーないー。
中年 どうも、どうも皆さん、ありがとうございまーす。いてっ。
 
  中年、ゴール手前でコケる。
 
二人 あっ。
中年 はははは。最後までですか、ことごとくだめですな、ことごとく、はははは、はははははは。ふごっ。
三人 ははははは、ははははは、ははははは。ふごっ、ふごふごっ。
中年 あれ、なんですか、ふごふごっ。
 
――蚊が、蚊がすごいことになってきました、ふごふごっ。
よし子 求められてるんだわ、私、こんなにもたくさんの蚊に求められてますの、ふごふごっ。
 
――求められるのはいいのですが、早くどうにかしてくれませんか。
よし子 だってどうすればいいの、ふごふご、誰も私と性行為をしてくださらないじゃないの、おじさん、早く私と性行為を、って何してるの?
中年 いやあ、あの、あなたの靴紐もほどかせてくれませんか、ふごふご。
よし子 もうっ、勝手にして。
 
  中年、よし子の靴紐をほどき始める。
 
よし子 選ぶしかないのね、この中から選ぶしかないのね。
 
――よし子さん、あなた、まさか、ふごふご。
よし子 他に手がありますか、そうよ、選ぶしかないのよ、そうよ、よく見るのよ、一匹一匹、そうよ、渋谷よ、ここは渋谷のスクランブル交差点ね、信号が赤にならない、そして男しか歩いていないの、そうよ、スクランブル交差点なの、一匹一匹、よく見て、このスクランブル交差点の大勢の中から選び放題だわ、なんて贅沢なの、私ったら。よく見て、大勢として見るから分からないの、一人一人をよく見るの、ほら、ほら違うじゃない、全然、全然違う、飛び方、羽の角度、目の動かし方、全然違うわ、どうしましょ、どの方を選んで差し上げましょ。そこの目のクリッとしたあなたなんてキュートで素敵ね、あら、いささか他の方より手足の長い八頭身のモデル体型のあなた、かっこいい、あなたにしようかしら、ダメダメ、モデルなんてきっと女遊びがひどそうよ、もっと私のことを大事にしてくれそうな方をお選びしないと、うん、ちょっとお腹が出てるけど包容力はありそうね、あなたに決めちゃおうかしら、ダメダメ、そんな見た目で判断してるようじゃダメ、中身で判断しなきゃ、いや違うわ、中身の判断もダメよ、判断してる時点でダメよ、本当に運命の人ならピンとくるはずよ、ピンと。そうでしょ。目があっただけで、手と手が触れ合っただけで、あ、この人ねって、そうなるはずでしょ、あなた。あなたよ、あなただわ、さあ、あなた、私と性行為を、あれ、どこ行った、分からなくなってしまったわ、んん、じゃあ、あなた、あなただわ、さっきの方は勘違い、本当に求めているのはあなた、さあ、キスを、あなたじゃない、あなたでもない、あなた、あら、どこへ、あら、んんん、あなた、違う、あなたよ、あなた、んんん、蚊すらも、蚊すらも選べないの。ん、んんん、ふがふが。ふがふが。やめて、鼻の穴を開拓しないで、やめてやめて、多人数で私を犯そうっていうのかしら、ばか、やめてやめて。私が選ぶのよ、私が。あなたがたじゃあないの、私が選んでるの、ねえ、そうでしょ。私よ、選ぶのは。あなたがたじゃあない。選ばされているわけではないの。私が選んでるの。だから、あなた。あなたに決めました。さあ、あなたよ、もっと喜びなさいよ、ふがふが、あれ、あなた、どこへ、ふがふが。選ばされてるわけじゃないわ、私が選んでるんでしょ、運命の人よ。運命、運命の人がいるならばそれは選ぶの、選ばされているの、どっちなんでしょ。運命に選ばされてるってこと、そんなの嫌、私が選ぶんだから。私よ、ほら、もっと求めてみなさいよ、私よ。選ばれたいんでしょ、アピールしなさいよ、ふがふが。私よ、ふがふが。あなふがふが。ふがふが。
戸坂、登場。
戸坂 ホーアチャーー、ふがふが。アタっ、アタっ、アタタタタタッタ、アーー、フワッチャアッ。ふがふが。
 
――戸坂さん、何を。
   
  戸坂、よく見ると蚊と戦っている。カンフーで。
 
戸坂 アーーーー、アチャチャチャチャチャチャチャー、アーイヤーっ、ハーーっ、遠い、遠いです、よしこさチャチャチャチャー、ヤッシュウマセーっ、イザっ、トヤ、セイヤーッシャウ。ふがふが。
よし子 と、戸坂さん。
戸坂 ヤーハッシュウ、ソウラーセイソン、ナハッハッハハ。はっふがふが。
中年 あのう、すみません。
戸坂 ハイヤっ?
中年 良かったら、あなたの靴紐もほどかせてくれませんか。
戸坂 アーヤップ?
中年 ええ、そうです、その靴紐です。
戸坂 アイヤッシュ、トルネイデンっ。
中年 いやあ、明確な理由というものはないんですが、一種の衝動ですかね。
 
  間。
 
戸坂 ターーーっ。アーーーーっ。(靴を脱ぎ投げる)
中年 うわあー。ふがふが。(靴を拾いに行く)
 
――どうなっているんでしょう、今、どういう状況なんでしょう。
戸坂 アータタタタタタタタタタ、セイヤ、ゼハウウスバッケン、ナサっ、んんんマアー・・・。
よし子 死んでく、私を求めていた者達が、死んでくわ。
中年 あのう、ちょっといいですか。ふがふが。
 
――はい、なんでしょう。
戸坂 ホーアチャイ、ふがふが、イヤッスイヤダッス、テニヲハハハハハハアッ・・・。
よし子 ああ、ああ、ああ。
中年 ちょっと、見ていてくださいね。(戸坂の靴の穴から靴紐を抜く)ほら。
 
――はあ。
戸坂 ミンナーアレイ、アヤ、レイヤーショック、はあはあしんど、トゥギャジャーっ、テイ・・・。
よし子 ああ、ああ、さっきのあなたが。
中年 (紐を抜く)ほらほら。
 
――はあ。
戸坂 テンナーアーレイ、アアッ、チュウエーヤッ・・。
よし子 あなたも、ああ、あなたも。さっきの八頭身のあなたも。
中年 (ゆっくりともったいぶるように紐を抜く)ほうらほらほら。どうですか。
 
――そうですね、どうと言われましても。
戸坂 ナイヤー、ガイヤー、ナー、ナーサコップスチャッ、アタアタアタタタ・・・。
よし子 やめてーっ。私のことで争わないで。
中年 ほうらほらほら見てください。靴紐です。抜けるんです、穴から、靴紐が。ほうら、穴にクイッと、クイッとしがみついてるでしょう、ガチッと靴紐が、穴に。それが、ほらシュッて抜けるんですよ、靴紐が。ガチッとしがみついてシュッて。どうですか、何をしがみついてるんでしょうか。ふわっと力を抜かせてあげましょう。こんなにクイッと長時間。ほどいてあげましょうよ、ほどかしてあげましょうよ。
戸坂 ホアチャ、ホアチャホアチャ。アーーーーーーイヤーーーーーーーーっ。
 
  戸坂、戦うのを止める。
  いつの間にかよし子に近付いている。
 
よし子 ええ、ええ、私の目的は蚊を追い払うことでしたね、忘れていました。
戸坂 ホウ、アチャイ、テイ、ヤッチャウ。
よし子 そうです、それなのにいつの間にか蚊に見られることが喜びとなっていました。たくさんの方々に求められるのが快感となっていたのです。
戸坂 ヘイヤッサ、ヘイヤッソ。
よし子 ええ、ええ。分かってます、あなたは私のために戦ってくれたんですよね、私のために。でも見てごらんなさい、罪もない方々がこんなにも、帰らぬ者となってしまわれました。
戸坂 アザブ、テイサー。
よし子 飛んでいた時、私には彼らが一人一人どんな方だか分かりました。飛び方、羽音、目付き、足さばき。しかしご覧なさい、死んでしまってからは誰もが同じに見えます。
戸坂 アーヤウっ、シュッテネイザー。
よし子 分かってます、分かってますとも、あなたは私のために戦ってくれたんですから。ありがとう。ありがとう。さあ、キスを。
戸坂 アンデーナッサウ?
よし子 そうよ、あなたを選ぶのよ。こんなにも私を求めてくれたのですから。
戸坂 アンゼッカーーっ、テッシャウヤーーーン。
 
――なんということでしょう。数々の障害を乗り越えて、今やっと二人は一つになろうとしています。って何をしているんですか。
中年 いやあ、長い靴紐を作りたいと思っているわけです。
 
  中年、ほどいた靴紐を全てつないでいる。
  戸坂、よし子、見つめ合い、顔を近付けていく。
 
――ついに、ついに二人が。
戸坂 ホアチャっ。
 
  戸坂のカンフーの動きがよし子に当たる。
 
――えっ。
よし子 えっ。
中年 わあお。(巨大靴紐を眺めながら)
 
――今のは、どういうことでしょう、戸坂さん。
戸坂 アッチャウ、ミンヤー、サッポウ。
よし子 わざとではない、わざとではないのね、安心したわ。
戸坂 テッキュウレン、テイチャーネッチュウ。
よし子 分かりました、もう一度。
 
  戸坂、よし子、見つめ合い、顔を近付けていく。
 
戸坂 ナンチャーレン、テイシューヤッポウ、ネスソダワンっポウっ。
 
  戸坂のカンフーの動きがよし子に当たる。
 
――えっ。
よし子 えっ。
中年 なんて素晴らしい。(巨大靴紐を眺めながら)
 
――戸坂さん、戸坂さん。
戸坂 テキュネシアン、レザノミア、ナッセン、ナッハン。
よし子 もう、ちょっとぐらい我慢できないの。
戸坂 エキゾップ、エキゾチック。
よし子 もういや、もういやよ、また叩かれておしまいよ。
戸坂 ネジラッセ、ハンダーラウ。
中年 なんですか。
戸坂 テンパっ、テントーサケイウ、フォーバレッテ。
中年 えっ、この紐を、そんなことのために。
戸坂 タンウォーレイ、アザナスカイっ。
 
――お願いしますよ、おじさん、この方々のために。
中年 待ってください、待ってください、この紐で人を縛れと言うんですか、私に。待ってください、待ってください、縛る、私が、縛られていたものをほどいてしまった私がですよ。縛られてない私に人を縛れと言うんですか、おかしなこと言うなあ、いいじゃないですか、自分からわざわざ縛られることなんてありませんよ。
戸坂 エイダルホン、サササーイヤっ。
 
――その紐で縛れば、この人はカンフーしなくてすむという、そういうわけなんです。
中年 なるほど、そういう考えもあります、人は縛られないと生きていけない。しかし、しかしですよ。逆にこういう考えもあります。人は縛られずとも生きていける。私が今会社を辞めたら、家族に莫大な迷惑がかかる、しかし、ほどいてしまいなさい。このタイミングで言いたいことを言ったら飲み会の雰囲気がぶち壊しだ、イエス、ほどいてしまいなさい。私が妻と別れたら子供の教育上よろしくない、よろしくないよろしくないけど。大丈夫ほどいてしまいなさい、本当に別れたいのなら。ほどいてしまっていいのか、そんなことまでほどいてしまっていいのか、そこは我慢したほうがいいんじゃないのか、我慢。我慢我慢でからみあって、歯ぎしりがひどくなったじゃないか、いびきが止まらなくなってるじゃないか。ほどくんです、全てのしがらみを、私をくくりつける全てを。穴に必死でしがみついている紐をふわっとほどくように、ほどいてほどいてほどいていくと、おそらく私は、孤独です。孤独かあー。孤独は孤独で、どうなんだろう、あなたはそんな孤独のひとときの安らぎのために紐を巻き付けようとしている。孤独、孤独孤独。孤独と言いましてもポジティブな孤独とネガティブな孤独があるでしょう、つまり私はポジティブな孤独を求めているわけです。いや、そんなものはあるのか、孤独は孤独じゃないのか、いやいや、あるんです。つまり、本当に単純に孤高の孤独、一人、これは孤独でしょう、天涯孤独、それに対して、表面上は孤独ではない、妻もいるし、友達もいる、会社の上司、同僚、お世話になった先生、よく行くバーのマスター、表面的にはなんら孤独ではない、この関係性が多岐に渡って存在している中でも孤独は発生するというわけです。どんなに関係性を築いていても孤独からは逃げられないのではないか、それこそネガティブな孤独ではないか。つまりあなたはネガティブな孤独に足を踏み入れようとしているわけです。そんな中でもあなたはこの紐に縛られたい言うのですか。
戸坂 アアアーーーー、ナアーーーーーーーーーっ。
 
  中年、膝をつく。
 
中年 は、ははは。あなたの覚悟、おみそれしました。そこまで、縛られたいというのならば、縛りましょう、私が、この手で。
 
  中年、巨大靴紐を戸坂に巻きつける。
 
戸坂 ネグリエジェッシュ、ナナナーホレ。
 
  戸坂、動けない。
 
中年 これが人を縛るということか。
 
――よし子さん。
よし子 分かりました。もう一度だけよ。
 
  よし子、戸坂に顔を近付ける。
 
戸坂 ヌギャラーッシュ、ネウアーアンダラー。
 
  戸坂、動けない。
 
――ついに、ついに。
 
  よし子、近付けた顔が戸坂の顔を通り過ぎ肩へ。
 
――えっ。
戸坂 ネギャラーシュオ、ピッチャーウォンチュウっ。
 
  よし子、戸坂の血を吸っている。
 
――よし子さん、何をしているんですか、よし子さん。
戸坂 エンダーロウ、ポパーミオ、ポッパーミヤン、テオ、テオテオ、テーーーースッパララン、アーーウッタロロロン。
 
  よし子、戸坂の血を吸っている。
 
――やめてください、よし子さん。
戸坂 オーマイヤーーーアアーーー、トオーー、センサ、ソンバ。
 
  戸坂、力尽きる。
 
――戸坂さん。
 
  よし子、戸坂から離れ、口を拭う。
 
――よし子さん。あなた何を。
よし子 ゲップ、あら、私ったら、なんてはしたない。でも、なんだか、なんだか血が欲しくてたまらなくて。あら、何か。
 
  よし子、スカートの中をまさぐる。
  子宮の中から蚊を一匹取り出す。
 
よし子 ちょっとお腹が出ていて包容力がありそうなあなた。
――よし子さん、あなたまさか。
 
よし子 そうみたいね。だから急に血が欲しくなったんだわ。ゲップ、ああー飲んだ。選ばれていたのよ、結局、私は。
 
  よし子、手を羽ばたかせる。
 
よし子 行かなくては。
 
――どこへ。
よし子 聞こえる、私の羽音。蚊の鳴くような声って言うでしょ、蚊は鳴かなくってよ、声じゃなくて羽音ですの。羽音で私を私よって知らせてるわけですの。
 
――どこへ。
よし子 川よ、もしくは池、あるいは湖、卵を産みに行くの。そしたら死ぬの。そういうものよ、人生、いや虫生って。
 
  よし子、夕焼けに向かって飛び立ち、去る。
 
――よし子さん。って何をしているんですか。
 
  中年、戸坂に巻きつけた靴紐をほどいている。
 
中年 いやあ、私のですからね、この靴紐は。いやあ、感動しましたね、よし子さんの生涯、いやあ、子供を産んで死ぬですか、案外、人生とはそんな単純なものなのかもしれまわおうっ、なんて美しい、こんなにも長く。こんなにもしなやか。私はですよ、本当に、本当に最後の最後にお願いがあります。これがラストです、これがラストですから。つまり見てください、脱げてしまっています、(脱げている自分の靴を取りに行く)紐がないと靴は脱げるのです。いいじゃないか、脱げたって、裸足で生きていけばいいじゃないか、そんなことをしたなら足が傷つき、汚れます、そして汚れたならば、家に帰るとお母さんに怒られます、怒られたっていいじゃないか、家が汚れます、汚れたっていいじゃないか、この靴紐がほどけた状態から抜け出したくない、虜になってしまったのであります、靴紐をほどけたほどけたと落胆していたのがさっき前までの私ですが、なんてことでしょう、完全にほどけきった今となってはほどけている状態こそが真の人間なのではないかという、いや真の生物なのではあるまいか、そんな確信が私の胸をよぎっているわけです、しかし、そんなことでは生きていけない、お母さんに怒られてしまう、お母さんとの関係なんか関係ないじゃないか、関係あるんです、関係あるから、分かってるんです、紐さえ結べば生きていけるということが、だからこの靴紐、この靴紐をこのままにしておくのはもったいない、もったいないということで私からの衝撃かつ最終ラストの懇願が出てくるわけです。ちょっとあなた、あなた、(戸坂を揺する)起きてください。ダメだ、完全に伸びている。最後のお願いをしたいんですが、最低でも三人必要となってくるわけです、うーん、どうしたものか。あなた、あなた。
 
――二人ではできないのですか。
中年 ほうほう、確かに、やってみるという手はあります。どうなるかはやってみないと分かりません。なるほど、やってみましょう、さあ、(巨大靴紐の)この端を持って。
 
――また、桜吹雪の~ですか。
中年 いえいえ、今回はそんな程度のことではありません、もっと神秘的な愛に満ち溢れた行為です。ええ、ええ、はい。準備はいいですか。
 
――何をするんでしょう。
中年 回すだけです。さん、はい。
 
  巨大紐の大きな長縄が行われるが、その中は誰も飛んでいない。
  その光景を夕焼けが照らしている。
 
中年 郵便屋さん、お入んなさい、葉書が十枚おってます、拾ってあげましょ、一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚、十枚、ありがとさん。ありがとさん、ですか。今日も夕焼けはきれいだなあ。
 
  全員、夕焼けに見とれる。
 
――何をしているんでしょうか。私達は。
中年 何をしていようと、夕焼けはきれいで寂しいものです。
 
――何をしているんでしょうか、ね。
 
  よし子が羽ばたき通り過ぎ、
  戸坂がホアタっと産声を上げる。
  中年が靴に靴紐を戻しはじめ、
 
公園は夜になる。
 
終わり
 
 
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この戯曲の感想、意見、アドバイス等、このページのコメント欄にて受け付けています。一言だけでも、長文でも、なんでも、よろしくお願いします。