稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。まさかのここに。

三月公演、報告会を行います

 

下記の公演にて、報告会という名のアフタートーク的なものを15分ほど行います。

日時
2019年3月9日 19時 稲垣、宮尾、森による報告会
10日 13時30分 稲垣、宮尾、伊原による報告会

         18時公演は時間の都合のため報告会はありません。

 

よろしくお願いします。。

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稲垣和俊戯曲集No2公演
「さよならおつかれアワーサワー」


場所
小金井アートスポットシャトー2f
〒184-0004 東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井 2F
JR中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分

 

日時
2019年3月9日 19時             稲垣、宮尾、森による報告会
              10日 13時30分      稲垣、宮尾、伊原による報告会

               18時公演は時間の都合のため報告会はありません。

 

料金
2500円

予約
romantist721@gmail.com にお名前、日時、枚数をメールして下さい。


活動コンセプト
「稲垣和俊戯曲集」は稲垣和俊の戯曲集を完成させるためのプロジェクトです。戯曲を中心に、集まった人それぞれが各々に戯曲を遊ぶ不定期公演を催しています。そこで得られた新たな発見や感触、戯曲を読んだ読者の意見や感想をもとにして、永続的に変化し続ける戯曲集です。戯曲は「稲垣和俊戯曲集」のWEBページにて公開中。http://gikyokusyu.hatenablog.com

作品概要
女が包丁で刺されてから倒れるまでの一瞬をずっと喋り続ける「さよならアワーアワー」と包丁で刺した男が自分を刺すまでずっと喋り続ける「おつかれサワーサワー」の二つの戯曲を合わせた戯曲を上演します。
演技をするようにドバーッと書きましたら、チンケな言葉がたくさん生まれましたので、そんな膨大なチンケな言葉にまみれ、さよならと、おつかれと、言いたい、いや、別に言わなくてもいいんですが、できれば愛を込めて、集まった人それぞれのさよならと、おつかれを。

 

 

 

2019年3月公演します。よろしく願います。

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稲垣和俊戯曲集No2公演
「さよならおつかれアワーサワー」

参加メンバー

稲垣和俊(原作)

森衣里(出演)
宮尾昌宏(出演)

板倉勇人
伊原雨草
渋革まろん

4DK(宣伝美術)

 


場所
小金井アートスポットシャトー2f
〒184-0004 東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井 2F
JR中央線武蔵小金井駅南口から徒歩5分


日時
2019年3月9日 19時
10日 13時30分/18時

料金
2500円

予約
romantist721@gmail.com にお名前、日時、枚数をメールして下さい。


活動コンセプト
「稲垣和俊戯曲集」は稲垣和俊の戯曲集を完成させるためのプロジェクトです。戯曲を中心に、集まった人それぞれが各々に戯曲を遊ぶ不定期公演を催しています。そこで得られた新たな発見や感触、戯曲を読んだ読者の意見や感想をもとにして、永続的に変化し続ける戯曲集です。戯曲は「稲垣和俊戯曲集」のWEBページにて公開中。http://gikyokusyu.hatenablog.com

作品概要
女が包丁で刺されてから倒れるまでの一瞬をずっと喋り続ける「さよならアワーアワー」と包丁で刺した男が自分を刺すまでずっと喋り続ける「おつかれサワーサワー」の二つの戯曲を合わせた戯曲を上演します。
演技をするようにドバーッと書きましたら、チンケな言葉がたくさん生まれましたので、そんな膨大なチンケな言葉にまみれ、さよならと、おつかれと、言いたい、いや、別に言わなくてもいいんですが、できれば愛を込めて、集まった人それぞれのさよならと、おつかれを。

 

 

 

愛じゃなくとも逃避行

「愛じゃなくとも逃避行」

  

  雨、帰るのは面倒くさい、
  傘、さしても濡れる雨、

1、タクシー乗り場、屋根の下。

  夜、
  
  男、女、待っている。

  女の手、スマートホンへ。
  男、雨に触れる。
  男の手、濡れる。

  男、女を見る。

 

女  なんですか。
男  濡れてしまいました。
女  ・・・。
男  雨降ってる中に手を出すと、濡れるんですね、当たり前ですが。
女  当たり前ですよね。
男  すごい雨ですね。
女  そうですね。

 

  間。

 

男  逃げ出してみませんか。
女  えっ、
男  逃げ出してみませんか。
女  えっ、あっ、何から。
男  何からでしょう。

 

  男、ゆっくりと辺りを見回す。

 

男  都会のネオンから。

 

  間。

 

女  新手のナンパですか。
男  ナンパ、なななナンパ、これは、なななななナンパと言うのでしょうか。
女  どこへ逃げるんですか、ラブホですか。
男  ラブホ、ららららラブホ、ななななナンパ、いや、違うんです、勘違いしないでください、ナンパじゃないです、ラブホとかじゃないです、いや、ほんと、あれ、そういうんじゃないです、あら、でも、とりようによってはナンパなのかもしれない、逃げ出したくなったんです、今、ふと、そしたら隣にあなたがいた、ただそれだけなんです、ラブホ、いや、あなたがラブホにどうしても逃げたいというのならラブホでもいいんですが、いやおかしいおかしい、何を言っているんだ、頭おかしいですね、忘れてください、忘れてください、三分前に戻りましょう、三分前の何も会話などする気配のなかった二人に戻りましょう。

 

  間。

 

女  戻れませんよ。
男  戻れませんよね、タイムマシンなんてないんだ、ああ、なんて言うのかな、一言二言交わしてしまうと、あれですね、元の二人には戻れないんですね、私たち。無言が、つらい。
女  声をかけられるとは思いませんでした、今までの人生で見ず知らずの人に声をかけられたのなんておじいさんとかおばちゃんとか、あっ、声かけてくるな、って雰囲気プンプン出しながらですよ、だから、不意をつかれました、いやはや、不意を突かれると人間、どうなるか分かったもんじゃないですね、雨すごいから、ああ、帰るの辛いなって、雨だるいな面倒くさいなって、四分前は毎分毎分思ってたんですね、でも今は、なんて言うか、この雨の中を全力疾走で走り始めたい衝動に駆られています、なんで都会のネオンから逃げたいんですか。
男  えっ、あっ、全力で走り始めないでね、なんか、なんか、僕のせいかと夜寝れなくなるから。
女  走りませんよ、濡れたくないし、明日も仕事だし、風邪引きたくないし、スマホ防水じゃないし、なんで都会のネオンから逃げたいんですか。
男  えっ、あっ、なんでだろ、なんで都会のネオンなんだろうねえ、なんとなく、なんとなくの流れでっていう感じはあるかもしれないけど。
女  都会のネオンがなんか悪さしたんですか。
男  いやあ、そんなことないですよ、都会のネオンは悪さなんかしないですよ。
女  嫌いなんですか。
男  嫌いってわけでもないですけどね、むしろ綺麗だなって思うことのほうが多いですけどね。
女  えっ、田舎のネオンだったら大丈夫なんですか。
男  えっ、田舎のネオン。
女  都会のネオンからは逃げたいけど、田舎のネオンなら大丈夫なんですか。
男  えっ、どうだろ、大丈夫そうな気もするけど。
女  都会ってどこまでが都会なんですか。
男  もう、あれ、もう、すみません、都会のネオンからは逃げたくないです、むしろ立ち向かいたいぐらいです、すみません、適当に言ってしまっただけです。
女  じゃあ、何から逃げたいんですか。
男  ええと、なんでしょう。何事からも、ですかね、
女  ああー、分かります、分かります、逃げ出したいけど、何から逃げ出せばいいのか分からない感覚、分かります、分かります。でもね、おじさん、考えてみてください、逃げるってことは逃げるってことですよ、尻尾を巻いて逃げるってことですよ、敵に背中を見せながら逃げるってことですよ、敵って誰だよ、逃げられますか、そんな覚悟ありますか、何事からもってほんとに何事からもってことですよ、親兄弟友達嫁子供仕事趣味その他諸々自分を取り巻く何事からも逃げるってことですよ、そんな覚悟ありますか。
男  覚悟って言われても、今急に思っちゃったことだからなあ、今、覚悟って言われても、なあ。
女  ダメだなあ、おじさん、ダメだなあ、ダメだなあ、ダメですよ、逃げちゃダメですよ、えっ、逃げちゃダメですよね、普通、大の大人が、何逃げるなんて言ってるんですか、逃げちゃダメなんですよ、前を向いて上を向いて、振り返っちゃダメなんですよ、家族はいますか。
男  ええ、ええ、嫁に子供が二人、まだ小さいですが、
女  ダメですよね、逃げちゃ、何弱気になってるんですか、これからでしょ、立ち向かっていかなきゃならないことたくさんあるでしょ、知らんけど、そんなもんでしょ、人生、家族仕事捨てて逃げるなんて、嫁子供の顔、頭に浮かべて言えますか。
男  言えません。
女  そうでしょ、だからね、おじさん、逃げちゃダメですよ、簡単に逃げるなんて言っちゃダメ。
男  ありがとう、逃げちゃ、ダメだよね、やっぱり、そうだよね。
女  ほら、タクシーが来ましたよ、家族の元へ、いつもどおりの顔で、いつもどおり帰ってやんな。
男  ありがとう、それでは。

  

  タクシー、来る。

  男、乗ろうとする。
  女、それを阻止する。

 

男  えっ。
女  具体的には。
男  えっ。
女  逃げるって具体的には何しようとしてたんですか。
男  えっ、あっ、具体的に。
女  そう、具体的に。
タクシー運転手  えっ、ちょっとちょっとお客さん、乗らないの?
男  乗ります、
女  乗りません。
タクシー運転手  えっ、乗らないの。
女  乗りません、っていうか、ちょっと待っててもらえますか。
タクシー運転手  えっ、ちょっと待ってなきゃいけないの。
男  あれ、えっ、何言ってるの。
女  逃がしませんよ、もはや、私から。
男  えっ、何言ってるの。
女  答えてください、逃げるって具体的には何しようとしてたんですか。
男  あれ、さっき、逃げちゃダメだって、家族の元へ帰んなって話だったよね、
女  分かってます分かってます、言いました言いました、逃げちゃダメだって言いました言いました、でも逃げちゃダメだって分かりつつも逃げたくなるのが人間じゃないですか、
タクシー運転手  話長くなりそうだけど、私も待ってなきゃいけないの。
女  っていうか、はい、ほら、今、ほら、だってさっき、私に、逃げてみませんか都会のネオンからって言ったのに、ほら、今、一人でタクシー乗るってことはほら、なんか、そうでしょ、言い逃げっていうか、ね、私から逃げてることになりますよね、ね。
タクシー運転手  いや、私は知らないけども。
男  いや、具体的にと言われましても、そんな考えて発したわけじゃないので、
女  だって言ったんだから、言ったんだから、逃げ出してみませんかって、言ったんだから、どこ行こうかぐらい考えたでしょ。
男  そりゃあ、一瞬は。
女  どこですか。
男  逃避行と言えば、北です。

 

  女、タクシーに乗る。

 

女  運転手さん、北にお願いします。
タクシー運転手  北?
女  北にお願いします。
タクシー運転手  ざっくり、北?
女  ざっくり、北にお願いします。
男  ちょっと待ってくださいよ、さっき決心したとこなんだから家族の元へいつもどおり帰るって、あなたに逃げ出してみませんかっていったのは一時の気の迷いでした、本当にすみません、落ち着きましょう、馬鹿げてるよ。
女  馬鹿げてますか。
男  馬鹿げてますよ。
タクシー運転手  ざっくり、北?
女  ああ、あああ、ああああ。
男  えっ、あっ、あれ。
タクシー運転手  泣かせてしまいましたね。
男  えっ、あっ、ごめん、ごめんよ、泣かないで。
女  ああ、あああ、逃げ出したい、何事からも、
タクシー運転手  よっぽど辛い日々を過ごしているんだろうねえ。
男  えっ、何、どうしたの、何かあったの、そんなに辛い毎日なの。
女  いえいえ、全然、むしろ、職場の人たち優しいし、友達にも恵まれてるし、彼氏もすんごい好きだし愛してくれるし、なんか、むしろ、全然なんだけど、逃げ出したい、何事からも。ああ、あああ。

 

  間。

 

男  分かっちゃうんだなあ、これが。
タクシー運転手  えっ、分かっちゃうの。

 

  男、タクシーに乗る。

 

男  運転手さん、ざっくり、北へ。
  
  タクシー走り出し、暗転。

 

 

2、ホテル。

 

  男、テレビのリモコンをいじっている。
  女はこのシーン中、寝る前にするルーティンをこなす。

  男、誤ってペイチャンネルのお試し版映像を流してしまう。
  女、全ての行動をやめ、テレビを見る。
  男、すぐさま、チャンネルを変える。

  

  間。

  

  男、何事もなかったかのように振舞う。

 

女  見てもいいですよ。
男  えっ。
女  ペイチャンネル
男  見ませんよ。
女  見ないんだ。
男  さっきは間違って押したんです、あれ、このボタンなんだろって、したら、あれが流れたんです、それだけです、決して見たかったわけではありません。
女  見たくないんだ。
男  見たくありません。

 

  雨の音。

 

男  あのう、佐々倉さん。
女(以下、佐々倉)  なんですか。
男  やっぱり、部屋は別々でとったほうがよかったんじゃないかなと。
佐々倉  えっ、なんでですか、別々のほうがいいんですか、ペイチャンネル見たかったですか。
男  違いますよ、だってあなた、もし私がやばかったら、あなた、やばいっすよ、襲われてますよ、やばくなくて感謝して欲しいぐらいですよ、えっ、怖くないんですか、私、さっき会ったばっかなのに。
佐々倉  怖くないですよ、だって逃げてるんですよ、私たち、一緒に逃げてるんですよ、なのに別々の部屋とか意味ないじゃないですか、ただの一人旅じゃないですか。
男  そうだとしてもさあ、自分の体もっと大事にしないと。
佐々倉  棚橋さんて風俗嬢にもそんなこと言いそうですよね。
男(以下、棚橋)  えっ、なにそれ。
佐々倉  私はどう見えますか。
棚橋  えっ、なんですか。
佐々倉  私のこと、どんなふうに見えますか。
棚橋  えっ、あっ、かわいい、ですよ。
佐々倉  あ、ありがとうございました。あっ、いや、そういうことじゃなくて、
棚橋  あっ、ごめん、そういうことじゃなくて。
佐々倉  あっ、えっ、かわいいですか。
棚橋  あっ、いや、変な意味じゃなく、かわいいですよ。
佐々倉  変な意味でかわいいってなんですか。
棚橋  えっ、あっ、なんだろうね、変な意味でかわいいってなんだろうね。

 

  雨の音。

 

佐々倉  変ですね。

棚橋  あっ、えっ、変ですか。
佐々倉  私、変わらない、いつもと同じことしてる、私、風呂上がって、化粧水を二回つけて、保湿して、乳液なんかもつけて、明日は仕事に行かないて決めたのに、私、肌を気にしてる、毎日の夜のお手入れから抜け出せない私がいる、変わらないじゃないですか、部屋別々なんて、意味ないじゃないですか、逃げ出したんでしょ、私たち、それなのに、私、変ですね。
棚橋  ああ、はい、ええ、まあ、そうですね。
佐々倉  雨、止まないですね、
棚橋  ああ、ええ、まあ、雨がこうさせたと言っても過言ではないですね。

 

  雨の音。

 

佐々倉  触りたいですか。
棚橋  えっ。
佐々倉  触りたいですか。
棚橋  えっ、何に?
佐々倉  私に。
棚橋  あっ、あなたに。
佐々倉  そう、私に。
棚橋  ・・・触りたくないですよ。
佐々倉  そうですか。

 

  雨の音。

 

棚橋  勘違いしないでください、決して触りたくないわけじゃないですよ、決して、あなたに興味がないとかそういうわけではありません、むしろ触りたいぐらいですよ、でも触らないんです、そう触らないんです。だってダメでしょう、触っちゃダメでしょう、だって、だって、ねえ、そんな、なんて言うの、ダメだよ、あなたとは今日、会ったばっかだし、私には妻も子供もいるんだし、
佐々倉  妻と子供からは逃げましたよね、
棚橋  妻と子供からは逃げました、妻と子供からは逃げました、だがしかし、だがしかし、ねえ、そんな即座に、ねえ、逃げた瞬間ねえ、ダメでしょう、触っちゃダメでしょう、あなたは、すごくいい匂いですね、うん、なんかもう、風呂上がりのいい匂いだし、風呂上がったあとの女子の雰囲気というかなんと言うか見ちゃいけないものを見せつけられているようで、なんと言うかだけども、ああ、触りたくない、決して触りたくないわけではないんだけども、えっ、触っていいんですか。
佐々倉  触っていいですよ。
棚橋  えっ、触っていいんですか、というか触って欲しいんですか。
佐々倉  触って欲しくないけども触っていいですよ。
棚橋  えっ、それって触っていいんですか。
佐々倉  触っていいですよ、触って欲しくないけど。
棚橋  えっ、それって、僕がここでお金あげてたらエンコーってやつだよね。
佐々倉  エンコーじゃないですよ、お金もらってないんで。
棚橋  ああ、そうか、エンコーじゃないか、お金出してないから、えっ、触るよ。
佐々倉  はあ。
棚橋  えっ、ほら、もう、右手伸びてるよ。

 

  棚橋の右手、伸びてる。

 

佐々倉  そうですね。右手伸びてますね。

棚橋  えっ、ほら、もう、なんか、ほら、どこ触ろうか迷ってるよ、まずはどこに行くべきか迷ってるよ。

 

  棚橋の右手、宙を彷徨っている。

 

佐々倉  頭、背中、腰、脚、おっぱい、お腹、腕、さあて、この右手はどこを触るんでしょうか、触って欲しくないけど。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の右手、棚橋のズボンのポケットからスマートホンを取り出す。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の目、スマートホンの画面を見る。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の左手、スマートホンの画面に触ろうとする。

 

佐々倉  誰ですか。

 

  棚橋の左手、止まる

 

棚橋  えっ、あっ、いやあ。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  奥さんですか。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  逃げたんですよね。
棚橋  逃げたんでした。

 

  別の場所から、全く同じ音、タンタラタラララタラララ、

  二つのタンタラタラララタラララ、  

  佐々倉の右手、スマートホンへ。

  

  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  誰からですか。
佐々倉  彼氏からです、今夜会う約束してたんです。

 

  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

  二人、音の鳴るスマートホンを片手に持っている。
  
  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、もう片方の手で佐々倉に触れる、
  スマートホンが落ち、暗転、音が消える。

 

 3、秘境駅
  
  ベンチが一つ。
  その奥におじさんが寝ている。

  

  棚橋、佐々倉、現れる。

 

佐々倉  いい空気ですね。
棚橋  すごいね、いい空気だね。
佐々倉  誰もいませんね。
棚橋  誰もいないね。
佐々倉  さすが無人駅といったところですかね。
棚橋  すごいね、さすが無人駅だよね。
佐々倉  もう何しても怒られないって感じですね。
棚橋  えっ、何しても。
佐々倉  駅なのに。
棚橋  ねえ、駅なのに、ねえ、駅なのに、誰もいない、駅なのに、自然を感じる、駅なのに、電車が通るのに、無人駅、
佐々倉  どうしてだろう、なんで無人駅って来たくなるんですかね、
棚橋  えっ、なんでだろうね、無人駅だから、っていうより、誰もいないから、いや、うん、誰もいないからじゃない。
佐々倉  誰もいない場所ならたくさんあるでしょうに、それこそ、とことん山とか、とことん海とか、トイレとか、そもそも自分の部屋とか、
棚橋  分かった分かった、すごいことを思いつきました、こういうのはどうでしょう、誰かいそうなのに誰もいないからじゃあないでしょうか。
佐々倉  誰かいそうなのに誰もいない。
棚橋  誰かいそうじゃない、だって、いてもおかしくないじゃない、でも誰もいないからさ。
佐々倉  そういう場所に来たかったというわけですか。
棚橋  いや、まあ、うん、そうなんじゃない。あっ、見て見て、熊出没注意だって。
佐々倉  熊。
棚橋  怖いよー熊、怖いよー、熊出るんだよ、ここ、
佐々倉  死んだフリの練習でもしてみますか。
棚橋  えっ、ここで。えっ、必要。
佐々倉  なにしても怒られませんよ、ここなら。
棚橋  ああ、まあそうだけど。

 

  佐々倉、倒れる。

 

棚橋  あっ、ちょっと、もう、汚れちゃうよ、立って立って、何してもいいからって、もう、やめなよ、もう、
佐々倉  ちょっと黙って、見てください、死んでますか、私。
棚橋  死んでますかって死んでるわけないでしょうに、
佐々倉  違いますよ、棚橋さん目線で見られても困るんです、熊目線で見てもらわないと。
棚橋  熊目線て何よ、僕は熊じゃないんだから、熊目線にはなれないよ、
佐々倉  そんなことは分かってますよ、できる限り、できる限りの話ですよ。

 

  棚橋、できる限りの熊目線で、佐々倉を見る。

 

棚橋  生きてるね、だって、ほら、呼吸してるじゃない、胸動いてるじゃない。
佐々倉  えっ、違います違います、全然違います、全然熊目線じゃなくないですか、っていうか熊じゃなくないですか、えっ、だって、熊にならないと、熊目線になるには熊にならないと、
棚橋  熊になるってなんなのよ、
佐々倉  だって、ほら、熊が二足で立ってますか、いやそりゃたまには二足で立つこともあるでしょうけども、基本四足でしょう、えっ、間違ってますか、基本四足歩行でいいですよね熊って、したら、ねえ、違うでしょう。
棚橋  こうでしょうか。

 

  棚橋、四足歩行になる。

 

佐々倉  そうですよ、熊って言ったらそうですよ、しかしですよ、熊は喋りません、
棚橋  なるほど、あっ、えっ、熊ってどんな鳴き声ですっけ。
佐々倉  えっ、分かんない、熊の鳴き声分かんない。
棚橋  グワオーとかそんな感じ、
佐々倉  まあ、いいでしょう、グワオーで。
棚橋  グワオー、グワオー。
佐々倉  いいですね、熊っぽくなってきましたね。
棚橋  グワオー、あっ、じゃあ、この目線で見ますね。
佐々倉  どうせならこうしてみましょう、ちょっと遠くに行ってもらって、そこから。見つけるところから。
棚橋  見つけるところはいいでしょう。
佐々倉  熊は喋らない。
棚橋  グワオー。

 

  棚橋、四足歩行ではける。

  佐々倉、一人、倒れている。

 

  棚橋、熊となり現れる。

 

棚橋  グワオー、グワオー。グワッ。

 

  棚橋、佐々倉を見つける。

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  棚橋、佐々倉の周りをまわる。

 

棚橋  グワオー、グワっ。

 

  ベンチの裏へ行った棚橋の動きが止まる。

 

棚橋  あっ、えっ、ちょっと、
佐々倉  しゃべらない。
棚橋  あっ、違う違う、えっ、死んでる、死体、死体。
佐々倉  えっ、死体。

 

  佐々倉、ベンチの裏へ。

 

佐々倉  あっ、本当に、死体。これ、死体ですか。すみませーん、大丈夫ですかー。
棚橋  ああ、ちょっと、むやみに触らないほうがいいんじゃないの。
佐々倉  えっ、なんでですか。
棚橋  だって、なんか、ほら、殺人事件とかだったら、ほら、なんか、
佐々倉  息してますよ。
棚橋  息してますか。
佐々倉  すみませーん、大丈夫ですかー、すみませーん。

 

  おじさん、起き上がる。

 

棚橋  わっ。
おじさん  あれ、あっ、今、何時。
棚橋  あっ、今。
佐々倉  何時でしょう、昼前なのは確かですけど、私たちスマホを捨てたので、正確な時間は。時計持ってますか、
棚橋  えっ、時計。あるかな。
おじさん  スマホを捨てた。すごいね、あっ、寝てた。
佐々倉  ええ、多分。
棚橋  あっ、時計あるでしょう、駅だし、時計ぐらい。
おじさん  いや、まあ、ありがとう、俺、あれだわ、スマホ、あるわ、俺の、あっ、充電切れてるわ。

 

  おじさん、時刻表を見に行く。

 

おじさん  あれ、今何時だっけ。
佐々倉  だから私たちは。
おじさん  ああ、そうだった、スマホ捨てたんだった、
棚橋  時計ぐらいありそうですけどねえ。
おじさん  スマホ捨てるってすごいね、スマホ捨てるって、何があったの。
佐々倉  逃げてるんです、私たち。
おじさん  えっ、何どうしたの、殺人でも犯したの。
棚橋  そんなことはしていません。
佐々倉  殺人を犯しました。

 

  間。

 

棚橋  えっ、何、えっ。
佐々倉  三角関係だったわけです、この人と私と、この人の妻と、三角関係のもつれってやつですよ、そして、この人の奥さんを殺しました。あー、この人の奥さんは毎日この人と会っているのに、私は金曜日か土曜日の夜にしか、しかも、月一回ぐらいしか会えない、不公平だと思ったわけです、この人を独り占めにしたかった、だからこの手で殺したんです、うーん、こう、首を絞めたわけです、そして、そうだなあ、この人の家の庭に埋めました、この人には二人の小さな子供がいるということで、その子供も殺しました、通報されると厄介なので、そして親切に母親と同じ庭に埋めてやったというわけです。そして私たちは逃げ始めたというわけです。

 

  間。

 

棚橋  なんでそんな嘘つくの。
佐々倉  何かが物足りないと思っていたんですよ、逃げ始めたのはいいけどもどうも追われている感覚が無い、スマホも捨てたし、あなたは捜索願ぐらい出されているかもしれませんが、私は一人暮らしだし、今はまだ彼氏との約束を一晩ほっぽらかして、一日仕事を無断欠勤しているだけなので、多分捜索願なんて出されていないでしょう、だから、そうですね、ATMでお金を下ろすとなると足跡が付いてしまうんじゃないかと思いまして、とりあえず、しがない地方都市の民家の庭に落ちてあった鎌を拾って、となりに吊るしてあった汚いタオルで顔を隠して、銀行強盗でもしてやろうかと思ったんですが、流石に最初からそこまでは行ける気がしなくて、えーと、とりあえず、牛丼屋強盗をして、二十万円を手に入れたというわけです、はい、そんな、逃避行です。
棚橋  何を言ってるの。
佐々倉  昔、っていうか中学生か高校生ぐらいの時、観た映画を思い出していて、全然内容は覚えてないんですが、なんか銀行強盗とかして二人で逃げるんですよね、その映画を思い出していて、一シーンだけ強烈に覚えているのが最後なんか誰かの知り合いかなんかに裏切られて、なんかめちゃくちゃ銃で撃たれるわけですよ、めちゃくちゃ、もうこっぴどく、撃たれすぎてこう、なんか、跳ねてるんですよね、死体が、跳ねてるんですよね、そのシーンを思い出してて、逃避行の最後っていうのは悲惨っていうイメージがありまして、いやはや、しかし、この逃避行に悲惨な物陰はないぞと、せいぜい職場辞めさせられるとか、悲惨ですけど、超絶悲惨ですけど、誰かに怒られるとか、まあその程度だなあと。
おじさん  この駅から出るでしょう、あの階段を登って、したら、山道に出るのね、その山道を右側に進むわけだ、すると大きな広場に出るのね、広場って言っても、周りバンバン木生えてて、ちょっと広大ななんもない土地があるわけなんだけど、まあ、ヘリポートらしいのね、ヘリが来るのね、なんか、真冬だと雪とか積もるからさ、来れなくなるからヘリで来るらしいのね、なんで来るのかはなんかあんだって、ヘリ使っても来て作業しなきゃならないものが、あるわけよ、その広場にさ、一度だけ、死体が転がっていたのよ、死体が、その死体がおかしいのね、背中にリュック背負って倒れてたっていうのは分かるんだけども、片手に座布団を持っていたというの、これがおかしい、真相は分かっていないんだけども、首を絞められた跡とか刺された跡とかは一切なくて、まあ、行き倒れだとか、ホームレスが最後の場所にここを選んだとか言われているんだけども、なんだ座布団って、リュックを背負っているのは分かるんだけども、座布団ってなんで持ってるのと。
棚橋  リュックの中には何が入ってたんですかね。
おじさん  それは知らないよ、俺、見てないんだもん、そこまでは知らんよ、
棚橋  ああ、すみません。
おじさん  問題は座布団さ、まずこの座布団で出来うる全てのことを考えてみたんだ、まず、座る、これが一番スマートな考え方よ、でも座る必要あるかと、あの山の中のぽつんとした広場で座る必要あるかと、いや、座る必要はあるかもしれない、けど、汚れちゃうよと座布団が、下、土だよと、座布団土まみれになってしまうよと、そして二つ目がこう、折ってさ、二つ折りにしてさ、枕にする、これも同じよ、枕にして寝る必要あるかねと、あんな場所で、あっても汚れちゃうよ座布団が、と。
棚橋  終電逃したのかもしれませんよ。
おじさん  終電逃したから、ああ、ここで寝なきゃとなったその言い分も分かる、分かるんだけど、そもそも何故座布団を持っていたのかねと、そういうことになるよね。
棚橋  確かに。
おじさん  俺の推測はこうだ、俺の推測はだな、これは殺人事件さ。
棚橋  殺人事件。
おじさん  そう、殺人事件なのよ。つまり、その座布団を持った死体というのは落語家さ。その落語家になんらかの恨みを持った人物が、その落語家を殺した。しかし、落語家は死んでもなお座布団を離さなかった、落語家だから、落語家の執念というやつさ、そして、その落語家を殺した奴が、行き倒れて死んだかのように見せかけてここに連れてきた、しかし座布団は離さなかった、落語家の執念というやつさ、これが私の推測です。
棚橋  落語家、それはとても安易な思いつきですね、
おじさん  落語家以外はありえない、落語家以外何がありうると言うんだ。
棚橋  例えば、こういうのはどうです、座布団の開発者。
おじさん  座布団の開発者。
棚橋  座布団の開発者が最高の座布団、もう、すっごい、ふっかふかで、なんかもう、ずっと触っていたくなるような最高な座布団を開発して、もう、すごいぞと、なんか、座布団史上類を見ないすんごい座布団が出来上がったぞと、しかも安いぞと、安い材料費で作れるから、安い値段で売れるぞとなって、その情報を嗅ぎつけたライバル会社がヤバイぞと、こんな座布団売られたらたまったもんじゃないぞということで、その座布団を開発したやつを暗殺した、そこでこの誰も来やしないような場所に行き倒れのように見せかけた、そういうのはどうでしょう。
おじさん  なるほど、落語家が座布団開発者になっただけってことね。
佐々倉  もっとシンプルに考えてみてはどうでしょうか。
おじさん  シンプルとは。
佐々倉  なんか分かんないけど大事な座布団をお母さんかおばあちゃんかなんかにプレゼントで買って、そして歩いていたら、熊に出会った。
おじさん  熊に。
佐々倉  ほら、看板出てるじゃないですか、熊出没注意って、だから死んだふりをした、そしたら、
おじさん  死んだ。
棚橋  実にシンプル。
おじさん  しかし一つだけはっきりしたこと、どんな死に方であったとしてもだ、座布団は大切だったってことさ。
棚橋  確かに。
佐々倉  おじさんはなんでそこで倒れていたんですか。
おじさん  おじさんはどうしてそこで倒れていたか、これまた実にシンプル。おじさんは酔っ払っていた、すこぶる酔っ払っていた、どこにでもある話だね、毎日の仕事、毎日の家族との付き合いの中、別の時間を探す際、おじさんは酔っ払うしかできなかった。酔っ払うしか術を知らなかった、酔っ払いながらこの駅に来ていた、酔っ払いながらふと寝転んでいた、寝転びながらも考えていた、おじさんにとっての座布団とはなんだろうと、おじさんは死ぬのかもしれないと思った、おじさんの右手にはウイスキーの小瓶が握られているだけだった、ただそれだけのことなのでした。

 

  佐々倉、倒れる。

 

棚橋  えっ、ちょっと大丈夫。
佐々倉  大丈夫です、死んだふりをしているだけなのです、重要なことに気付いたのです、死んだふりをして生きてきたのかもしれないと思ったわけです、生きるために死んだふりをしてきたというわけです、あー、生きるために死んだふりをするというのは、あー、なんだか、なんだかって感じですね、あー、

 

  おじさん、倒れる。

 

棚橋  もう、おじさんまで。
おじさん  なるほど、死んだふりをしてきたというわけか、死んだふりをしながら死んでいこうとしているというわけか、しかし男なら、いや男ならという考えは良くないのかもしれない、人間ならば、いや、生物ならば、一度くらい死んだふりをせずに熊と戦ってみたいものよのお。
佐々倉  あっ、熊だ。
棚橋  えっ、どこ。

 

  佐々倉、指差した先には棚橋。

 

棚橋  えっ、俺。
佐々倉  あっ、熊だ。
棚橋  えっ、また。
佐々倉  あっ、熊だ。
おじさん  うわあ、熊だ。

 

  棚橋、四足歩行になり、

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  棚橋、うろうろする。

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  おじさん、立ち上がる。

 

棚橋  グワッ、グワオ。

 

  おじさんと熊、見つめ合う。

 

おじさん  さあ、さあ来い。
熊  グワオー。

 

  おじさんと熊、取っ組み合う。

 

佐々倉  おじさん、がんばって、おじさん、がんばって。
おじさん  うおおお。
熊  グワオー。

 

  おじさん、熊を一本背負い

 

熊  グワオ、オオ、

 

  おじさん、勝利の仁王立ち。

 

おじさん  勝った。
棚橋  負けた。本気でやったのに。
佐々倉  やった、おじさん、
おじさん  勝った、勝った、熊に勝ったぞー。熊に、勝ったぞー、うおー。

 

  おじさん、栄光に浸る。

 

おじさん  勝ったけど、なんだ、勝ったからなんなんだ。
佐々倉  おじさん。
おじさん  勝ったからなんなんだ、英雄も自分で英雄だと思うのは一瞬だというわけだ、あとは栄光に浸る時間があるだけ、英雄じゃない英雄だった自分に戻るというわけか、俺は熊に勝った、それは確かなわけだけども、ね、なんなんだ。うん、帰るよ、それじゃ。

 

  おじさん、去る。

  残された二人。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  あっ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  捨ててなかったんですか。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  あっ、いや、マナーモードにしてたんだけどね。

 

  タンタラタラララタラララ、
  
佐々倉  捨ててなかったんですか。
棚橋  捨てようと思ってたんだよ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  捨てないんですか。
棚橋  捨てますよ。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、スマホを手にとる。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、スマホを見つめる。

 

佐々倉  捨てないんですか。
棚橋  捨てるって言ってるじゃない。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、思いっきりスマホを投げる。
  棚橋と佐々倉、その行方を見ている。

  タンタラタラララタラララ、が消え、暗転

 

4、海食崖、崖の上。

 

  波の音。海猫の鳴き声。

  棚橋、佐々倉、いる。

 

佐々倉  海ですね。
棚橋  そうですね。
佐々倉  海来ちゃいましたね。
棚橋  断崖絶壁ですね。これが断崖って感じですね。
佐々倉  どうして海に来ちゃうんでしょう。
棚橋  あなたが言い出したんですよ。
佐々倉  えっ、そうか私か、いや、棚橋さんでしょ。
棚橋  いや、佐々倉さんですよ。
佐々倉  そんなことはどうでもいいでしょうに。
棚橋  刑事ドラマみたいですね、ほら、あるでしょう、最後に犯人を追い詰めて、なんか私がやったわって白状してって、
佐々倉  私、刑事ドラマ見ないので。
棚橋  いや、俺もあんま見ないけどさ。
佐々倉  死を、意識せざるを得ないわけです。
棚橋  やめなよ、そういうこと言うの。
佐々倉  本当のことを言ってるの、死を意識してしまう、この波を見ていると、この雲を見ていると、この、音を聞いていると。時間がすごく遅く感じる。
棚橋  本当のことは重要かな。
佐々倉  逃げているんですよ、棚橋さんはあれですね、逃げることからも逃げているといった感じですね。
棚橋  そんなことないじゃない、逃げてるじゃない、ちゃんと逃げてるじゃない、スマホも捨てたじゃない。
佐々倉  じゃあ見てくださいな、この海を、この崖を、このゴツゴツした岩岩を。
棚橋  何、死にたいってこと。
佐々倉  考えているのです、この逃避行の終わりを、私たちは何を求めているのか、この関係はいつまで続くのか、うーん、うん、考えているのです。
棚橋  死にたいってこと。
佐々倉  死にたい、いや、死にたいかどうか、うん、いや、確固とした実感が、だから、そうですね、こういうことです、あの秘境駅でおじさんが熊に勝った時の実感が、うーん、だから、さっき食べた海鮮丼はまさしく美味しかったんですが、美味しかっただけといいますか、いや、だから、どうしたいですか。
棚橋  えっ。
佐々倉  これからどうしたいですか。
棚橋  うーん、どうもしたくないんだよなあ。
佐々倉  どうもしたくない、そうなんですよねえ。
棚橋  死にたくもないし、誰かに追いかけられているわけでもないから遠くに行く必要もないし、というか面倒くさいし、ここで家借りていっちょしばらく住み着いてやりますかとそんな意欲もなければ、お金もないし、もはや、もう、帰りたくも、ない。
佐々倉  どうもしたくないとはこういうことですね。

 

  間。

 

佐々倉  えっ、帰りたくないんですか。
棚橋  えっ、帰りたく、ないよ。
佐々倉  あっ、そうなんですか。

 

  間。

 

棚橋  えっ、そうじゃないの。
佐々倉  えっ、あ、そうじゃないのとは、
棚橋  えっ、帰りたいの。
佐々倉  いやいや、帰りたくないですよ。
棚橋  えっ、帰りたいよ。
佐々倉  えっ、帰りたいんですか。
棚橋  あっ、うん、ちょっと帰りたいかなって。
佐々倉  えっ、えっ、あっ、ちょっと。
棚橋  そう、ちょっと。ね。
佐々倉  まじすか、まじすか、ちょっと帰りたいんですか。
棚橋  いや、ちょっとね、ちょっとだよ、えっ、帰りたくないの。
佐々倉  帰りたくないですよ。
棚橋  あっ、なんだ、帰りたいのかなって。
佐々倉  そんなこと言ってないじゃないですか、帰りたいなんて、私、一言も言ってないですよね、
棚橋  えっ、だって、なんか雰囲気が。
佐々倉  だって、ここで帰ったらなんか。負けじゃないですか、なんか負けじゃないですか。
棚橋  なんとなく分かるけど、なんとなく、
佐々倉  えっ、まじで、まじで帰りたいんですか。
棚橋  いや、だから、それは、ちょっとね、ちょっと。
佐々倉  ちょっとなんかないでしょ、帰りたいにちょっとなんかないでしょ、帰りたいか否かでしょ、ちょっとって、それ、ずるいなあ、逃げてるなあ。
棚橋  逃げてるって言われても、ちょっとはちょっとなんだもん。
佐々倉  いや、ずるいずるい、帰りたいなら帰りたい、帰りたくないなら帰りたくない、どっちかですよ。
棚橋  じゃあ、帰りたくない。
佐々倉  信じられないなあ、その言葉、今さら。
棚橋  えっ、じゃあ、帰りたいですよ。
佐々倉  えっ、帰りたいんだ、帰りたいんですね、まじか、帰りたいんだ。
棚橋  えっ、何、どうすればいいの、なんて答えれば正解なの。
佐々倉  正解とかないんすわ、帰りたいって思ってる時点でちょっとちょっとなんですわ、
棚橋  仕方がないじゃない、仕方がないじゃない、仕方がないじゃない。帰りたいよ、ちょっとは。その、培ってきたんだから、家庭とか、仕事とか、培ってきたんだから、色々と、考えて、必死こいて、潰れなさそうなとこ慎重に選んで、上司にダメなやつ認定されないようにアレして、嫁さんとなんかいろいろ子供のこととか相談しながら、さあ、なんか、休日はちゃんと家にいるし、俺の親父の時みたいに仕事仕事にならずに、でも、仕事もちゃんとしながらだけど、休日は出来るだけ家族と一緒にいるし、嫁と二人きりで今だに月一回デート行くみたいな若々しい関係もさあ、培ってきたわけよ、潰しちゃったんだから、この逃避で、いや、まだ分からないけども、今なら、まだ間に合うかもってどっかで思ってるわけだけども、明らかに、あなたと関係を、いや、だから、その、肉体関係も持ってしまったわけだし、その、浮気とか不倫とか一切なかったのに、いや、そりゃあ、いろいろ、うーん、いや一切しなかったわけなのに、ここに来て、ある意味、浮気して、精神的には、あれかもしれないけども、いや、違う違う、いや、そうじゃないんだけども、しかし、少なくとも肉体的にはね、肉体的にはさあ、やってしまったわけだけども、だって、そりゃあ、やるじゃない、って、ってそんな話じゃなくてですよ、まあ、聞いて、聞いてるか、だから、培ってきたんだもん、色々と、一番上がこないだ初めて料理作って、無理して、カレーとか作っちゃって、嫁に習って、なんか、まあうまいよって、そんな、そこまでじゃないけどうまいよ、うまいよ世界で一番なんて言ったりして、そろそろ反抗期とか来そうでビクビクしながらも、あいつは大丈夫かもとか思ったりしてる自分もいてって、いや、でも来るんだろうなあ、反抗期、怖いなあ、いやだなあ、反抗期来たらいやだな、お父さんの後のお風呂嫌だとか言われたら嫌だな、嫌すぎてへこむな、へこみすぎて、あれだな、なんかうーん、へこみすぎるだろうな、うーん、あれ、そう、何の話だっけ、いや、だから、そういうのをさ、培ってきたわけじゃない、だからさ、だってさ、うん、だからさあ、そういうことだよ。うーん。
佐々倉  逃げようっと言ってきたのはあなたですよ。
棚橋  逃げようって言ったのは私でした。逃げようっと言ったのは私です、逃げたいって思ったのも確かなのでありました。しかし、何から、そして、どこへ。
佐々倉  それを探す旅とでも言いましょうか。
棚橋  あっ、なるほど、それは、少しかっこいいですね。ニンクウってアニメ知ってます?
佐々倉  名前ぐらいしか。
棚橋  その、主人公のフウスケが、母ちゃん探して旅してんだってよく言うわけですよ、そんな感じで、俺、逃げる理由探して逃げてんだって、言うのは、少し、そうですね、なんか、いいですね。
佐々倉  ああ、ああ、まあ、いいですね、うん、なんか、いいと思います。
棚橋  そうですね、すみません、なんか、
佐々倉  とりあえず、駅まで戻ってみましょうか、
棚橋  そうですね、しかし、すごい崖だなあ、ここは、

 

  二人、はける。

 

  青年、トボトボ現れる。
  崖の上に立つ。

  海を眺める。
  太陽を見つめる。
  息を思い切り吸い、

 

  二人、そっと戻ってくる。

 

棚橋  あのう、
青年  太陽の、バカヤローっ。
棚橋  えっ。

 

  間。

 

青年  太陽の、バカヤローっ。

 

  間。

 

青年  太陽の、
棚橋  私は好きだーっ。

 

  間。

 

青年  えっ。
棚橋  太陽が、大好きだーっ。

 

  間。

 

佐々倉  あれ、なんか、ありましたね、そういうCM、なんか、ありましたね。

 

  間。

 

棚橋  私は好きだーっ。
青年  あのお、
佐々倉  私は普通だーっ、好きとか嫌いとか、太陽に対してそんなに感情を持ったことがないーっ。

 

  間。

 

青年  俺は、俺は、バカヤローっ、太陽のバカヤローっ。
佐々倉  私は普通だーっ。

 

  間。

 

棚橋  実は私も普通だったーっ、夕日とか朝焼けとか綺麗って思うことはあるけど、あー、好きだわー太陽、めっちゃ好きだわーって感覚ではないかもしれないと今思ったから、私も普通だーっ。
佐々倉  そういう話を聞くと私は嫌いだったー、太陽が嫌いだったー、肌的にシミになるからだーっ。

 

  太陽を眺める三人。

 

青年  なんなんですか、あなたたちは。
棚橋  君が自殺をすると思った。しかし、君は自殺をしなかった、ただ叫んだ。だから私も叫んだ。
佐々倉  私たちは何をしようとしているのか分からなくなりました。なにかしようとして何もしていないような、だから叫んだ。
青年  ああ、はあ。
棚橋  私たちは逃げているのです。
青年  えっ、何から。
棚橋  それを探す旅とでも言いましょうか。
青年  えっ、何言ってるんですか。
佐々倉  あなたはなんで叫んでいたの、まさか本当に純粋な気持ちで太陽がばかやろうと思って叫んでいたわけではありますまい。
青年  いや、まあ、はあ。
棚橋  是非、聞きとうございますなあ。
青年  えっ、なんで。
棚橋  えっ、なんでって、ねえ。
佐々倉  ねえと言われましても。
棚橋  なんでだろ。
青年  えっ、なんで聞きたいんですか。
棚橋  なんで、ちょっと待ってください、ちょっと待ってくださいよ。うんそうだ、これだ、これじゃダメですか、ただ聞きたい、これじゃダメですか。
青年  なんすかそれ、興味本位ですか。
棚橋  そうです、興味本位です。
青年  いやですよ、じゃあ、
棚橋  ちょっと待って、こういうのはどうでしょう、聞いて相談に乗ってあげたい、
青年  なんすかその上から目線は、なんで見ず知らずの人に相談をするんですか、頭いかれてるんですか、
棚橋  えっ、頭いかれてるのかな。
青年  恥ずかしいでしょ、誰もいないと思って叫んだんだから、ちゃんと確認して叫んだんだから、あなた方が行ってしまってもう戻ってこないと思いながら叫んだんだから、
佐々倉  つまり太陽に叫ぶってことは太陽に叫ぶなりの理由があってのことでしょう。太陽に叫びたくなるぐらいの大きなことがなきゃ叫ぶことはないでしょう、例えば、家のゴミ箱にハエがたかってて、うわ、もう最悪、糞が、おいおいおいおい、太陽のバカヤローっとそうはならないわけでしょう。
青年  それはどうでしょうかね、太陽に叫びたくなるぐらいの大きな理由がなくとも太陽に叫びたくなることはありうるのでないすかね。
棚橋  つまりあなたは太陽に叫びたくなるぐらいの大きな理由なしで太陽に叫んでいたとそういうわけでしょうか。
青年  そういうことになりますね。
棚橋  ではなんで叫んでいたんでしょう。
青年  それが、確固たる理由がないんですね。
棚橋  確固たる理由がない。
青年  それはもちろん、モヤモヤした理由はありますよ、先週告白したらふられたし、進路希望どうしようか分かんないし、ゲーム買うお金欲しいし、しかし、確固たる理由はないんですね。
棚橋  なるほど、つまりモヤモヤしているから叫んだ、そういうことになりますかね。
青年  そういうことになりますねって言ってるそばから、バカヤローっ。

 

  間。

 

青年  どうですか。
棚橋  えっ、なんですか。
青年  僕の叫び、どうですか。
棚橋  いや、なんか、すごいね、ねえ。
佐々倉  はい、なんか、モヤモヤの魂っていうか、ねえ。
青年  そうでしょ、週一ぐらいでここに来て叫んでいるんです。
棚橋  それはすごい、それは、もう、なんというか、プロですね。
青年  そうでしょ、もはやプロじゃないかな、
棚橋  いや、すごい、プロのなんかを経験できるとは。
青年  あなたの叫びも良かったです。
佐々倉  えっ、私ですか。
青年  そうですね、なにか、なんというか、モヤモヤ度が、すごく、でも、あなたはダメですね。
棚橋  えっ、ダメなの。
青年  なんか、ダメですね。
棚橋  えっ、なんで、なんでダメなの。
青年  えっ、なんでだろ、もっかい、もっかい叫んでみてよ。
棚橋  えっ、分かりました。

 

  棚橋、叫ぼうとするが、

 

棚橋  えっ、なんて叫べばいいんでしょう。
青年  もうダメだ、その時点でダメだ。
棚橋  ええっ、どうしよ、なんて叫ぼう。
青年  思ったことをそのまま言えばいいんですよ。
棚橋  太陽のバカヤローっ。

 

  間。

 

青年  ダメですね。
佐々倉  ああ、ダメだなあ。
棚橋  えっ、なんで。
青年  だってまず、僕のパクリじゃない。
棚橋  君だってどっかで見たことあるような聞いたことあるような文句のパクリじゃない。
青年  いや違うんですね、僕は違うんですよ、僕は太陽バカヤローって思ってんですね、本気で、あんた思ってないんですよ、太陽バカヤローって思ってないんですわ、本気で思ったこと言わないと。
棚橋  本気で思ったこと。
青年  ほら、目を閉じて、
佐々倉  息吸って。
青年  浮かんできたでしょ、言葉、浮かんできたでしょ。
棚橋  ああ、ああ、あああ。
青年  ほら来てんじゃない、言葉、来てんじゃない、
棚橋  ああ、案ずるが産むが易しーーっ。

 

  間。

 

佐々倉  どういうこと。
青年  まあ、さっきよりは、まだまだいけるね、
棚橋  まだまだっすか、プロ。
青年  もっとモヤモヤ度をね、モヤモヤ度を深めていかないと。
棚橋  モヤモヤ度。
青年  はい、目閉じてえ。
佐々倉  息吸ってえ。
棚橋  言葉、言葉ってやつはーーっ、

 

  間。

 

青年  んん、ちょっと遠のいたかな、ねえ。
佐々倉  そうですね、ちょっと、高尚に見られたいって欲が出ましたね。
棚橋  ああ、欲出ちゃってた、欲出ちゃってた。
青年  はい、目え閉じてええ。
佐々倉  息吸ってええ。
青年  ここ大事よ、ここ大事だから。
棚橋  はい、あっ、息が。
佐々倉  息吸ってええ。
青年  モヤモヤ度深めて、モヤモヤ度深めて、今まで生きてきた中で感じたモヤモヤ、深めて、はいっ。
棚橋  アーノルドッ、シュワールツネッガーーっ。

 

  間。

 

青年  いいじゃん、
棚橋  えっ、いいっすか。
青年  ねえ、
佐々倉  うん、
青年  めっちゃいいよ、すごい、めっちゃいいって言ってるそばからシュワールツネッガーーっ。
佐々倉  ネッッガーーっ。
三人  ネッッガーーっ。

 

  間。

  夕日が沈んでいる。

 

青年  夕方と、夜の、境さ。
棚橋  えっ。
青年  三谷幸喜の映画で知ったんだけど、マジックアワーって言うんだってさ。
佐々倉  ああ、あの、映画。
青年  カメラで一番美しく撮れる時間帯ですわ、カメラ持ってないけど。
棚橋  スマホなら、あっ、スマホ捨てたんだった。
青年  スマホ、捨てた、やばいね、あっ、俺のスマホで撮ろっか。
佐々倉  あっ、そういう流れ、写真撮る流れ。

 

  青年、スマホを掲げる。
 
青年  はいっ、ポーズっ。

 

  ポンっ。

 

棚橋  カシャって言わないんだね、
佐々倉  そうですね、最近のは。
棚橋  なんだか、なんだかって感じだね。
佐々倉  そうですね。
青年  ラインで送りたいんだけど。
佐々倉  あっ、私たち、スマホを、
青年  あっ、そっか、捨てたんだっけ、えっ、なんで。
佐々倉  逃げてるからですよ。
青年  ああ、そっか、逃げてるんだった、そっか、じゃあ、この写真は俺だけのものか、なんか、なんだかなあ。
棚橋  大丈夫です、この経験は忘れません、このモヤモヤは。
佐々倉  モヤモヤ。

 

  三人、夕日があったであろう方向を見つめる。

 

青年  俺、自殺するわ。

 

  間。

 

棚橋  ああっ、えっ、そう。えっ、なんで。
青年  海猫が呼んでいるんだ、お前も一回ぐらい空飛んでみたらどうかってさ、
棚橋  ああっ、えっ、すごいね、どうした、何があったの。
青年  だからなんにもないんだって、なんにもないんだけどね、
佐々倉  あるね、ありますよ、そういう時。
青年  あっ、分かる、
棚橋  えっ、ある、海猫に呼ばれる時なんてあるの。
佐々倉  海猫に呼ばれる時はないですね。
棚橋  えっ、どういうこと、
青年  俺、自殺する。
棚橋  えっ、今、今すぐするの。
青年  今、うん、今だな、そう、今この時、うん、今このマジックアワー、うん。
佐々倉  マジックアワー、それは写真だけでなく人までもマジックにかけてしまうものなんですね。
棚橋  何言ってるの。
佐々倉  一つ、提案があります、私たちにあなたを殺させていただけませんか。
棚橋  えっ。
佐々倉  突き落とさせてもらってもいいかな、あなたを。
青年  俺を殺すってこと?
棚橋  何言ってるの、佐々倉さん。
佐々倉  私たち、なにか、振り切れてないんじゃないかって、なにかが、なんだろ、何かが。
棚橋  ちょっと待って、ない、ないよ、何言ってるの。
青年  えっ、俺、殺したいの。
佐々倉  いや、全然。
青年  じゃあ、なんで。
佐々倉  今のままじゃ、なんだか、そう、なんだかって感じなのね。
棚橋  佐々倉さん、落ち着いて。
佐々倉  落ち着いてます、私は至極冷静です。
棚橋  至極て何、至極なんて言葉使う女の子いる、至極冷静て、
青年  いいよ。
棚橋  ちょっと、何言ってるの。
青年  自殺したいって思ってたのは事実なんだわ、死にたいって思ってたんだわ、怖いけど、めっちゃ怖いけど、スカスカなの、なんか、スカスカしてるの、表層的な付き合い、いや、そんなんじゃないけど、友達はいないわけじゃないよ、けっして、いじめられてるとかそういうのもないんだよ、ただ、スカスカなんすわ、そう、ずっと、今だけじゃない、ずっと、飛びたいって、あの、海猫みたいに飛びたいって思ってたんですわ、でも、人間、飛べないよね、人間、海猫じゃないから、飛べないよね、飛行機とかじゃなくてよ、ちゃんと自分の体で、飛びたいって、人間は、でも、一回しか飛べないわ、そりゃあ、スカイダイビングとかも別よ、そういうの抜きにして、俺たち、一回しか飛べないわ、でもさあ、それ、ありじゃあない、って、あなたたちと叫んで、すごい、なんて言うか、ランキング上位だわ、FFテンの雷除け200回連続成功したぐらい上位、うん、叫んでる時だけなのよ、俺は、叫んでる時だけ、でも、だんだん叫ばなくなる、俺も、叫ばなくなっていく、なんだか、なんだか、ね。ありじゃないかって。
棚橋  考え直せ、考え直せ、生きてたらいいこといっぱいあるぞ。
青年  そりゃああると思うよ、そりゃああると思うけどね、そういうことじゃないんだよね、
棚橋  ええ、どういうこと。
佐々倉  棚橋さん、
棚橋  えっ、何?
佐々倉  逃げ出したいって言いましたよね。
棚橋  言いましたけどもね。
佐々倉  チャンスだと思うんですよ、
棚橋  何がチャンスよ、逃げ出したくても人を殺したいなんて言ってませんよ。
佐々倉  私たち、逃げきれてないじゃないですか、なんか、逃げきれてないじゃない、これはですよ、なんて言うんですか、逃げざるを得なくする行為とでも言いましょうか、だって、そうでしょ、根本間違ってたんですよ、だって、何も逃げることがないんだもん、そりゃあ、わけ分かんないよ、逃げることから逃げられなくするためにですよ、
棚橋  殺すの、逃げるために殺すの、どういうこと、そんなことってある?
佐々倉  だって、あなたはさ、なんかさ、だってさ、一回私とやったぐらいでさ、めっちゃ逃げたみたいな感じ出してますけど。
棚橋  どういうこと、一回あなたとやったら、逃げた感って何、
佐々倉  だって、なんか、私、なんか、全然逃げられてる気がしないんだもん、あんま、変わらない、なんかスリルというか、いや、そう、なんだろ、逃げてるぞーって感じ、なんか、いや、もう、逃げてることを求めてるわけじゃないと分かっていつつも、えっ、何を求めてるんだ、って、分かんないけど、でも、とことん、とことんやってみたいと思ってるのね、とことん、何かをとことん、そう、これよ、なんでもいいけど、とことんってこと、とことんやってみたい、それが今、とことん逃げてみたい、でも全然とことんじゃない気がして、とことんやってみないかと、この青年を死なせてあげて、そしたら、警察が殺人事件じゃないかってなって、私たちはそれから、とことん逃げるの、もうほんと、とことん、そういうこと、分かる?
棚橋  えっ、ちょっと待って、ちょっと、えっ、いいの。
青年  やってみよっか。
棚橋  待って、ダメだよ、えっ、そんなんで命捨てていいの、いやダメでしょ、えっ、
佐々倉  じゃあいいですよ、分かりました、私だけで、私だけでやりますから、棚橋さんは帰ってくださいよ、奥さんと子供のもとへ、帰って、私だけで逃げます、私だけで。
棚橋  なんでそんなこと言うの、なんでそんなこと言うの、一緒に逃げてきた仲じゃない。
佐々倉  じゃあどうするのですか、

 

  青年、崖の淵に立ってる。

 

青年  マジックアワー。
棚橋  やっぱり考え直そう、気が狂ってるよ。
青年  こええ。
棚橋  怖いだろ、怖いだろ、やめとけ、戻ってこい。
佐々倉  私はこの青年を押します、そして、走ります、ダッシュします、ダッシュで逃げます、初めて人を殺します、そしてダッシュで逃げます、何事からも、本当に何事からも、日常からも、彼氏からも、親、お兄ちゃんお爺ちゃん、おばあちゃん、父方のお婆ちゃん、美沙子、洋次、高橋先輩、中澤先輩、新井さん、三沢さん、常連のおばさんたちからも、全てから逃げます、それぐらいのことしなきゃ、それぐらいのことしなきゃ逃げられませんよ、きっと、とことん、とことん逃げるって、そう、この、若者を崖から、それぐらい、とことん、
棚橋  佐々倉さん、
佐々倉  棚橋さんはそこで見てるんですね、とことん、見てるんですね。
青年  いく、いっちゃう、まじで、いく。
佐々倉  いきますよ。
青年  最後の言葉考えないと、どうしよ、人生最後の言葉なんて言おう。

 

  佐々倉、一歩前へ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  えっ。
棚橋  あっ、えっ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

青年  あああ、死ぬかと思った、死ぬかと、思った、生きてる、俺、生きてる。
棚橋  えっ、携帯、君の?
青年  ああ、えっ、携帯、えっ、僕のじゃないですよ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  捨てたよね、スマホ、捨てたよね、

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  捨てたのに、えっ、どっから聞こえるの、なんで、なんでスマホが鳴るの。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  ああ、あああ、あああ、
棚橋  佐々倉さん。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  スマートホンの音が世界を包み込み、暗転。

 

 5、ネイルサロン。

  

  佐々倉、いる。

  棚橋、入ってくる。  

 

佐々倉   いらっしゃいませ〜。
棚橋  どうも。
佐々倉  今日はどのようになさいましょうか。
棚橋  えっ、あっ、えっ、どのように、
佐々倉  ネイル、されにきたんですよね、
棚橋  えっ、あっ、ええ。では、ネイルを。
佐々倉  どのプランになさいましょうか、
棚橋  えっ、プラン、
佐々倉  ジェルプランですとお値段7500円、
棚橋  7500円っ。
佐々倉  普通のカラーリングですとお値段5000円、
棚橋  5000円っ。
佐々倉  あと爪をテカテカに、もうテッカテカにするプランなどもありますが、
棚橋  じゃあ、あのう、普通ので、
佐々倉  普通のでよろしいですか、
棚橋  普通ので、よろしいですよ、
佐々倉  このジェルプランの際は、普通の方より本当に落ちにくいと評判でして、ほら、これも、私がしているのなんかもこのジェルを使ってるんですが、ほら、見てください、これで2週間目なんです、普通の方ですと、2週間も経っちゃうとほとんど落ちちゃうんですが、まあ、どっちみち爪は伸びてくるのでまた塗りに来なきゃいけないんですけどね、でも、まあ、見比べてみたら分かるんですけど、ツヤとか、全然違ってきますね、もう、全然。まあ、そんな感じなんですが、どうしますか、
棚橋  ああ、ええ、いや、普通のほうで、
佐々倉  かしこまりましたー、それでは。
棚橋  えっ、
佐々倉  あっ、手を。
棚橋  あっ、手か、
佐々倉  はい、手を。ネイルしますんで、
棚橋  そうですね、あっ、そうでした、

 

  棚橋、手を出す、
  佐々倉、手を見る。

 

佐々倉  荒れちゃってますね、
棚橋  荒れちゃってますか、
佐々倉  整えていきますね〜。

 

  間。

佐々倉  今日はどうしていきましょうか。
棚橋  えっ、あっ、どうしましょう、
佐々倉  お客様、初めてですか、
棚橋  ええ、ええ、初めてです、
佐々倉   緊張しなくても大丈夫ですよ、リラックスしてくださいねー、男性のお客様もたまにいますよ、今の時代、女性だけのものではないですから。
棚橋  ああ、はい。
佐々倉  花つけたり、星つけたり、そういうようなネイルは望んでないですかね、シンプルに色塗るだけって形で進めていきましょうか。
棚橋  ああ、はい。
佐々倉  何色がいいですか。
棚橋  何色がいいですかね、
佐々倉  えっ、私が決めるんですか。
棚橋  えっ、ダメですか。
佐々倉  ダメじゃないですが。
棚橋  お願いします。
佐々倉  はあ、そうですねえ、あまりあからさまに明るいピンクとかオレンジてのもあれでしょう、
棚橋  あれですね、
佐々倉  かと言って無難な当たり障りないというのもどうかとも思いますよね、
棚橋  どうかと思いますね、
佐々倉  水色なんてどうでしょう。ちょっと新たな世界にチャレンジする感覚で。
棚橋  ああ、いいですね、水色、はい、じゃあ、水色で、
佐々倉  水色で、かしこまりましたー、じゃあ、温めていきますねー。

  

  間。

 

棚橋  あれから。
佐々倉  は、
棚橋  どうしてた。
佐々倉  あれから。
棚橋  あれから。
佐々倉  あれから。
棚橋  どうしてましたか?
佐々倉  なんのことでしょう。

 

  間。

 

棚橋  確かに。
佐々倉  はあ。
棚橋  言った。
佐々倉  何を。
棚橋  もう会わないって。
佐々倉  はあ。
棚橋  言った。
佐々倉  拭いていきますねー。
棚橋  君もか。

 

  間。

 

棚橋  君もなの。
佐々倉  ええと、何がですか。
棚橋  あれから、あれから、僕は、あれから、
佐々倉  カラーリングしていっちゃいますねー。
棚橋  家帰って、嫁に、いろいろ聞かれて、分からないって、なんか、記憶喪失装って、分からないって、会社にも、それで通して、病院行ったりして、特に異常はないけどもって、なって、ねえ、なんか、でも、疲れてるんだろって、会社からは、特に怒られたりもせずに、有給扱いなって、クビとかには全然ならず、家庭も崩壊なんてなく、皆、分かってるんだよね、きっと、絶対、記憶喪失とか嘘だろって、分かってるんだけどね、分からないから、どうして三日間もいなくなるのか、人がどうして、三日間もいなくなるのか分からないから、嫁とかもさ、浮気かなんかかもって、思ってんだろうけど、まあ、実際浮気まがいのこともあったけど、いや、そういうことじゃなくて、でも、壊れたくないからさ、壊したくないからさ、皆、信じてくれて、あの三日間は、なんか、なくなって、なんだったんだろって、けっこう、僕的には、すごいことしたんだけど、とてつもないことした気でいたんだけども、
佐々倉  なんのことか全然分かんないんですけどね、
棚橋  本気で言ってるの、
佐々倉  なんのことか全然分からないんですけどね、三日間、いなくなったんですか、仕事ほっぽらかして浮気したってことですかね、分からないですけどね、すごいですねー、そんな経験私したことない、一度はそういうことやってみたいですよねー、
棚橋  やめてやめて、えっ、ごめん、ごめんよ、俺のこと知らないふりするのやめて、ごめんよ、約束破ってごめんよ、でもさあ、一回でいいんだ、一回だけ、話してよ、あの時のこと、どう思ってるのか、あれからどうしていたのか、君まで、なんか、さ、一回だけでいいからさ、話してよ、仕事辞めさせられなくて済んだってことかな、
佐々倉  私、仕事辞めさせられるようなこと一回もしてませんけど。
棚橋  君は、えっ、なんなの、えっ、忘れてるの、覚えてないの、
佐々倉  動かさないでくださいねー。
棚橋  すみません。動かしませんから、動かしませんから、君は、えっと、なんだ、えっ、名前は。
佐々倉  名前、私ですか、佐々倉と言います、指名してくれたりする感じですか。
棚橋  佐々倉さんだよね、佐々倉さんだよね、佐々倉さんだよね。
佐々倉  大丈夫ですか、
棚橋  僕だよ、棚橋ですよ。
佐々倉  はあ。初めまして。
棚橋  逃げ出したいって言ったでしょ、そしたら、君も、逃げ出したいって。
佐々倉  すみません、動かさないでくださいねー、
棚橋  あっ、はい。すみません。今度はさ、今度はすごいから、僕、今度は凄いことするから、ねえ、逃げようよ、もう一度、ねえ、逃げ出そうよ、ここからさ、俺、ちゃんと逃げますから、ガチでとことん、ガチマチに逃げるから、銀行強盗もするし、殺人だって犯すかもしれない、今度の俺はすごいから、君が逃げてるってバッチバチに、もう、バッキバキに感じるように逃げるからさ、俺の世界はここじゃないのよ、違うんだ、こんなまやかしの世界じゃないのよ、戻ってきて気付いたのよ、ねえ、逃げよ、もう一回、もう一回だけでいいからさ、
佐々倉  はーい、動かさないで、そのままでいてくださいねー、
棚橋  そういうこと、そういうことなの。
佐々倉  そういうことです、そういうことですよー。
棚橋  ああ、はい、すいません、
佐々倉  すぐに終わらしますので、すぐに終わらしますので我慢してくださいねー。
棚橋  帰ります、
佐々倉  まだ途中ですよ、まだ全然終わってませんよ。
棚橋  鳴り止まないんだあの音が、
佐々倉  音?
棚橋  あー、うるさい、ほんと、うるさい、
佐々倉  大丈夫ですか、何も聞こえませんが、
棚橋  聞こえなくなったの。
佐々倉  えっ、なんですか、何か聞こえてる感じですか。
棚橋  スマホの着信音ですよ。
佐々倉  着信音。
棚橋  鳴り止まないんですよ。
佐々倉  でればいいじゃないですか。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  えっ。
佐々倉  でればいいじゃないですか。
棚橋  でる。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  でる。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ

 

棚橋  はい、もしもし。

 

  音が止むが、棚橋の右手の指には水色がついてる。

 


終わり。

 

おつかれサワーサワー

「おつかれサワーサワー」

  

  女、いる。
  男、歩いてくる。

  男、手に刃物を持っている。
  男、女を刺す。

  刺された女、驚き、刺された箇所を押さえ、倒れ始める。
  刺した男、刃物を抜き、その刃の血を眺める。


男   刺した、俺が刺した、赤い、血が、赤い、いや、赤くない、これは赤じゃない、これは血、血の色、決して赤じゃない、血、刺したから、流れた、刃に、流れた、痛いと思った、肉、肉にズボッと入った、痛いと思った、倒れて、いない、まだ、倒れて、いない、見ている、こっちを見ている、誰、誰だ、こいつ、遅い、止まっている、いや、止まっていない、流れた、血は、流れた、指のささくれをいじりすぎた時も流れた、あの赤が、いや、血の色が、血の色をした血が流れた、同じ、同じ人間、同じような血が流れている、いや違う、こいつには俺のような血が流れてない、刺した、俺が、女が倒れている、いや、倒れていない、倒れ始めている、誰だ、誰だこいつ、この女、さあ、どうする、さあ、刺した、俺、俺が刺した、ごめん、本当にごめん、やばい、とんでもないことをした、さあ、どうする、逃げる、まだ誰にも見られていない、夜、暗闇、逃げる、いや、逃げられない、なんの計画もない、なんの準備もない、逃げられるわけがない、逃げるなんて、逃げたところでどうする、今は、俺が刺した、本当に、俺が刺したのか、嘘だろ、俺じゃないだろ、俺じゃない俺じゃない、俺は刺さない、だって、刺さない刺さない、俺は刺さない、刺したらどうなる、逮捕される、牢屋に入れられる、最悪、死刑、いや、死刑にはならない、もっと何人も殺さないと、いや、なるのか、一人殺しただけでも死刑になるのか、だけでも、だけでもとは何、人が一人死ぬ、死刑、俺が死ぬ、俺は知ってる、刺したら、面倒臭い、いや、本当、刺したら面倒臭い、細々と、俺は刺さない、じゃあなんだ、この手に持ってる刃物はなんだ、赤い血のついてる、いや、これは赤じゃない、俺にも流れている、息をしたかった、大きく息を吸い込んでみたかった、俺が刺した、いや、ありえない、この手に握っている物、これは何、これは刃物、これは、包丁、そう、包丁、この血はこの女の血ではない、これは、俺の血、だから、何の問題もない、このまま立ち去ればいい、立ち去って、見なかったふりをする、しかし、倒れない、時間が止まっている、いや、止まっていない、進んでる、時間は進んでいる、俺が見ている、世界が遅くなった、こんなにも、こんなにも、俺の見ている世界、俺は何、さあ、早く、さあ、立ち去る、誰も見てはいない、いや、俺がやったのではない、見なかったふりをすればいい、暗闇、俺の右足、歩け、一歩前へ、俺の左足、俺だ俺だ俺だ、俺が刺した、いや、家はすぐそこだ、さあ、家まで歩いて包丁についてる俺の血を洗う、ただそれだけ、いや、俺だ、でも、何故、そもそも何故俺だ、俺は刺さない、大丈夫だろうか、死ぬ、死ぬ、死ぬのだろうか、そもそも何故俺だ、包丁は料理に使うはずだった、人参を買ってきた、皮をむいた、皮むき器が欲しいと思った、俺は外に出ていた、何故、何故俺は、そもそも、まずいだろう、自首しよう、罪は軽くなるか、自首すれば、いや、もはや救急車を呼ぼう、体よ、動け、一刻も早く、命は一つ、命は大事、そうだ、救急車だ、一刻も早く、死んでしまうのか、俺か、俺が刺して俺が救急車を呼ぶ、そんなこと、罪、そうか、罪の軽さを、俺じゃない、俺じゃないにしても救急車を呼ぶ、俺か俺じゃない、道端に人が倒れている、それを見て見ぬふりをする人はいない、救急車は呼んであげよう、呼んであげる、何様だ俺、お前が刺しといて、人参を焼いた、人参ステーキと名付けた、何故、俺は包丁を持っていた、料理をするためだった、日が暮れていた、朝が待てなかった、外に出てみた、外は思いのほか涼しかった、見えないとつぶやいた、頭の中だった、何が見えないかは分からなかった、左手には包丁を持ったままだった、人参ステーキには味がなかった、素材の味がした、決して生きていけないわけではなかった、みんな、俺のことを忘れたのかもしれなかった、みんなっていうのは誰を指すのか、みんなっていうのはいつの間にかクラスメートのことを指していた、みんな静かにしてと言った、静かにしなければならなかった、静かにしなければ怒られた、もう四年生なのに、もう五年生なのに、もう六年生なのに、アリを殺しては何故いけないのですか、アリは殺しても捕まらなかった、犬を殺したら捕まるだろうか、飼い犬でなければ大丈夫だろうか、包丁が肉にズボッと入る、血が流れる、小鳥なら大丈夫だろうか、今度やるときはパチンコを作ろう、いい形の枝さえあれば、最高のパチンコが作れる、それで石を飛ばそう、そして小鳥を狙おう、うまく命中するだろうか、素人にはやはり難しいだろうか、何を考えている、殺すことを考えていた、今、俺か、本当に、俺か、俺が、そんなこと考えるか、俺が、人を刺すなんてことありうるのか、俺じゃない、それは俺じゃない、汗が流れている、背中に、お腹に、冷たい、いや、熱い、熱い、血が流れている、いや、流れていない、流れていないそのままの状態が俺だ、見えないとつぶやいた、それが俺だ、俺は人を殺した、女を殺した、いや、まだ死んでない、まだ助かるだろうか、救急車を呼ばなければ、いや、呼ばない、どうなろうと知ったこっちゃない、まだ助かるだろうか、自首すれば罪は軽くなるのだろうか、本心で、本心で謝ることなど可能だろうか、だって、俺じゃない、これは俺じゃない、息ができなくてたまらない、あいつの寝顔を見れなくしたのは俺だった、あいつには俺が見えていた、あいつの作るパスタの味が好きだった、張り詰めた糸が途切れた、あっさりしているものだと思った、目玉焼きを子供のように喜ぶあいつを思い出した、張り詰めた糸が切れた、クーラーとテレビの電源ボタンが光っていた、窓からもれてくる街灯の明かりがまぶしかった、でも笑っていた、俺じゃなく、あいつが笑っていた、俺に道端で倒れている人を助けることなどできるだろうか、本心から、そう、本心から助けることはできるだろうか、愛、果たしてそこに愛などあるのだろうか、愛、そんな言葉を思い浮かべている、俺が、俺がそんな言葉を思い浮かべている、刺した俺が、女を刺した俺が、いい匂いがした、女の匂いがした、思わず目をつむってしまう匂いだった、この匂いは何度も嗅いだことがあった、手に持っているのは包丁だった、握手、握手をしようとした、それだけ、それだけなんだ、握手をしようとした右手に、たまたま包丁があった、それだけ、だから俺じゃない、包丁を俺の右手に握らせた奴が悪い、俺が気づかず握らせた奴、そう、あいつ、あいつのせいだ、俺は刺したかったんじゃない、俺は愛を差し伸べただけ、俺の愛、俺の愛が女にズボッと入った、女の肉に、それは愛だった、いや、愛じゃなかった、血が流れた、俺の愛は切れ味が良すぎた、いつもはあんなに切れないのに、血が流れた、あいつの血が流れた、あいつの血が流れているのは俺だった、あいつの血が流れていないはずがなかった、うどん屋さんであいつがキレた、うどんが来ないだけであいつはキレた、あいつにはなりたくないと思った、そのうどん屋には二度と行くことはなかった、行くことができなかった、下を向いてうどんを食べた、あいつの知り合いとは思われたくなかった、時間が遅く感じた、本当に時間は進んでいるのか、止まっているのか、いや動いている、汗が流れていくのが分かる、ゆっくり、ゆっくり流れていっているのが分かる、悪かった、許してくれ、俺じゃないんだ、俺がこんなことするはずない、いや、俺なんだ、お前だろ、いや、俺だ、想像してみたことはあった、肉にずぼっと入る感覚を、握ってみたこともあった、台所で包丁を握ってじっと見つめたこともあった、でも、俺か、それが俺か、包丁を腹に当ててみた、ひんやりした、小学生だった、火事を眺めたことがあった、火が熱かった、必死になって消火する人たちがいた、俺は野次馬の一人だった、どこかで興奮していた、体の片隅に興奮が渦巻いていた、いや、興奮だけじゃなかった、嫌悪もあった、そんなことはしてはいけません、そんなことは考えてはいけません、何故、何故俺、何故そんなことをしてはいけないのか、個性を持ちましょう、誰かがやったから自分もやる、そんなではいけません、自分を持ちましょう、俺、俺を持つ、個性を持ちましょう、俺の個性、俺は何ができた、俺は人を刺せた、刺したぞ、俺は、誰かも知らない女を刺したぞ、できないできないできない、できたぞ、俺にも人が刺せたぞ、なんてことをした、俺が人を刺した、血が流れた、でも、違う、それは俺の中の別の俺、誰かが俺に乗り移った、そう、誰かが俺を使った、そうだ、そうとしか考えられない、死ぬ、無、自分がいなくなる、眠れない夜、死ぬ、天国地獄、そんなものはあるのだろうか、天国地獄大地獄、天国地獄大地獄、天国地獄、人を殺すと地獄に行きます、地獄、地獄は辛いのだろうか、糸、糸は下りてくるだろうか、俺は、蜘蛛を殺さなかっただろうか、覚えてない、蜘蛛を、昔は掴めた、素手で、掴めた、大人になって部屋に蜘蛛が出てきた、でも掴めなかった、蜘蛛を、ティッシュごしでないとダメだった、ダメ、何故ダメなのか、何故俺ではダメなのか、こんな仕事は誰でもできる、自分の意見を持てと言ったのは誰だ、あいつだ、俺じゃなくても誰でもできる、あいつらはなんて言うだろうか、今からでもあいつらを笑わせることはできるだろうか、倒れていく、まだ倒れていない、でも着実に、倒れていっている、死ぬのか、この人は、俺も人だった、俺は人じゃないのか、俺は人じゃない、別の種類なのか、新たな種族名を与えてくれ、俺に、いや、俺だけじゃないはず、こんなことは何度だってあったはずだ、次の日ニュースになる、大々的に俺の名前が告げられる、画像の荒い俺の顔が映る、それを見た俺の知り合いはどう思う、こんなことをする子ではなかった、クラスではいつもみんなを楽しませてくれる明るい存在だった、えっ、何故だ、何故こんなことをした、明るい存在の俺が何故、考えられない、いや、待て、捕まらなければ話は早い、何している、今すぐここから逃げるんだ、逃げる、俺は逃げなくていいんだ、だって俺じゃない、俺がやったわけじゃない、だって俺のわけがない、俺はこんなことしない、俺は普通に生きてきた、誰にも迷惑かけなかった、笑える、俺は、そう、笑える、猟奇的でなく、少年的な心で笑える、職場の卑猥な話にもついていける、俺は女とやったことがある、童貞ではない、俺は童貞じゃないんだ、決して性をこじらせているわけではない、このあとこの女をどうしようなんてこれっぽっちも思っていない、これっぽちも、本当か、本当にこれっぽちも思わなかったか、俺は童貞じゃない、女とやったことがある、わざわざ人を刺してまで女、女、あいつはなんて言うだろう、いや、俺じゃないんだ、悪かった、俺か、悪いのは俺か、許してくれてもいいだろう、一回だけだ、一回だけだった、誘われた、匂いがした、女の匂いがした、思わず目をつむってしまった、耐えられなかった、唇は柔らかかった、獣だと思った、自分は獣かもしれなかった、欲望かと思った、愛かどうかは分からなかった、あいつに対してもそれは同じだった、愛かもしれなかった、でも多分違った、俺に人を愛することなどできるのかと思った、去っていったのはあいつだった、あいつが去っていってもなんとも思わなかった、でもすぐになんとも思い始めた、俺はあいつだった、あいつが染み込んできていた、着るものもあいつだった、食べるものも見るものも聞くものも歩く道もあいつだった、許してくれよ、許してくれてもいいだろう、本心から謝ることなどできるだろうか、たったの何百年の話だろう、何が悪い、俺の何が悪い、許してくれてもいいだろう、俺は手紙を書かなければいけないのか、この人の遺族に向けて、いや、死んでない、まだ倒れていない、まだ助かる、俺が救急車を呼ぶ、助かる、助けられない、俺にはそんなことできない、この人にも人生があった、いや、あったのか、この人には人生なんてものはあったのか、もしかしたらなかったのかもしれない、俺はこの人を一度たりとも見たことがない、今まで生きてきて一度たりとも、これは本当に人間なのか、人間の形をした人形なのかもしれない、いや人間だ、血が流れている、赤い、血が、血の色が、どこからどう見ても人間だ、いや、人間でない可能性もある、わけがない、どこからどう見ても人間だ、なら俺はどうだ、俺も人間だ、俺は人間と同じ食事をする、人間と同じように音楽も聴く、ゲームもする、カラオケにも行く、俺は人間だ、別の種族名などいらない、俺は人間だ、今年のヒット映画にも感動するし、美味しい料理とまずい料理の違いぐらい分かる、夜が来たら眠くなるし、可愛い女がいたらやりたいと思う、電車が遅れるとイライラするし、蚊が腕にとまったら叩き潰す、俺は人間だ、じゃあ何故刺した、俺は何故刺した、いや俺じゃない、俺か、夢、夢か、夢じゃないか、寝てた、今起きたのか、俺は今起きた、そしたら血のついた包丁を持っていた、血、俺にも流れている、人間、人間の血、人間じゃない血、抑えられない衝動、あいつ、俺、落ち着く、本当に、あいつの血、俺の血、バスケがしたかった、あいつらに誘われた、なんの役に立つ、その経験がなんの役に立つ、バスケットでご飯を食べていくのか、そんなわけない、そんなわけないだろ、お前は何ができるんだ、俺にもできることはあった、ただそれを潰したのはあいつだ、役に立つ、役に立つ人間、役に立たない人間、害をなす人間、お前に何ができる、俺か、俺が刺したのか、いや、俺じゃない、俺だったらもっと刺す、もっと、もっと大量の人間を刺す、俺は人間じゃない、人の間じゃない、人の間にいる、あいつは人の間にいる、過去を見ない、先しか見ない、サバサバしていた、経験人数が多かった、俺は少ない、少ないどころじゃない、でも、童貞じゃない、俺は童貞じゃない、俺は過去ばかり見る、今も見ない、先も見ない、昔のことばかり見る、あいつは先を見る、俺とは違う、先を見るのが人間か、過去を見るのが人間か、今を見ることなんてできない、今は過ぎていく、今を感じることなんてできない、いや、感じる、今を感じる、今この時を感じる、こいつはなんてゆっくり倒れるんだ、俺にどうしろと言うんだ、そんな目で俺を見るなよ、いや見るか、俺が刺した、そんな目で俺を見てもおかしくない、あいつの置いていったものも俺を見つめていた、ぬいぐるみが、本が、俺にどうしろと言うんだ、ごめん、ごめんなさい、刺すつもりじゃなかったんです、死なないで、お願い、死なないでください、時は戻らない、本当に時は戻らないのか、タイムマシンなんてないのか、戻ったってどうしようもない、戻ったって俺は人を刺す、いずれ人を刺す、いや、刺さない、何分か前に、いや、何秒か前に戻れるのなら俺は人を刺さない、それが俺だ、俺はこんな残酷なことしない、肉にズボッと入る感覚、こんな感覚は味わったことがない、いや、ズボッとは入らない、ドバッと、いや、ブシュッ、分からない、こんな感覚味わったことがない、もう一度刺してみたい、あれはどんな感覚だ、ドゥバッ、ジュボッ、もう一度、何故そんなことを考えている、俺はそんなことは考えない、いや、これが俺か、これを個性と言ったら怒られるだろうか、誰に、怒られるのを気にしているのか俺は、そんなことはどうでもいい、今、今この時を感じる、血、血が流れていく、汗、それは俺か、俺はもっと冷静だ、もっともっと冷静だ、焦ることなんて一つもない、俺が刺した、それは事実だ、この手に握られているもの、握ってしまっているもの、いや、握っていない、掴んでいる、俺は、包丁を掴んでいる、握る、握るより強く、掴む、刺すために掴む、いや、刺すためには掴まない、刺すために掴むことはない、刺すためには持つことが必要だった、時には握る、だから刺さない、掴んでいる俺は刺さない、いや、刺した、握る、握らない、血が流れた、腕、腕がある、手、指がある、俺は人間か、人間じゃなくても腕はある、手がある、指がある、物を掴む、掴むことはできる、握ることはできるか、人間以外に握ることはできるか、いや、できる、人間以外も握ることはできる、焦る、焦っていない、焦ることはできるか、人間以外が焦ることはできるか、いや、焦っちゃいない、俺は焦っちゃいない、平静を保っている、あいつみたいな涼しい顔はできない、俺は過去を見ずにはいられない、あいつこそ世の中を上手く渡る人間だ、俺もそこそこ上手く渡れる人間だった、きっと、おそらく、渡る、渡ってどこに行く、世の中を渡るとどこに着く、俺はなんだ、俺は何を求めている、欲望か、これは欲望なんかじゃない、これが俺だ、俺、いや、俺じゃない、俺だ俺だ、俺とはなんだ、俺にできることはあったか、勉強ができた、逆上がりができた、笑わせることができた、それは些細な指の感覚だった、大事なのはどこに力を入れるかだけだった、些細な力加減だった、このことを知っているのは俺だけかもしれなかった、まわりの連中は馬鹿だった、俺だけが泥団子を作れた、サラサラの泥団子を作れた、サラサラしていた、硬かった、絶対に割れない球だった、俺だった、俺だけだった、綺麗だった、つやつやしていた、でもそれは何の役にも立たなかった、ただ綺麗だった、星を見つめていた、宇宙の広さを考えていた、俺の思考は宇宙よりも狭いと思った、一人になって初めて分かった、俺は一人だった、俺は一人ではない、そんなことは分かっている、いや、分かっていない、俺は一人だった、隅に敷いた布団で寝ていた、小バエが発生していた、目をつむるとぐるぐる回った、ぐるぐる回ったのは布団だった、心臓の音が聞こえた、心臓が動いていた、俺は生きていると思った、いや、俺は生きていない、生きていないから刺した、そんなわけがない、生きている、俺は生きている、心臓が動いている、血が流れている、赤い、いや赤くない、それは赤じゃない、赤じゃない血が流れている、お腹が空いていた、一日部屋から出ていないことに気付いた、ご飯を食べるためだけに駅前まで自転車を走らせた、三百円の牛丼を食べた、俺の携帯電話はならなかった、あいつだけだった、あいつからのメールだけだった、それもあっさりなくなった、高校時代の友人とは誰一人会わなかった、中学時代の友人も、小学校時代の友人も、じゃあ、俺は誰に話すことができた、職場の人には見下され始めた、いや見下されてはいなかった、俺が悪かったのか、俺の距離のとり方がいけなかったのか、じゃあ、俺は誰に話すことができた、何を、何を話したかったのか、沈黙が辛かった、電車で帰るほんの数十分の道だった、俺は平静だった、なんとも思っていないはずだった、気が付くと疲れていた、あの沈黙に耐えられない気がした、俺はもっと喋るのが上手かった、俺は何を話したかったのか、あいつとは途切れなかった、あいつらとは馬鹿な話をいつまでもしていることができた、漫画やアニメやゲームや下ネタ、人を笑わせるのが得意だった、でもそれは過去だった、笑ってくれたのはあいつだった、あいつも笑ってくれたことはあった、川に飛び込んだ、水しぶきがあがった、息ができなかった、寒かった、唇が紫色になっていた、唇に石を当ててくれた、熱を帯びた石だった、砂利でザラザラしていた石だった、この石も何年も経ってこの形になっていると言った、俺は何年も経ってこんな形になっていた、刃物で女を刺していた、殺そうとした、血を眺めていた、俺か、これが俺か、許してくれ、罪を償う、なんでもする、なんでもするから、まだ死んでない、救急車を呼ぶ、罪を償う、償う必要はない、いや、ある、俺じゃない、俺じゃないから償わない、そんなバカのことがあるか、これは俺だ、いや、お前だ、お前じゃない、俺だ、俺の、お前だ、お前のことだ、お前が俺だ、けっして、けっして俺じゃない、けっして、けっして生きていけないわけではなかった、俺より辛い人生なんていくらでもある、俺はこんなことしない、そもそも俺は絶望していない、俺の人生は辛くはない、俺は平静を保っている、これは俺じゃない、焦っている、そもそも俺は焦らない、何事も関心がない、関心がなく生きてきたはずだ、何が起こっても平常心をつらぬく、全部のことは大したことがない、ちっぽけのことだ、俺が刺した、女が倒れている、まだ、まだまだ倒れている、大したことはない、平常心を保っている、保っているわけがない、死ぬ、俺の手によって人が死ぬ、この人の家族はたいそう悲しむだろう、俺の家族はたいそう怒られるだろう、この人の家族は許してくれないだろう、この人が許してくれていたとしても、そんなことあるわけがない、俺の家族から自殺者が出てもおかしくない、ちっぽけなわけがない、ちっぽけなわけが、じゃあ何故刺した、お前、お前お前お前、俺だ、刺したのはお前だ、いや、俺だ、血が流れた、肉にズボッと入った、俺の先祖は武士だった、あいつが教えてくれた、だからなんだと思った、外国人は切腹を見てクレイジーだと言った、俺も充分クレイジーになった、クレイジーじゃない、俺はクレイジーじゃない、いや狂ってる、狂ってなければ何故、いや狂っていない、けっして狂っていない、刺したかったからだろ、殺してみたかったんだろ、そんなわけない、俺はそんなことを考えない、いや、考える、俺だからそういう事を考える、いや、考えない、皆が皆ありのままに生きていたら社会は崩壊する、いや、俺のありのままはこれじゃない、俺のありのままは、なんだ、これだ、刺した、俺が人を刺した、風だ、白い砂浜だった、汚い海だった、クラゲが死んでいた、叫んだ、山奥だった、帰れないのかと思った、帰りたいと叫んだ、どこに帰りたいのかは分からなかった、ありがとうと言った、本心からありがとうと言った、鳥肌が立った、寒気がした、耐えられなかった、ありがとうと言う笑顔の俺に耐えられなかった、パンはもう食べたくなかった、こんな仕事は誰でもできるものだった、俺のことを愛してくれた、それは確かなようだった、あいつだった、全部あいつだった、あいつは予想以上に真面目な顔をしていた、それで予想外のところで笑った、どうせなんにならないんだと言った、その言葉が今でも蘇るのは何故だ、なんにもならなかったよ、なんにもならないなんてことはないんだよ、汗が流れている、血が流れている、むしゃくしゃしてやった、むしゃくしゃとは何だ、紙をクシャクシャにした、それをまた広げた、それを提出した、怒られた、感情は殺したほうが生きやすいはずだった、あいつもそうしていたはずだった、あいつに奪われたものはなんだ、置いてけぼりにされたのは俺だった、机の上の物を全部外に放り投げられた、熱中することを見つけるのが早すぎた、大人になってからはもう見つからなかった、木を見つめていた、セミの死骸が転がっていた、虫取り網を使わなくなったのはいつからだろう、生き物は大切にしなければならないはずだった、俺だった、いや、俺は人間じゃなかった、俺じゃなかった、それはお前だった、お前から俺になった、あいつがいて俺になった、だからお前だった、血が流れている、熱い、いや、冷たい、汗が流れている、何がなんだか分からないわけがなかった、それは俺だった、いや、お前だった、俺が刺した、俺が、そんなことはするはずがなかった、俺は平凡に生きているはずだった、だけど刺した、お前が勝った、勝ち負けの話ではない、お前だ、俺を形作っているのはお前だ、そいつがまず動いた、動けるはずはなかった、動くことなどできなかった、そいつがまず蠢いた、蠢くことはできる、蠢くこともできないのならば俺は人を刺さない、俺は武士の血を継いでいる、あいつの血が流れている、いや、あいつの血は流れていない、それはお前の血だった、決して赤じゃないお前の血だった、何故こんなことに気付けなかったのか、どうしてこんなことに気付かなかったのか、包丁を持っていた、お腹が空いていた、人参しかなかった、人参の皮をむいた、皮むき器が欲しいと思った、人参ステーキを食べた、味がなかった、素材の味がした、日が暮れていた、朝が待てなかった、外に出てみた、外は思いのほか涼しかった、俺の手には包丁が握られていた、見えないとつぶやいた、頭の中だった、何が見えないかは分からなかった、俺の左手には包丁が握られていた、なんで包丁を持っているのかは分からなかった、いや、分からないはずはなかった、時間だった、そんなことは誰も決めていなかった、女が前から歩いてきた、俺はぼーっと突っ立っていた、包丁を咄嗟に隠していた、女が俺の前を通り過ぎた、いい匂いがした、女の匂いがした、思わず目をつむってしまった、目を開けると追いかけていた、俺だった、俺が刺した、俺の身体が刺した、俺の腕が、俺の手が、俺の指が刺した、肉にズボッと入った、痛いと思った、痛いはずがなかった、俺が痛いはずはなかった、肉にズボッと入った、ズボッとは入らなかった、ジュボッと入った、いや、ドゥバッ、スパッ、もしかしたら、ヌパッと入ったかもしれない、血が流れた、赤い、赤くはない、血が、決して赤くはない血が流れた、血の色をしていた、刺す、刺した、尖っていた、柔らかい肉だった、柔らかい肉に尖ったものが突き刺さった、のめり込んだ、尖っている、血が流れた、刃物、刃物だった、包丁だった、血が流れた、道具だった、俺の手だった、俺の手の延長だった、俺の手の延長ではなかった、お前の手の延長だった、お前だった、いや、お前ではない、お前たちだった、あいつがいなくなった、あいつが蘇った、あいつが置いていった、あいつが無視した、あいつが笑っていた、あいつが近寄ってきた、あいつだった、あいつがそうだった、あいつの目は先を見つめていた、断ち切ることができた、食べるものがあいつだった、聞くものがあいつだった、あいつ、あいつにとって俺はちんけな存在だった、クラスにとって俺は明るい存在だった、俺にとって全てはちんけな存在だった、だから俺は刺した、いや、あいつによって生まれた、それが俺だった、俺を生んだのはあいつだった、お前を生んだのは俺だった、それは俺ではなかった、お前だった、お前たちだった、お前たちがいて俺がいた、俺は人を殺した、いや、まだ死んでいない、いやもう助からない、助からないのはお前たちだった、助からないお前たちが人を殺した、ズボッ、ドゥチャッ、ザスッ、それはキラキラしていた、でも割れた、少しの衝撃だった、殴ったのはあいつだった、いや、俺だった、お前には俺が必要だった、蠢いているのはお前だった、外は思いのほか涼しかった、公園のベンチにピーチジュースの空き缶が突っ立っていた、帰り道の真ん中に黒い靴下が二足並んでへこたれていた、それはお前だった、蠢いていたのは俺だった、見えないとつぶやいた、つぶやいたのは俺じゃなかった、あいつが生んだのは俺だった、いや、俺じゃなかった、お前だった、お前にはなかった、俺にはあった、でも俺にはなかった、あいつにはあった、お前はいた、お前たちだった、それはお前だ、お前が刺した、俺は刺していなかった、刺すはずがなかった、あいつは殺さなかった、お前だった、俺は人間じゃなかった、人間じゃなかったのはお前だった、やってはいけないことではなかった、それがお前だった、お前から俺になった、あいつがいて俺になった、お前たちがいた、いないかもしれなかった、俺が刺した、俺は刺さなければいけなかった、分からないことはなかった、俺は刺さなければいけなかった、だから刺した、お前だった、それが俺だった、あいつから生まれた、俺が気付かなかった、そこには何もない、お前を殺した、どんな音がしただろうか、ズボッ、ドゥボボッ、俺を殺した、俺を殺したのはお前だった、いや、お前じゃなかった、あいつでもなかった、俺だった、それが俺だった、俺のはずだった、今、今だった、時間だった、刺す、俺は、俺じゃなかった、そういう俺が俺だった、刺した、お前を、あいつには分からなかった、お前だけはそこにいた、クラスで明るくない存在だった、血が流れていた、血が流れていなかった、生きていると思った、それは人参の味がした、思わず目をつむってしまう匂いだった、白い砂浜だった、どこに帰りたいのかはわからなかった、液状の怪物が俺の横にいた、俺は家とドブの間でうずくまった、大きく息を吸い込んでみたかった、セミの死骸が転がっていた、クーラーとテレビの電源ボタンが光っていた、みんな静かにしてと言った、空き缶が突っ立っていた、それは公園のベンチだった、布団がぐるぐる回っていた、自転車を駅まで走らせた、靴下が濡れていた、予想以上に真面目な顔をしていた、絶対に割れない球だった、きれいだった、バスケットゴールが揺れていた、スポーツドリンクが妙においしかった、思わず目をつむっていた、気が付くと外に出ていた、外は、思いのほか、、、

  

  刃物が男に突き刺さっている。

  女は倒れきっている。  

  男も倒れきっている。

  二人の腹から赤い血が流れている。

  沈黙が訪れる。
  二つの死体が地面に転がっている。

 

終わり。

パーティさながら愛と孤独

「パーティさながら愛と孤独」

 
  台所、
  奥に、流し、コンロ、食器棚。
  真ん中に大きなテーブル、椅子が四つ。
  下手に冷蔵庫。
  上手に廊下への引き戸。この劇の登退場は、全てこの引き戸で行われる。
  その引き戸からは廊下を通し、トイレ、風呂場、二階、玄関へと行くことができる。

  母、現れる。
  冷蔵庫を開け、じゃがいも、人参、玉ねぎを取り出す。
  それらの皮をむき、切っていく。
  鼻歌を歌いながら、
  その鼻歌は、いつの間にか。肉声となり、台所から家中に響き渡る。
 
  二階の方から、
 
男(声)  お母さん。
 
  母、歌っている。
 
男(声)  うるさいよ、お母さん。
 
  母、歌っている。
  男、現れる。
 
男  お母さん、うるさいって。
母  あっ、ああ。
 
  母、歌うのをやめる。
 
男  あのねえ、いつもとは違うんだから。
母  はあ。
男  えっ、忘れてないよね、昨日のこと。忘れてないよね。
母  うん。
男  今日はいつもとは違うんだから、お客さんがいるんだからね、そんな大きな声で歌われちゃたまらないよ。迷惑だよ。
母  ごめんね、気を付けるね。
男  分かればいいんだよ。カレー?
母  そう。
男  振舞うんだ。
母  そう。
男  振舞うねえ、俺も何か振舞うかな、せっかくの客人だからね、振舞わないと、何かを、あれ、俺、なんか振る舞えることあったっけ?
母  切る?
男  いやあ、それはお母さんの専売特許だからさ、カレーはさ、俺はもっと別の振る舞いをしないと。そうだな、あっ、あれしよう、なんかみんなでゲームしよう。ゲーム。ゲームって言ってもテレビゲームじゃないよ。みんなでできるやつ。トランプかね、まあ、トランプだよね、トランプトランプ。トランプってどこ?
母  さあ。
男  あれ、ここになかった?掃除したときどっかやったんじゃない?
母  知らないわよ。
男  あれえ。
 
  男、はける。
  
  母、歌い始める。
  男、戻ってくる。
 
男  しー。しー。
母  あっ、ごめん。
男  もう。
 
  男、はける。
  母、歌い始める、が、気付いて、すぐにやめる。
  男、戻ってきて、顔だけ出して、すぐに戻る。
 
母 あっ、トランプ。
 
  母、歌い始める。さっきとは違う、替え歌、トランプは掃除の時捨てたー。とい
う。
  男、現れる。
 
男  えっ。・・・捨てたの?
母  うん。
男  なんで。
母  あなた、いらないって言った。
男  言ってないよ。
母  言った、掃除してた時。
男  言ってないよ。トランプを捨てるわけないじゃん、トランプを捨てるタイミングっていつだよ、人間そう簡単にトランプなんか捨てないよ。
母  言った、掃除してた時。
男  はあ、そうかそうか、とにかくないってことね、じゃあ、買ってきてよ。
母  カレー作らないと。
男  カレーなんか後でいいよ、トランプの方が大事だよ。
母  作れば。
男  えっ、カレー?買いに行ってくるからカレー作れってこと?
母  トランプ。
男  あっ、えっ、トランプ作れってこと。
母  そう。
男  えっ、トランプ、何枚だっけ?1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13×4の52にババを二枚入れるとして54枚。いや、めんどくさいめんどくさい。買ってくるわ、自分で。
母  行ってらっしゃい。
 
  男、はける。
  男、戻ってくる。
 
男  洗濯してないの?
母  うん。
男  もう。
 
  男、はける。
  
  母、冷蔵庫から肉を取り出し、切る。
  切った食材を炒め始める。
  ジャー。
  再び、鼻歌。
 
  女、現れる。
 
女  あのう。
母  あっ、おはよう。
女  おはようございます。
母  よく寝てたね。
女  あっ、はい。
 
  ジャー。
 
女  あのう。ここはどこでしょうか。
母  ここは、私の家です。
女  はあ、あなたはどちら様でしょうか?
母  私どもは荻原と申します。
女  はあ、荻原さん。そして何故ここに、この家に私はいるんでしょうか?
 
  ジャー。
  母、水を入れる。
  ジャー、が鳴り止む。
 
母  今、カレー作ってるからね。
女  あっ、カレー、朝からですか。
母  もう夕方よ。
女  はあ、何故私はこの家にいるんでしょうか?
母  あなた、お名前は?
女  すみません、申し遅れました、佐渡ユキコと申します。
母  ユキコちゃん、いい名前。
ユキコ  ありがとうございます。なんで、私はここに?
 
  ピーピーピー。
 
母  あっ、炊けた。うふふふふ。
ユキコ  どうしたんですか。
母  いっつもね、計算できなくてね。ご飯が炊き上がる時に、まだカレー作ってる最中。カレーもっと早く作ればいいんだろうけど、ほら、まだ、ルーも入れてない。お腹空いたでしょ。
ユキコ  ああ、はい。
母  もうちょっと待ってね。
ユキコ  あの、私何故。
母  息子が帰ってきたら。
ユキコ  あっ、息子さん。荻原さんの。
母  ええ、ええ。その時に詳しくね。
ユキコ  あっ、そうなんですね。
母  ゆっくりしていってね
ユキコ  はあ、ゆっくり。
母  とりあえず座ったら。
ユキコ  はあ。
 
  ユキコ、座る。
 
母  もし煮立ったら、止めといてね。
ユキコ  えっ。
 
  母、はける。
 
ユキコ  煮立ったら。
 
  ユキコ、立ち上がりコンロの鍋を見つめる。
 
ユキコ  カレー。
 
  ユキコ、母の歌っていた鼻歌を口ずさむ。
  辺りを一点一点確認するように見回し、椅子に座る。
  虚空を見つめる。
  男、現れる。
 
男  うるさいっての。あれ。
ユキコ  あっ、すみません。
男  いやいやいやいやこちらこそすみません。
ユキコ  おはようございます。あっ、いや、こんにちは。
男  こんにちは、ユキコさん?
ユキコ  あっ、ユキコです。なんで?
男  えっ、覚えてない、昨日。
ユキコ  あっ、昨日名乗りました?私?
男  ええ、名乗りましたよ、ユキコさん。
ユキコ  覚えてないですね、いやはや。
男  ああ、覚えてない、まあ、そりゃあそうか、覚えてないか、いや、もうびっくりしましたよ。昨日。あっ、ユキコさんでいいですか?
ユキコ  えっ、だからユキコで大丈夫ですよ。
男  あっ、違うくてですね、あのう、いきなりユキコさんって呼んで大丈夫なんですかね、っという、そういう意味で。
ユキコ  ああ、ええ、大丈夫ですよ、ちなみに佐渡です。
男  えっ。
ユキコ  佐渡です。私。
男  えっ、さわたり。
ユキコ  そう、佐渡ユキコ。
男  あっ、佐渡ユキコさん。苗字?
ユキコ  はいそうです。
男  あっ、すみません、苗字か、佐渡。すみません、てっきり。
ユキコ  えっ、てっきりなんですか。
男  いや、てっきりそういう、あのう、ちょっと、アレなやつかと。
ユキコ  なんですか、アレって。
男  いやまあまあまあ、アレなやつとかどうでもいいんで、あのう萩原です、萩原孝仁です。
ユキコ  あれ、萩原、荻原じゃなくて。
孝仁  あっ、荻原じゃないです、萩原です。
ユキコ  あれ、でも確かあの、もう一人の、あの、お母さん、かな、荻原って。
孝仁  あっ、会いました?お母さん。
ユキコ  あっ、会いましたよ。
孝仁  あっ、そうか、カレー作ってたもんね。そりゃ会うか。あれ、お母さんは?
ユキコ  あっ、なんか、カレー煮立ったら止めといてってどっかに。
孝仁  あっ、そうですか。
 
  孝仁、はける。  
  声、聞こえれば聞こえるし、聞こえなければ聞こえない声。
 
孝仁(声)  えっ、何してるの、カレー客人に任せるって。
母(声)  洗濯。
孝仁(声)  見りゃわかるよ。なんで客人にカレー任せるの?
母(声)  えっ、だって、洗濯しないと。
孝仁(声)  いったん火止めればいいじゃん。
母(声)  早く食べたいって言うから。
孝仁(声)  えっ、言ってないよ。
 
  ユキコ、カレーが沸騰してきているのに気付く。
 
ユキコ  あっ。
母(声)  言ってたよ。
孝仁(声)  言ってないよ、俺。
母(声)  あの娘が。
孝仁(声)  あっ、あの娘か。
母(声)  沸騰してた。
孝仁(声)  見てないけど。
 
  母、孝仁、現れる。
  ユキコ、沸騰している鍋を見ている。
 
母  あっ。
孝仁  うわお。
 
  孝仁、火を止める。
 
孝仁  セーフ。
ユキコ  あっ。
母  あっ?
ユキコ  すみません、沸騰してたのに止めるの忘れていました。
母  ああ。
ユキコ  すみません。
孝仁  いやいやそんなのはカレーを客人に任せた母が悪いので気にしないで下さい。
ユキコ  あれ、なんだろ、気付いてたのに、見入っちゃったな、なんだろ。
孝仁  あるある、見入っちゃうことってありますよね。
 
  母、カレーのアクを取り、ルーを入れる。
 
ユキコ  あっ、
孝仁  ところで、
ユキコ  あっ、
孝仁  あっ、どうぞどうぞ。
ユキコ  あっ、お先にどうぞ。
孝仁  あっ、すみません。ユキコさん、今日のご予定は?
ユキコ  今日の予定?
孝仁  いやあ、仕事とかは?
ユキコ  あっ、やばっ、仕事?あれ、今日は何曜日ですか?
孝仁  今日は日曜日です。
ユキコ  日曜日か。良かった。
孝仁  休みですか?
ユキコ  休みですね。
孝仁  じゃあ、パーティしましょう。
 
  母、はける。
 
ユキコ  パーティ?
孝仁  せっかく来てくださったんです。是非パーティを。母もカレーを作っていますので。
ユキコ  はあ、パーティ。
孝仁  あっ、そうだ。
 
  孝仁、母を追いかける。
 
ユキコ  パーティ。
孝仁(声)  コンビニにトランプなかったよ。
母(声)  そう。
 
  孝仁、戻ってくる。
 
孝仁  いやあ、パーティにトランプをと思ったんですが、あいにくなくてですね、コンビニ行ってきたんですが、やっぱり売ってなくてですね、やっぱり百均ですよね、トランプは。ちょっと待ってて下さい。
 
  孝仁、はける。
 
ユキコ  はあ。
 
  孝仁、すぐに戻ってくる。
 
孝仁  あっ、なんか飲みます?ほんとお母さん気が利かないんだから。
ユキコ  いえいえ、お気になさらずに。
孝仁  あっ、そうですか、冷蔵庫にお茶か、牛乳かあるんで、好きに飲んで下さい。コーヒーとかが良ければそこに粉ありますんで、適当に、飲みたくなったら。
ユキコ  すみません。
孝仁  ちょっとすみません。
 
  孝仁、はける。
  ユキコ、椅子に座る。
  
  しばらくの間。
  ユキコ、立ち上がり、冷蔵庫のドアを開ける。
  物色。
 
ユキコ  うわっ。
 
  ユキコ、冷蔵庫の中にマトリョーシカを見つける。
 
ユキコ  何で?
 
  ユキコ、冷たいマトリョーシカをばらしていく。
 
ユキコ  何で?
 
  孝仁、紙と油性ペンとハサミを持って戻ってくる。
  
ユキコ  あっ。
孝仁  あっ、見ちゃいましたね。
ユキコ  えっ、見ちゃダメでした?
孝仁  あっ、ばらしちゃいました?
ユキコ  あっ、ばらしちゃだめでした?
孝仁  ちょっとすぐに、すぐに戻して。
ユキコ  えっ。
孝仁  お母さんに見られる前に。
 
  ユキコ、慌てて、マトリョーシカを戻す。
 
孝仁  早く早く。
 
  母が近づいて来る音。
 
ユキコ  えっ、えっ、あっ。
 
  ユキコ、慌てて、マトリョーシカを一つ落とす。
 
ユキコ  ああっ、
孝仁  もうなにやって、
 
  母、現れる。
 
ユキコ  あっ。
 
  一同、固まる。
  母、何事もなかったかのようにカレーを煮込み始める。
  ユキコ、マトリョーシカを拾い上げ、元に戻し、冷蔵庫に戻す。
  孝仁、椅子に座り、紙を長方形に切っていく。
 
孝仁  ユキコさん。
ユキコ  はいっ。
孝仁  パーティと言えばなんですかね?
ユキコ  えっ、パーティ?
孝仁  パーティって言えば何します?普通?
ユキコ  なんでしょうねえ。  
孝仁  行ったことありますか?パーティ。
ユキコ  ええ、そうですね、パーティと言ってもいろいろありますよね、こう、きらびやかなところで、シャンパンとか飲みながら立食パーティとか、もっと普通に家に友達呼んでたこ焼きパーティとか鍋パーティとか。
孝仁  そうですねえ、じゃあ、後者の家系のパーティだと。
ユキコ  なんですかね、そりゃあ、たこやき食べたり、鍋食べたりするんじゃないんですかね。
孝仁  ああ。
母  ちょっとカレー見といてね。
孝仁  えっ。ああ。
 
  母、はける。
  玄関から出ていく音がする。
 
ユキコ  大丈夫ですかね。
孝仁  えっ、何が?
ユキコ  あのマトリョーシカ
孝仁  ああ、大丈夫大丈夫。
ユキコ  えっ、だって母さんに見られる前にって。
孝仁  ああ、冗談冗談。
ユキコ  えっ、冗談ですか。
孝仁  いやあ、びっくりしたでしょう。マトリョーシカ。冷蔵庫に。
ユキコ  はい、なんで。
孝仁  庭みたいなもんだからさ。
ユキコ  えっ、庭?
孝仁  母親にとって冷蔵庫って庭みたいなもんでしょう。
ユキコ  えっ、そうなんですか。
孝仁  そうそう。
 
  間。
 
ユキコ  何作ってるんですか?
孝仁  トランプ。
 
  間。
 
ユキコ  なんで?
孝仁  なんでって、そりゃあ、母さんがカレーを振舞おうとしてるでしょう。だから、僕も何か振舞わないといけないなあと思いましてね手作りの。売ってなかったから、コンビニにトランプ。手作りの方が振る舞い感あるでしょう。ただのトランプより。
ユキコ  はあ。
 
  間。
 
ユキコ  手伝いましょうか。
孝仁  いやいやいやいや、気になさらないでください。
ユキコ  いや、でも。
孝仁  大丈夫ですから大丈夫ですから。
 
  間。
  ユキコ、カレーを見に行き、混ぜる。
 
孝仁  いやいやいやいや、気になさらないでください、大丈夫ですから。
 
  孝仁、カレーを混ぜるのをユキコと変わる。
  以降、孝仁はカレーとトランプと二つの作業を同時にしながら。
 
ユキコ  いや、でも。
孝仁  いや、そんな客人にそんなこと、させられませんから。
ユキコ  はあ。
 
  ユキコ、座る。
 
ユキコ  っそうだ。
孝仁  っびっくりしたあー。
ユキコ  えっ、なんですか。
孝仁  いやいきなり「そうだ」て言うからびっくりしましたよ。
ユキコ  えっ、いきなり「そうだ」って言ったらびっくりするんですか。
孝仁  いやびっくりするでしょ。いきなり「そうだ」って言ったら。
ユキコ  「そうだ」なんて、いきなりしか言わない言葉ですよ。
孝仁  びっくりしちゃったもんはびっくりしちゃったんですからしょうがないじゃないですか。えっ、で、なんですか。
ユキコ  あっ、ずっと聞こうと思ってたんですが、なんで私はこの家にいるんでしょう。
 
  間。
 
孝仁  あっ、そうかそうか、覚えてないって言ってましたね、そういえば。
ユキコ  すみません。
孝仁  昨夜ですね、あなたはこの家に訪ねてきたのです。
ユキコ  訪ねてきた。
孝仁  ピンポンを押して、この家に、インターホン越しに、ユキコでーすと言って。お邪魔しまーすと言って、どかどかと。
ユキコ  えっ。
孝仁  玄関を上がり、居間に入ったあなたははじめに僕を指差して、おい、酒を、酒を持って来いと言いました、この家に酒はありませんでした、すぐさま母に買いに行かせ、酒を飲み交わすことにしたんです。
ユキコ  ・・・。
孝仁  あなたはいろいろなことをお話なされた、政治のことから、宗教のこと、宇宙の誕生のことや、みかんのむき方、乾布摩擦の効能、チューイングガムの真の発音。
ユキコ  真の発音。
孝仁  あなたはとても知識がある、すごいと思ったのです。
ユキコ  すみません、ご迷惑をおかけしまして、酔っ払っていたのだと思います。
孝仁  いえいえ、私達は驚きました、しかし同時に嬉しかったのです、なんせ、この家に客人が訪れるなんてことがとても久しぶりだったからです。  
ユキコ  はあ。
孝仁  そこで大変言いづらいことなのですが、私はあなたに好意を持ったのです。
ユキコ  は?
孝仁  あなたがとめどなく多種多様の、世の中の古今東西の話をしている姿を見ていて私はあなたに好意を持ってしまった、現にあなたは熱いと言って服がだらしなくみだれており、とてもエロチックだったのです、私はものすごく、ああ、キスしたい、めちゃくそキスしたい、ああ、もう、キスしたくてたまらない、マジで恋する五秒前とはこのことかと、はい、ここから先、聞きますか、どうしますか?
ユキコ  へ、あ、ええ、ここから先はいいんじゃないですかね。
孝仁  そうですか。
 
  間。
 
孝仁  ユキコさん。
ユキコ  はいっ。
孝仁  やっぱり手伝ってもらってもいいですか。
ユキコ  えっ、あっ、何を?
孝仁  トランプ作るの。
ユキコ  あっ、そりゃあ、なにしましょう。
孝仁  あっ、ありがとうございます、じゃあ、これ、トランプの絵柄を描こうと思っているんですが。ユキコさん、表と裏とどっちがいいですか?
ユキコ  ・・・。
孝仁  ユキコさんっ。
ユキコ  あっ、はい。
孝仁  トランプの絵柄、裏と表とどっちがいいですか?
ユキコ  あっ、ええっと、どっちでも。
孝仁  どっちでもか、じゃあ、僕が表を描いていくので、ユキコさん、裏の絵柄をお願いしますね。
ユキコ  はい、分かりました。
 
  孝仁、切った紙と油性ペンを渡す。
 
孝仁  はい、これで。
ユキコ  はあ。
 
  間。
 
ユキコ  トランプの裏ってどんなんでしたっけ?
孝仁  そうですね、なんか複雑な図形みたいなイメージですけど、どんなでしたっけね。うわ、トランプの裏意識したことなかったなー。
ユキコ  そうですね。トランプの裏って気にしないですからねえ。
孝仁  そうですね。自作トランプなんで、もうホント好きにやっちゃってください、ユキコさんの好きに、想像力、イマジネーションで、お願いしますよ。
ユキコ  えー、イマジネーションかあ。
 
  間。
 
孝仁  うふ、うふふふ。
 
  間。
 
孝仁  うふ、ふふふふ。
 
  間。
 
孝仁  ユキコさん。
ユキコ  はいっ。
孝仁  これ見てくださいよ。キングってこんなんですっけ、うふふ。
ユキコ  これまた個性的なキングですね。
孝仁  っね、キング分かんねえー、うふふ。
 
  ユキコ、ペンが進まない。
 
ユキコ  あの、やっぱり何描いたらいいか分かりません。
孝仁  あっ、ほんと好きにやっちゃっていいですよ。
ユキコ  その、好きにってゆうのができないんです、自由っていうのが不自由と言いますか。
孝仁  あーなるほど。
ユキコ  小学校の時からそうで、図工とか美術の時間、何描いたらいいか分かんないんですよね、全然描きたいものとか浮かばないし、っていうその感覚思い出してます、今。はい。
孝仁  うふ、うふふふふふ。
ユキコ  えっ。
孝仁  これ、これどうですかユキコさん、これ、良くないですか?
 
  孝仁、冷蔵庫からマトリョーシカを取り出す。
 
ユキコ  えっ、それは、だって。
孝仁  うふ、うふふふ、これ、良くない、最高じゃん、これ。
ユキコ  えっ、お母さん的に、あれ、いいんですっけ。
孝仁  いや、だから冗談ですって、さっきの、これいいじゃん、これにしなよ。
ユキコ  えっ、これでいいんですか。
孝仁  いいからいいから、ちょっと描いてみて。
ユキコ  はあ。
 
  ユキコ、マトリョーシカを描く。
 
ユキコ  どうですか。
孝仁  うん、最高。最高だよ、ユキコさん、最高。
ユキコ  そうですか。
孝仁  じゃあこの調子でお願いします。うふふふ。量産。
ユキコ  はあ。
 
  それぞれの作業時間。
 
ユキコ  やっぱり聞いてもいいですか?
孝仁  えっ。
ユキコ  昨夜の話の続きを。
孝仁  あっ、昨夜の話。
ユキコ  気になってしまいます。
孝仁  あっ、そうですか、昨夜の話、では話しましょう。ええと、どこまで話しましたっけ、あああれだあれだ、キスしたいってとこだ、では。私はものすごく、ああ、キスしたい、めちゃくそキスしたい、ああ、もう、キスしたくてたまらない、マジで恋する五秒前とはこのことかと、はい、そうなった訳です。そこで、率直にあなたに尋ねました、ユキコさん、キスしてもいいですか、と。母親はいません、何故なら、10時には眠るからです。ユキコさん、キスしてもいいですか。するとあなたは、ええ~、キス、したいの、ええ~どうしよっかなあ、と私をはぐらかすのです。えっほんとに、ほんとに私とキスしたいの?ええ、キスしたいです、えっ、それは私が魅力的だってこと、はい、とっても魅力的です、うははははー私魅力的なんだー、はい、魅力的です、えっじゃあじあじゃあーどこが魅力的か言ってみ、言ってみ、ほら、それや、もうその身体から醸し出る雰囲気が、もうすでに魅力的です、えっ、それって、キスしたいっていうか、えっ、ていうか、あはははは、はい、そうですね、いやあ、キミ偉いよ、正直、すっごい正直、はい、すみません、いや謝らなくてもいいんだよ、すっごくいいことだと思うよ、いや、ほんと、そんなに正直になれる人いないよ、この世の中、ありがとうございます、で、キスの方は、ええ~どうしよっかなあ~、と、これまた私をはぐらかすのです。しかし断じて。断じて私に好意を全く持たないというそういうわけでもなさそうな雰囲気、私の心の奥に住む怪物がニヤリと微笑みました、イケル、この調子で行けばイケル。ユキコさん、私にあなたのその潤んだ唇を塞がせてはくれまいか、ええ~、じゃあじあじゃあ~、キスしたくなるような事してよ、えっ、それはどういう、キスしたくなるように舞ってみてよ、えっ、
舞ってみる、だから、キスの舞、キスの舞を踊れっつってんの、えっ、キスの舞を踊る、それでその舞が良かったらキスしていいよ、えっ、キスしてくれるんですか、その先も~、考えてみてもいいよ、えっ、キスの舞なのに、うん、キスの舞からの、分かりました、それでは、踊ってしんぜよう、今宵あなたのためだけに、男孝仁、花を咲かせに参りましょう、あっそれ、キッスの舞っ、キッスの舞っ、キッスの舞ったらキッスの舞っ。
ユキコ  マーっっ。
孝仁  まっ、マー。
ユキコ  なんなんですか、キスの舞って。
孝仁  あなたが言ったんですよ。
ユキコ  で、結局どうなったんですか。
孝仁  だから今話してるんじゃないですか。
ユキコ  長いです、長いですよ。最終的に、最終的にどうなったんですか?
孝仁  えっ、最終的に?
ユキコ  キスしたんですか?っていうか、っていうか、したんですか?
孝仁  ・・・うふふ。
ユキコ  まっ。
 
  しばらく無言の作業時間。
 
孝仁  ユキコさんっていい匂いですね。
 
  ユキコ、作業の手がピタリと止まる。
 
ユキコ  ・・・。
孝仁  ユキコさんって、
ユキコ  私、やっぱり帰ろうかな。
孝仁  えっ、なんで。
ユキコ  いやーやっぱり日曜日といっても、やっぱり、しなければならないことがたくさんありまして。
孝仁  仕事は休みって。
ユキコ  仕事は休みです、仕事は休みですけどね、勿論。うん、勿論。でも別の用事があるんです、きっと。
孝仁  何の用事ですか?
ユキコ  そんなことはあなたに、今さっき会ったばっかのあなたに話すことではありませんので、プライベートなことなので。
孝仁  今さっきではありません。
ユキコ  昨夜もさっきも同じようなもんです。
孝仁  昨夜キスの舞を踊りあった仲じゃないですか。
ユキコ  ・・えっ、私も踊ったんですか?
孝仁  そうです、あなたも踊ったんです。
ユキコ  ・・あー。・・帰りますっ。
孝仁  ちょっと待ってくださいよ。
ユキコ  えっ、なんで、なんでここにいるの?
孝仁  それはあなたが訪ねてきたんですって。
ユキコ  それはすみません、迷惑かけました、申し訳ありません、すみません、帰らして下さい。
孝仁  ちょおっと待ってっ。
ユキコ  なんですか。
孝仁  助けて下さい。
ユキコ  えっ。
孝仁  助けて下さい。
ユキコ  誰を?
孝仁  僕をです。
ユキコ  何から?
孝仁  母さんからです。
ユキコ  どういうこと?
孝仁  実は僕、この家の息子でもなんでもないんです。
ユキコ  はあ?
孝仁  あの女に連れてこられたのです。
ユキコ  何故?
孝仁  話せば長くなるのですが、
ユキコ  帰ります。
孝仁  短く話すんで、短く話すんで聞いて下さい。
ユキコ  なんですか。
孝仁  それは、僕が東京でアルバイトをしていた頃でした。
ユキコ  手短にですよ。手短に。
孝仁  分かりましたよ。カレー屋でバイトしていたら、あの、お母さんがやってきて、家に一緒に住まないかと言われたんです。普通ならそんな話断ります、普通なら、しかし僕はその時、なにか普通に魔が差していたというかなんというか、普通に飽き飽きしていたのです。バイト生活が嫌になっていたというのもありました。なんとなく軽はずみにオーケーしてしまったのです。そしてこの家に住み始めたというわけです。はじめのうちは襲われるのではないかとドキドキしていました、しかし、そんなことはありませんでした。炊事洗濯なんでもやってくれるしとても優しい、なんでも言うこと聞いてくれるようなそんな存在、ぎこちなかった会話からもある日、孝仁と名前で呼ばれました、僕は、小っ恥ずかしい思いをしながら、お母さん、そう返しました。お母さんはとても喜びました。そう、親子ごっこなのです。僕たちは親子ごっこをしているのです。
ユキコ  でも、本当のお母さんはいるんでしょ。
孝仁  そりゃあ、います。しかし、縁を切りました。両親ともども。
ユキコ  縁を切った?
孝仁  芸能人になりたかったのです。
ユキコ  芸能人に?
孝仁  はい、タレントを目指して上京しましたが、いつの間にやらバイト生活に明け暮れる日々。硬い公務員の両親の反対の結果、家出したきり、もう十年も帰ってはいません。
ユキコ  だからって、全くの他人と一緒に住むなんて、おかしいですよ、二人とも。
孝仁  そう、おかしいんです、僕達は。しかし、そのおかしさこそが僕が追い求めてるものだったと気付いたのです。芸能人になりたかったのもそれです。絶対サラリーマンや公務員にはなりたくなかった。それだけだったと気付いたのです。むふふ、つまり、普通が嫌だと。こんな生活普通じゃない、おかしいじゃない、それこそが求めてたものだと。しかも、生活の面倒をなんでもしてくれる、月に一万円のお小遣い。その一万円でテレビゲームを買う。お菓子を買う、たまにお母さんの肩を揉む、むふふ、それだけ。それだけの生活、最高の生活、何もしなくとも生活ができるんです。
ユキコ  なんて自堕落な生活なの。
孝仁  しかし、そんな生活が一年ほど続いたある日、母さんは急に僕にこう切り出したのです、この裏に山がある、ここはこのうちの土地だと、どうかな、穴を掘ってみないかと。
ユキコ  穴?
孝仁  この裏山に徳川埋蔵金が眠っていると言われているのです。
ユキコ  徳川埋蔵金て、あの徳川埋蔵金
孝仁  あの徳川埋蔵金です。
ユキコ  本当なのですか?
孝仁  掘り当ててみないと分かりませんが。
ユキコ  で、穴は掘ってるんですか?
孝仁  掘るわけないじゃないですか、そんなあるかないかも分からないもの。第一穴の掘り方も分からないし、一応ググったら暗号解いて掘る位置を定めてくとか訳の分からない、素人には到底出来そうもないこと書いてるじゃないですか、しかし、母は穴を掘れ穴を掘れ、とうるさくしてくる。
ユキコ  かなりあなたの望んだおかしい状況じゃないですか。
孝仁  えっ、いやいやいやいや、一周まわって普通ですよ、いいですか、穴を掘れって働けって言ってるようなもんですよ、穴を掘れ穴を掘れ、ああー穴なんか掘りたくない。
ユキコ  働きたくないってことね。
孝仁  ユキコさん、この家は呪われています。荻原家は代々埋蔵金を発掘しようと人生を捧げ死んでいくようなのです、お母さんの夫、つまり、僕の擬似父親も発掘に生涯を捧げ、穴から落ちて死んだとのことです、家の呪いです、埋蔵金はあるかどうかはどうでもいいのです、穴を掘らなければいけないのです、そして今、後継者がいないのです、だから僕が連れてこられたというわけです。家を継ぐ?赤の他人の僕が?穴を掘る?小中高と卓球部だった僕が?冗談じゃない。ユキコさん、僕と一緒にこの家から逃げてくれませんか。
ユキコ  えっ、一緒に?
孝仁  そうです。一緒にです。
ユキコ  なんで、一人で逃げればいいじゃない。
孝仁  お金が、ない。
ユキコ  えっ。
孝仁  毎月の小遣いがなんとなく食べたりゲーム買ったりですぐなくなっていく。
ユキコ  えっ、クズなの。
孝仁  引っ越したいけど働きたくない。
ユキコ  クズなの。
孝仁  できることならユキコさんが働いて得たお金で生活したい。
ユキコ  なんてクズなの。
孝仁  ヒモとして生きていく自信はあります。
ユキコ  なんで私があなたを養わなきゃいけないの、赤の他人のあなたを。
孝仁  赤の他人じゃありません、昨日、っていうかした仲じゃないですか。
ユキコ  それは、それは、それは関係ないでしょ、ちゃんと働いて、ちゃんと自分でお金作ってこの家を出ていきなさいよ。
孝仁  ユキコさん、結婚して下さい。
 
  間。
 
ユキコ  嫌です。なんで私があなたを養わなければいけないの?
孝仁  そ、そんなあ、昨日あんなことしといて、、、ばか。
 
  孝仁、はける。
 
ユキコ  ばか。
 
  ユキコ、マトリョーシカを一つ描いてみる。
  ばっと立ち上がり、はける。
 
  誰もいなくなった台所。
  カレーの匂い。
 
  ユキコ、荷物を持って戻ってくる。
  なにかを探している。
 
  母、現れる。
  鍋とたこ焼きの材料の入ったスーパーのレジ袋。
 
ユキコ  あっ。
母  あっ?
ユキコ  お買い物でしたか。
母  鍋とたこ焼きの具材。
ユキコ  えっ、カレーがあるのに。
母  あなた、鍋とたこ焼き食べるって言った。
ユキコ  言ってませんよ。
母  ・・・。
ユキコ  いや、言いましたけど、あれは家パーティで何やるかって聞かれたから、鍋とかたこ焼きとか食べるんじゃないですかって言っただけで、今日はカレーがあるのに、鍋とかたこ焼きとかいらないんじゃないかな。
母  じゃあ、いらないかな、今日は。
ユキコ  そうですね。カレーを食べましょう、カレーを。
 
  母、材料を冷蔵庫にしまっていく。
 
母  息子は?
ユキコ  ああ、なんか出かけてしまいました。
母  カレーできてるね。
ユキコ  ああ、はい。
母  食べる?
ユキコ  いえ。
 
  間。
 
母  息子はどこに行ったか言ってた?
ユキコ  いえ。
母  パーティパーティ言ってたのにねえ。
ユキコ  そうですね。
母  作ってるの?
ユキコ  えっ。
母  トランプ。
ユキコ  あっ、はい。
母  ・・・かわいい。
ユキコ  あっ、ありがとうございます。
母  帰るの?
ユキコ  あっ、えっ、これは。
母  カレー食べてから帰りなさいよ。それぐらいの時間はあるでしょ。
ユキコ  あっ、はい。
母  食べる?
ユキコ  あっ、えっ、いや。
母  息子が帰ってきてからでもいいかな、楽しみにしてたし。
ユキコ  あっ、はい。
母  せっかくだし、やっぱ鍋も作っちゃお。ぱぱっと、待ってる間に。
ユキコ  あっ、そうですね。
母  あなたはトランプ作っちゃいなさいよ。
ユキコ  あっ、そっか。
 
  母、冷蔵庫から鍋の具材を取り出し切る。
  ユキコ、マトリョーシカを描く。
 
母  息子がね、あんなに楽しそうにしゃべっているの、久しぶりに見たの。
ユキコ  えっ、あっ、そうなんですか。
母  嬉しかったわ。
ユキコ  はあ。
 
  間。
 
母  どうしてマトリョーシカなの?
ユキコ  えっ、あっ、いや。
母  冷蔵庫にあったから?
ユキコ  あっ、いや、これは孝仁さんが。
母  息子が、息子が描けって。
ユキコ  はい。
 
  間。
 
ユキコ  描いちゃダメでした?マトリョーシカ
母  そんなことないわよ。どうぞ描いて。
ユキコ  はあ。
 
  ユキコ、マトリョーシカを描く。
 
ユキコ  おかしくないですか。
母  えっ。
ユキコ  だって本当の息子じゃないんでしょ。
母  ・・は?
ユキコ  あなたが連れてきた赤の他人なんでしょ。
母  ・・え?
ユキコ  それなのに、息子が息子がって本当の息子のように・・。
母  本当の息子よ。
ユキコ  えっ。
母  あの子は本当に私の息子よ。
ユキコ  えっ、いや、そういうことじゃなくて、思い込んでるってことでしょ。
母  息子がなんか言ったのね。
ユキコ  ええ、全部聞きましたよ。こんな関係すぐさま終わらせたほうがいいですよ。
母  息子はね、虚言癖があるの。
ユキコ  ええっ。
母  きっと息子から聞いた話は全部嘘よ。
ユキコ  えええ。
母  だっておかしいじゃない、なんで赤の他人と一緒に住まなければいけないのよ。
ユキコ  それは一族の存続のために。
母  一族の存続?
ユキコ  お父さんが亡くなって、後継者がいないからって。
母  いますよ。
ユキコ  えっ。
母  お父さん亡くなってませんけど。
ユキコ  んん。
  
  玄関が開く音がする。
 
父  ただいまあ。
ユキコ  えっ。
 
  父、現れる。
  服が土にまみれている。
 
ユキコ  あっ。
父  あっ、起きた。
ユキコ  あっ、はい。
父  いやあ、びっくりしましたよ、昨夜は。
ユキコ  すみません、ご迷惑おかけしたみたいで。
母  夫です。
父  あっ、そうか。どうも初めまして。
ユキコ  初めまして。佐渡ユキコです。
父  その後、気分はどうです。
ユキコ  えっ、いや、元気ですが。
父  それは良かった。おっ、今日はカレーか。
母  パーティですって。
父  パーティ、なんじゃそりゃ。
母  孝仁がパーティって。
父  あいつが。ちょっと失礼。
 
  父、はける。
  すぐに戻ってくる。
 
父  風呂沸かしてないの?
母  うん。
父  沸かしてよ。
母  ああ。
父  えっ、何作ってるの?
母  鍋。
父  鍋?カレーあるのに。
母  ああ、ユキコさんが。
ユキコ  いや、私はその。
 
  母、はける。
  父、座る。
 
父  ふうー、よっこいショットガン。お腹空いたなあ。何してるの?
ユキコ  あっ、トランプを作ってまして。
父  えっ、なんで?
ユキコ  えっ、なんででしょう。
父  トランプないの?
ユキコ  はい、ないって。
父  買ってくりゃいいのに。
ユキコ  いや、なんか息子さんが振る舞いたいからって。
父  あいつが?振舞う?
ユキコ  はい。
父  振舞わせてるじゃないの。
ユキコ  あっ、いえ、いろいろありまして。
父  なんでマトリョーシカなの。
ユキコ  息子さんが。
父  あいつが。描けって。
ユキコ  まあ、手伝って下さいと。
父  ふうん。
 
  間。
 
ユキコ  埋蔵金を掘ってるんですか・
父  ん、あ、興味あるの?
ユキコ  いえ、興味があるというかなんというか。
父  そんな物ないだろって。
ユキコ  いえ、別に、そんな。
父  あるよ。あるから掘ってるんじゃない、あるって確証があるから掘っているんだよ。
ユキコ  いや、ないとは。
父  徳川時代末期、崩壊に瀕していた幕府を再興する資金として莫大な黄金の埋蔵が企てられた、その額、およそ四百万両。時価にして百兆円に達すると言われている物が、この、山に、山のどこかに埋蔵されているんだよ。実際この家の祖父は埋蔵に関わった人物からの証言とそれに関する資料を得ているし、この村にいきなり武士の一団が百姓を連れて奥地を開墾しに来ている。村の者でも訪れないような場所にだ、そして百姓たちが六人がかりで持っている弾薬箱のような物を何個も運んでいるのも目撃されている。つまり、あるとしか言えないわけだ、ここにあるのは分かっているんです。
 
  間。
 
父  お腹空いたなあ。
 
  間。
 
父  あっ、昨夜のことは誰にも言わないから。
ユキコ  えっ。昨夜。
父  人間誰しもね、人に見られたくないもんってのがあるよね。
ユキコ  昨夜、もしかして、キスの舞のことですか?
父  ん?キスの舞?なにそれ。
ユキコ  あー、あれも嘘か。
父  ああ、息子のにやられましたか。
ユキコ  そうみたいですね。
父  困ったもんですよ、一向に家を継ぐ気配がない。
ユキコ  えっ、じゃあ私は昨夜何をしてたんですか?
父  えっ、覚えてない?
ユキコ  覚えてません。
 
  間。
 
父  そうか、覚えてない。
ユキコ  はい。
父  覚えてるでしょ。
ユキコ  えっ。
父  覚えてないの?
ユキコ  はい。
 
  母、現れる。
 
父  お腹空いた。先に食べていい。
母  でも、孝仁が。
父  孝仁が何?
母  パーティだって。
父  なんなの、パーティって。
母  ほら、ユキコさんが来たから。
父  ユキコさんが来たから、何?
母  張り切ってて。
父  ああ、すみませんね、何か?
ユキコ  いえ。
父  どこ行ったの?
母  さあ。
父  すぐ帰ってくるの?
母  さあ。
 
  間。
 
ユキコ  あの、すみません。
父  はい。
ユキコ  すみません、息子さんが出て行ったのは私のせいで。
父  はあ。
ユキコ  結婚を申し込まれました。
父  えっ。
 
  間。
 
父  で?
ユキコ  はあ。
父  どうしたの?
ユキコ  えっ。
父  だから、どうしたの?
ユキコ  断りましたよ。
父  そうかあ。そうだよなあ。
ユキコ  ええ、そんな。急に。
父  えっ、急じゃなければいいの?
ユキコ  えっ、いや。
父  急じゃなければいいの?
ユキコ  いやあ、それは、どうでしょう、そんなさっき初めて会ったばっかで考えられませんよ。
父  初めて?
ユキコ  ええ。
父  えっ、初めてなの?
ユキコ  初めてですよ。
 
  間。
 
父  えっ、同級生じゃないの?
ユキコ  えっ?
父  小学校の時の。
ユキコ  はあ?
父  なあ、そう言ってなかった?
母  ああ、そういえば。
ユキコ  えっ、同級生?あの人と。
父  えっ、違うの?
ユキコ  えっ、分かんない。そうなんですか?
父  いや、私は知らないけど。
 
  間。
 
父  とにかく、探してきなよ。
母  えっ、でも鍋が。
父  鍋なんか後でいいよ。っていうか鍋いいよ。
母  えっ。
父  だってカレーあるんだから。ねえ。
ユキコ  ああ。でも、鍋も鍋でね、あったまりますし。
父  あっ、そうか、すみません、ユキコさんが食べたいのか、鍋。
ユキコ  あっ、いえ、違います、食べたいとは言ってません。
母  食べたく、ないんだ。
ユキコ  いや、食べたくないこともないですよ、断じて。
父  えっ、どっちなの?
ユキコ  ええ。
父  食べたいの、食べたくないの?
ユキコ  いや、だからそれはいろいろありまして。
母  はっきりしなさい。
ユキコ  どっちでもいいですよ、そんなことは。
 
  間。
 
父  どっちでもいいんだ。
母  じゃあ、作ります。
父  いや、ちょっと待ってよ。
母  なんですか。
父  探しに行きなさいよ、お腹空いてんだから。
母  じゃあ、分かりました、ある程度作ったら探しに行きますよ。
父  ある程度って。
母  私が作って探しに行って、見つける間に、あなた、お風呂に入ってって、で、ちょうどいいでしょう。
父  まあ、そうかもしれないけど。えっ、どっちでもいいんだ。
ユキコ  あっ、はい。
父  結婚は?
 
  間。
 
ユキコ  えっ?
父  結婚はどっちでもよくないの?
ユキコ  結婚はどっちでもよくないですよ。
父  なんで。
ユキコ  なんでって。
父  なんで鍋が食べたいか食べたくないかはどっちでもいいのに、結婚はどっちでもよくないんだ。
ユキコ  ええっ。
母  あなた、何を言ってるの。
父  ああ、そうか、何を言ってるのか分からないね、そりゃあ。
ユキコ  はい、それとこれとは。
父  じゃあ、こういうのはどうでしょう、あなたは今コンビニにいる。
ユキコ  いませんよ。
父  いや、いるんだ、いることにしてください、そしたら、何か甘いものが食べたいと思い立つ、ふと目の前を見ると、甘いものの気配、どら焼きです、しかし、このどら焼、二種類が並んでいる、一つはこんなに大きなどら焼、もう一つは、一つ一つ袋に入った小さなどら焼がたくさん。さあ、あなたはどっちを選ぶ。
ユキコ  え~、どっちでもいいです。
父  はい、でました、もらいました、どっちでもいい。
ユキコ  なんなんですか、これは。
父  じゃあ、こういうのはどうでしょう、あなたは自分の家でのほほんと午後のティータイムを過ごす、やわらかな日差し、ほろ苦いハーブティ、そんな至福の時間に殺し屋がどかどかと家に入ってくる。
ユキコ  殺し屋っ。
父  殺し屋が言うには、ここにカブトムシとクワガタがいる、どっちかを大切に育てないと、おまえを殺す、さあっ。どっちを育てますか。
ユキコ  どっちでもいいです。
父  ほらほらほらほら、どっちでもいいいんだ、どっちでもいいんだ、じゃあ結婚は。
ユキコ  あのねえ、どっちでもよくないですよ、結婚は。
父  じゃあ、こういうのはどうです、これです、あなたはトランプを一緒に作らないかと男に言われ作ることになる、そしたら、男はこう言う、裏と表とありますが、どっちを描きたいですか。
ユキコ  えっ。
父  どっちがいいですか。
ユキコ  どっちでもいいです。
父  じゃあ、結婚は。
ユキコ  しません。
父  同級生なのに。
ユキコ  同級生だから結婚するってどういうことですか。
父  じゃあ、今晩息子と一夜を明かすっていうのは。
ユキコ  はあ。  
父  これは、どっちでもよくない?
ユキコ  あのですね、昨夜、私は息子さんと、あれ、これは嘘か。
父  昨夜、息子とどうしたんです。
ユキコ  なんでもないです。
父  聞かせてくれませんか。
ユキコ  あれ、私はどうしてこの家へ来たんですか、昨夜。
父  あっ、昨夜の話?そうか、覚えてないんでしたね。
ユキコ  はい、聞かせて下さい。
父  昨夜、あなたは山にいました。
ユキコ  山に。
父  私があなたを見つけました。
ユキコ  山で何を。
父  あなたは震えていました。
ユキコ  えっ。
父  そして泣いていました。
 
  ピピピピっ、ピピピピッ、ピピピピっ。
 
母  お風呂いいですよ。
父  あっ、そうか、風呂に入ろうと思ってたんだった、ほら、土まみれでしょう。
 
  父、はける。
  音が止む。
 
ユキコ  私は、何を。
母  ごめんなさいね、私にはちょっと。
 
  間。
 
母  続けなさいね、マトリョーシカ
ユキコ  ああ。
母  描ききりなさいね。
ユキコ  はい。
 
  描く。
 
母  夫はね、生涯を穴掘りに捧げているのです、夫はね、それを天命だというのです。埋蔵金を掘り当てるのが我々の使命だと言うのです。夫は、ね、言うんですよ、荻原にしか出せない、我々一族にしか出ないよと、あの、ね、90パーセントの謎は解けているの、当時の巻物やら文献の解読を行い、90%の謎は解けていると、残りは掘り当てた時にわかるでしょうと、穴を掘りに行くんですよ、毎日毎日、そしたらね、言うんですよ、もう少しこの穴を掘ったら出るかもしれない、カチンと硬い何かにぶつかるかもしれない、いや、右を掘ってみようか、もしくは左に、言うんですよ、猜疑心ですってね、夫はね、これがずっと続いてるわけだと、百三十年、続いてるんだと、もしかしたら、こっちかもしれない、そんな夫をね、支えてるんですよ、ちょうどあなたぐらいの歳です、嫁いだのは、夫にとっての穴掘りが天命であるように、私にとっての天命はこの家を守ることかもしれないと思ったわけです、私はね。どう思います、ユキコさん。
ユキコ  えっ。
母  私たちのこの暮らし、どう思います?
ユキコ  素敵だと思います。
母  嘘?
ユキコ  いえ、嘘ではなく、あの、一つのことを追い求めるって羨ましいなあと。
母  あなたにとっての天命は何?
ユキコ  私にとっての?
母  そう、あなたにとっての。
ユキコ  なんだろ、私にとっての天命、えっ、なんだろ。
 
  チャンチャララランラン、チャラララララランラン。
 
母  あっ、洗濯機まわしてたんだった。
 
  母、はけようとして、
 
母  まず、そのマトリョーシカが天命ね。
ユキコ  はあ。
母  沸騰したら止めといてね。
ユキコ  はい。
 
  母、はける。
  ユキコ、自分の荷物を持ち、投げる。
 
ユキコ  天命。
 
  ユキコ、マトリョーシカを描く。
  そして、歌う。
 
  トランプ全てにマトショーシカを描き終え、
  組んでみる。
 
ユキコ  組みづらい。組みづら、あ。ああっ。ああっ。
 
  ユキコ、泣く。
  母、現れる。
 
母  どうしたの、ユキコさん。
ユキコ  トランプが、あっ、トランプが完成しました。
母  すごいじゃない。すごいじゃないユキコさん。
ユキコ  あっああっ、すみません、一つのことを成し遂げたっていうのが、なんか感動して。
母  すごいわ、すごいわユキコさん。
ユキコ  私の天命って、私の天命って。
母  ユキコさん。
ユキコ  ああっ、ああっ、今まで生きてきて、あっ、今まで生きてきて、ああこんなもんかって感じで高校卒業して、友達はいて、全然友達もいて、周りに合わせてああ、こんなもんかって卒業して、やりたいこととかなくて、ああ、こんなもんかって、先生とかから大学行ったら専門的なこと勉強するからなんかやりたい仕事見つかるだろって言われてまあそんなもんかって大学行って、結局見つからず、ああ、こんなもんかって卒業するってなって、就職先とか大学に公募してるから、その中から比べてなんか良さそうなとこ就職して、ああこんなもんかって、ああ、こんなもんかって、仕事してもああ、こんなもんかってずっとなってて、今なんかトランプ描ききって、やったって、ああ、やったねってなって、中高とバスケ部だったんですけど、友達に誘われて、中学の時入って、高校の時は部活どこかに入らなければならないっていう理由で入って、いつも一回戦で負けるんですよね、いつも、あっ、っていう、なんだ、この話、あっ、そうそう、だから、オリンピック出れる人とかすごいねって、どんだけ努力してんだよって、才能とかの問題かもだけど、努力とかもあんまできないわけですよ、ああ、そっかそういうことね、努力の話です、だからオリンピックとか出る人羨ましいっていう、っていうのは、オリンピック出れるのが羨ましいっていうのじゃなくて、オリンピック出れるぐらい努力できるっていうか、一生懸命になれることがあるっていうのが、徳川埋蔵金を掘り当てるとかそういうことだと思うんですけど、ああっ、私は何に打ち込めばいいのかっていう話で、そんなこと言ったらですよ、なんか始めてみればってなるわけじゃないですか、でも釣りとかボルダリングとか、興味なくてもやってみれば変わるかもよって、でもそういうのってちょっと違うじゃないですか、なんか衝動というか運命というか、ああ、私はこれをするんだって、そういうのがないじゃないですか、あっ。
 
  鍋が沸騰している。
 
母  私は幸せよ。
 
  鍋が沸騰している。
 
母  どんな生活も受け入れちゃえばいいのよ。
 
  鍋が溢れる。
 
ユキコ  ああっ。
 
  ユキコ、コンロを止めに行く。
 
母  沸騰したら止めといてって言ったよね。
ユキコ  ああ、はい。
母  あなたは孝仁の嫁になるんでしょ。
ユキコ  えっ、あっ、いや。
母  受け入れてしまえば幸せよ。
ユキコ  ちょっと待って。
母  あなたは勘違いしてる、天命ていうのは天からの命令、つまり、自分から見つけるものではないのよ、私の夫も、家を継がされているだけ、一族に、命令されているの。洗濯物がまだだったわ。
 
  母、はける。
  ピー、ピー、ピー、炊飯器の音が鳴る。
 
ユキコ  えっ、えっ。
 
  孝仁、そっと現れる。
 
ユキコ   あっ。
孝仁  シっ。
ユキコ  あのですねえ。
孝仁  待って、怒ろうとしてますね、怒ろうとしてるんでしょ。
ユキコ  そりゃそうですよ、昨夜の話もお母さんの話も全部嘘なんでしょ。
孝仁  嘘じゃない。
ユキコ  ああん。
孝仁  嘘じゃない、断じて。
 
  間。
 
孝仁  聞かせてもらいました、大体は。
ユキコ  えっ、ここにいたの?
孝仁  はい、裏に。
ユキコ  なんで。
孝仁  考えていました、あなたと結婚するにはどうすればいいのか。
ユキコ  しないって言ってるでしょ。
孝仁  まず一つ、あの人は父でも夫でも何でもありません、ただのトレジャーハンターです。僕に埋蔵金を掘ることを継がせようと月に何度か、裏の山を掘るついでににここに来るんです。
ユキコ  嘘。
孝仁  嘘ではない、僕は虚言癖ではない。
ユキコ  嘘。
孝仁  二つ目、嘘をついたことを謝ります。
ユキコ  嘘ついてるんじゃない。
孝仁  一部だけ、一部だけです、つまり昨夜の話なんですが、あれは、こう言えばユキコさんとこの家を出れるかなあと。
ユキコ  出られるわけないじゃない。
孝仁  それだけの理由です、それだけでした、つまり、本当の昨夜というのはこうなんです、母があなたを連れてきたのです、この家に。
ユキコ  何故。
孝仁  僕と結婚させるためです。そして、子供を産ませようとしているのです、この一族のために。いや、一族のためではないのかもしれない、母と父の間には子供がいませんでした、できなかったのか、つくらなかったのか、そのへんは分かりません、母は何十年もこの家に仕え、毎日毎日、父のために食事を作り、父のために洗濯をし、父のために掃除をした、父は看板製作の仕事で家を支えてくれるも、たまの休日は埋蔵金、一日の空いた時間は埋蔵金、資金援助がどこから出るだ、金属レーダーは当てにならないだ、そんな話しか聞かされない日々、つまり、現代の一般的な幸せからかけ離れてきた、子供がいればまた違ったのでしょうが、いや、それが幸せだったのかもしれない、百三十年この家が埋葬金を探し続けるように、三十年、四十年とこの家に仕えてきたのが、逆に幸せだったのかもしれない、しかし、父は死んだ。母は一人になった、母の生きていく為の糧がなくなった、子供がいれば違ったんでしょうが、だから、あの父を崇拝するトレジャーハンターのおっさんを父代わりにし、まったくの赤の他人の僕を息子代わりにし、今度はあなたを息子の嫁代わりにし子供をつくらせようとしているわけです。家族ごっこから、一族形成ごっこへと変貌を遂げようとしているのです。
ユキコ  おかしいでしょ、なんで赤の他人に子供を。
孝仁  おかしいんですよ、母さんは、一族のこととなるとおかしいんですよ。
ユキコ  おかしいのはあなたでしょ、全部嘘なんでしょ、
孝仁  嘘じゃないっ、嘘じゃないですって、僕がさっき何故昨夜の話に嘘をついたか、あなたを守るためです。
ユキコ  ああん。
孝仁  守りたい、君を取り巻くすべてのことから。
ユキコ  もう、うっせえ。
孝仁  僕が何故結婚を迫ったか、母が僕達に子供をつくらせようとしていることが分かったからです、だから結婚をせがんだというわけです、結婚をしてさえいれば子供が出来ようと、その子がこの家を継ごうと正当化できる、そういうわけです。
ユキコ  もう、うっせえ。どうなってるの、何が本当なの、この家狂ってるよ、ねえ、なんなの、子供産ませるって、私に、はあ、ふざけんなよ、意味分かんねえよ、関係ねえじゃん、私、糞豚、糞豚野郎。
 
  ユキコ、出ていく。
 
孝仁  ユキコさん。
 
  ユキコ、戻ってくる。
 
孝仁  あっ、ユキコさん。
ユキコ  私の携帯知りませんか?
孝仁  えっ、携帯?
ユキコ  知りませんか?
孝仁  知りません。
ユキコ  糞豚。
 
  ユキコ、はけようとする。
  父が立っている。
 
父  帰るの?
ユキコ  あっ。
父  なんだ、いるじゃん。
孝仁  あっ、はい。
父  帰れないよ、ユキコさん。
ユキコ  えっ。
父  カレーだけでも食べていきなよ。あっ、鍋もか。
ユキコ  あっ、いや、私は。
父  帰れないでしょ。
ユキコ  はあ。
父  思い出した?昨夜のこと。
ユキコ  いや。
父  思い出したくないんでしょ。
ユキコ  ええ。
父  携帯ってこれ?
 
  間。
 
ユキコ  それです。なんで?
父  山に落ちてたよ。あっ、できたんだ。
ユキコ  あっ、はい。
父  結局人にやらせて。
孝仁  ああ、はい。
父  せっかくだからなんかしようか、母さんが来るまで。
ユキコ  あっ、はい。
父  何がいい?
孝仁  えっ、なんでしょう。
父  ババ抜きでいいか。
ユキコ あっ、はい。
 
  父、トランプを三つの山に振り分ける。
 
父  久しぶりだなあ、トランプ。そうだ、せっかくだしなあ、そうだなあ。
 
  三人、揃ったカードを出していく。
 
父  こういうのはどうかな、ユキコさん、孝仁が勝ったら、ユキコさんと結婚する。
ユキコ  えっ。
孝仁  ちょっと。
父  待って待って、その代わり、ユキコさんが勝ったら、結婚はきっぱり諦める。
ユキコ  えっ、それは、えっ。
孝仁  何言ってるんですか。
ユキコ  えっ、あっ、えっ、私にメリットないですよね。
父  待って待って待って待って、っで、もし俺が勝ったら、俺と結婚する?
 
  間。
 
父  なーんちゃって。
ユキコ  あっ、えっ、あっ、もう、やめて下さいよ。
孝仁  そうだよ、さっき結婚申し込んだばっかなんだから、トランプなんかで決められないよ。
父  じゃ、誰からだ、ジャンケン、ポン。
 
  父、勝つ。
 
父  俺からだ。
 
  父、カードが揃うと、「よしっ」「やった」など。
  揃わない、もしくはジョーカーを引くと、「あー」「なんでだ」など発する。
  ユキコ、孝仁は黙々と父に合わせた笑顔。
  孝仁、あがりかける。
 
父  おっ、なんだ、結婚か。
ユキコ  えっ。
父  結婚しちゃうのか、孝仁。
ユキコ  えっ、冗談ですよね、さっきの。
父  それとも俺と結婚か。
ユキコ  ええっ。
 
  ユキコ、これが揃えば勝つという一瞬。
 
父  おおっ、結婚か、結婚じゃないか。
 
  ユキコ、引く。
 
ユキコ  やっ、あがり。
父  なんだよー、面白くない。
孝仁  まだ終わってませんよ。
父  いいよ、もう。
ユキコ  あのですねえ。  
 
  ブオオーーん。
 
ユキコ  えっ。
 
  換気扇が勝手にまわり始める、ブオオーーん。
 
ユキコ  えっ、えっ、勝手に。
父  そうだね、勝手にだね。
 
  父、止めようとする。
  止まらない。
 
父  えっ、怖い怖い、なんでなんで。
 
  母、現れる。
 
母  大丈夫ですよー、怖くないですよー。
ユキコ  えっ。
孝仁  お母さん。
父  どうしたの。
母  大丈夫ですからねえー。
 
  母、冷蔵庫からマトリョーシカを取り出す。
 
母  安心してくださいねー。
 
  母、マトリョーシカをばらしていく。
 
母  ほうら、ほらほら、かわいいですねー。
 
  換気扇が止まる。
 
ユキコ  えっ。
母  食べましょうか。
ユキコ  えっ、あっ、あっ、えっ。
 
  母、食事の準備をする。
 
父  えっ、なんなの。
母  は?
父  いや、今のはなんなのよ。
孝仁  やめて下さい。
父  えっ、なんでよ。
孝仁  こんな客人のいる席でやめて下さいと言ってるんです。
 
  間。
 
父  えっ、なんで。
孝仁  分からないんですか。
父  えっ、分からない。分かる?
ユキコ  いやあ。
孝仁  いいですよ、分からなくて、あなたには関係のないことなんですから。
父  えっ、なんでなんで、気になる気になる、なんなの、今のどういうこと。
孝仁  やめて下さいって、ユキコさんの前で。
父  えっ、ユキコさんの前でしたらダメなの、換気扇なんで動いたの?
孝仁  あのねえ、そんな話今することじゃあないでしょう、もうカレーを食べるんだから。あなたねえ、カレーを食べる前に、いやあ、最近ウンコが柔くてですねえ、体調でも崩したかかなあ、なんてそんな話しますか?
父  いや、しない。
孝仁  じゃあやめて下さい。
父  えっ、なんでなんで、うんこみたいな話なの、あの換気扇、うんこ類の話ってこと。
孝仁  うんこうんこ言うなっ、カレーの前で。
父  お前が言い出したんだろうが。
孝仁  それはあなたが執拗にあのことについて聞くからでしょう。
父  えっ、だからそれとうんこが何の関係があるのよ。
孝仁  あっ、また言ったな、うんこ。
ユキコ  まあまあまあまあ。食べましょうよ、とりあえず。
母  いただきます。
 
  一同、カレーを食べる。
 
ユキコ  おいしい。
母  あっ、そう。
ユキコ  とっても。
父  まあまあだな。
孝仁  いや、おいしいよ、母さん史上最高の出来だよ。
母  あ、あ、ありがとう。
ユキコ  あっ、鍋は?
母  鍋はいいんでしょ。
父  鍋はいいよ、カレーに鍋なんか合わないよ。
ユキコ  でもせっかく作ったんだから。
母  どっちでもいいわ。
父  いいよ、カレー食べてんだから合わないよ。
孝仁  いや、食べましょう、ユキコさん、食べたいんでしょ。
ユキコ  えっ、いや、私は。
 
  孝仁、鍋の準備をする。
 
母  あなたがご飯の用意をしてくれるなんて、ユキコさん、ありがとう。
ユキコ  えっ。あっ、はい。
父  おっ、そうだ。
 
  父、日本酒とコップを取り出す。
 
父  どうですか、ユキコさん。
ユキコ  いえ、私は、もう失礼するので。
父  そんなこと言わずにちょっとだけちょっとだけ。
ユキコ  はあ。
 
  父、注ぐ。
 
父  お前も。
母  いやあ、私は。
父  いいじゃない、たまには。
母  はあ。
 
  父、注ぐ。
 
父  お前も。
孝仁  僕はいいですよ。
父  付き合えよ、みんななんだから。
孝仁  嫌なんですよ、そのみんななんだからって考え。
 
  父、注ぐ。
 
父  とりあえず。
孝仁  飲みませんって。
父  とりあえずだよとりあえず。
 
  一同、乾杯。
  飲み、食べる。
 
ユキコ  おいしい。
父  やっぱり、鍋とカレーは合わんな。
母  そうですね。
ユキコ  なんか、すみません。
孝仁  そんなことないですよ、合いますよ。
父  ところで孝仁、お前、ユキコさんに結婚を申し込んだそうじゃないか。
孝仁  ええ、申込みましたとも。
父  お前、今の現状で、よくそんなことが言えたな。
孝仁  僕はですね、働きますよ。
母  えっ。
孝仁  僕はですね、働きます、気付いたのです、働くということが必要だと、ユキコさんと結婚するために働きます、そう、愛のために。
 
  飲み、食べる。
 
父  働くって言ったって実際、具体的にはどうするんだよ。
孝仁  漫画家になります。
父  はあ。
孝仁  見て下さい、このトランプを、この表面はほとんど僕が描いた、気付いたのです、漫画家ならできそう、いや、きっとできる、仮にできなくとも頑張れる気がする、今までことごとく頑張れなかったでしょう、警備員もしたし、調理師もしたし、でも、ことごとくですよ、頑張れなかった、しかしですよ、今の僕は違う、今の僕にはユキコさんがいる、頑張れる理由があるんですよ、分かりますか、頑張れる理由、どんなに辛いことがあってもユキコさんが家で待っていてくれる、料理を作ってくれる、アンアンできる、最悪、僕を養ってくれるかもしれない、そう考えただけで頑張れる、うふふ、漫画家なんか無理だって顔してますね、でも見て下さい、この絵を、キング、キングどこだ、このキング、独創性に溢れている、うふ、うふふふ、そしてこの裏側にはユキコさんが描いてくれたかわいいマトリョーシカ、初めての共同作業、初めての共同作業はまさかのトランプ、ユキコさん。結婚して下さい、さっきまでの体たらくの僕とは違う、僕はあなたと結婚できれば頑張れる。
ユキコ  あ~。
父  分かった分かった、もし仮に漫画家で成功できたとしてだ、穴はどうするんだ、穴を掘る気はないのか。
孝仁  出ました、穴を掘れ、もう聞き飽きました、僕は穴なんか掘らない、絶対に。父親面しやがって、あなたはなんなんですか、何が狙いですか、僕に穴を掘らせて一体何になると言うんだ、僕とユキコさんを結婚させて一体何のメリットがあると言うんだ、父親面しやがって、ええ、ええ、結婚したいですとも、ユキコさんと、そりゃあね、結婚したいですよ、しかし、この家は継ぎません、誰が穴など掘るものか、答えて下さい、あなたは一体何が狙いだ。
父  何が狙いって、ねえ。
母  ええ。
父  俺はお前のためを思ってだなあ。
孝仁  嘘だあ、何か企みがあるはずだ。
父  いいかげんにしろよ、企みなんかない、俺はこの家を思ってだなあ。
孝仁  関係ないじゃないか、この家なんか、あなたに、父親でも何でもないんだから、ついでにあなたも母親でもなんでもない、この際はっきりさせましょう、そろそろ僕はこの家を出ていく、ユキコさんと結婚してです。
父  お前まだユキコさんと結婚できるって決まったわけじゃないだろう。
孝仁  ええ、ええ、決まってませんとも、むしろ嫌われかけています、いや、もはや嫌がられている、いきなり結婚結婚って、そりゃあ彼女にすりゃあ意味の分からない話です、しかしですよ、嫌いってことは、好きに発展する可能性があるんです、月九ドラマを見て下さい、キムタクを見て下さい、嫌いから発展して皆ラブラブじゃないか、そう全ては嫌いから発展するんです、最初からラブラブな結婚なんて大したことはない、全ては嫌いから、いいですか、好きの反対は無関心なんです。ユキコさん、結婚して下さい。
父  というわけなんだが、ユキコさんどうだろう、長い話を要約すると、こいつはユキコさんと結婚できれば頑張れると言ってるわけだが、どうだろう。
ユキコ  だから、私は、昨夜のことがね、知りたいんですけどね。
父  いや、その話は後でいいじゃない、まず結婚について。
ユキコ  だから無理だって言ってるでしょ、さっき出会ったばっかの人といきなり。
孝仁  さっき出会ったのでありません。
ユキコ  だから、それはですね。
孝仁  十年前から、いや十五六年前からあなたのことが好きでしたよ。
 
  飲み、食べる。
 
父  あ、やっぱり同級生なの。
孝仁  そうです。
父  いつ、中学校、小学校。
孝仁  小学校です。
ユキコ  同級生。
 
  飲み、食べる。
 
孝仁  覚えていませんか、小学校の時同級生だった、萩原孝仁ですよ。
ユキコ  萩原孝仁。
孝仁  ええそうですとも、荻原ではない、萩原孝仁です、お母さん、あなたが僕をここへ連れてきたのは、カレー屋でバイトをしていた僕の胸にぶら下がったあの小さな長方形の名札を見て僕を選んだんでしょう、しかし、間違いです、僕は萩原だ、残念でした、萩原だ。
母  何を言ってるの?
孝仁  とぼけないで下さい、僕にこの家を継がせるために少しでも差し支えないように同じ苗字を選ぼうとしていたんでしょう、しかし、間違いだ、あー、話がずれた、まただ、違う違う、こんな話をしたかったんじゃあない、ユキコさん、覚えていませんか、僕ですよ、萩原じゃない、荻原孝仁ですよ、あ、違う、間違えた、あれ、どっちだっけ、萩原だ、萩原萩原、萩原孝仁ですよ、ユキコさん、パーティらしくなってきたじゃない、パーティパーティ、覚えていませんか、あの日あの時あの場所で、結婚の約束をしました、荻原孝仁です、そう、あの日もカレーでした、給食の時間、同じ食事のグループで楽しく食べていた僕ら、僕は母さんが作ってくれたミサンガを自慢したんです、そう、この右手にしてたミサンガです、萩原孝仁です、なんにもせずに切れたら願い事が叶うというミサンガです、あなたはそれをハサミで切った、僕のミサンガを人力で切った、勝手に切れたら願いが叶う最高の反面、人力で切ったら不幸が訪れるというミサンガを人力で、ハサミで切った、何を考えているんだこの女は、ひどく落ち込んで歩いていた放課後、そう、あの、登下校の道すがらあった公園のぶらんこに揺られながらあなたは僕にこう言った、なんの願い事をしていたの、小学生ながらませていた僕は、すかさず恋人と答えた、その時あなたは言ったんです、あの日あの時公園で、じゃあ、私が付き合ってあげるよ、そう言った、しかし、僕は断った、なんでなんで、それからというもの恋人ができる気配のない人生で唯一告白された瞬間を僕は断った、なんでなんで、答えは単純ただ一つ、その当時の君はちょっと違った、その当時の君はちょっと違ったんです、そんな気配を察したのかそこであなたはこう言う、じゃあ、私が、大人になって、もし綺麗になってたら結婚しよ、オーケーオーケー美人美人、充分美人、結婚しましょう、この十何年前の約束のもとに、充分すぎるぐらい美人ですよ、結婚しましょう、ユキコさん。
 
  飲み、食べる。
 
父  やっぱり、鍋とカレーは合わんかったな。
 
  飲み、食べる。
  母、食べ終わった人々の皿を片付けはじめ、洗い物を始める。
  (おそらく、孝仁は食べ終わっていない、あんなにしゃべっているから。)
 
父  何が本当なんだ、えっ、母さん、こいつの話は本当なのか。
母  少なくともミサンガを作った記憶はないわ。
孝仁  それはあなたではない、本当の母さんだ。
 
  洗い物の音、食べ終わっていない人は飲み、食べる。
  食べ終わった人は飲む。
 
父  ユキコさんは、どうなの、こいつの話覚えてるの。
ユキコ  えっ、いや、んんと、いや。
父  お前嘘つくのもいい加減にしろよ。
孝仁  嘘じゃありません。あなたこそ嘘つくのはやめて下さい。
父  俺のことよりお前の話だろうが。
孝仁  はっきりさせましょう、あなたは本当の父さんじゃない、父さんは死んだ、父さんは死んだんだ、お母さん。
 
  洗い物の音。
 
孝仁  そして埋蔵金なんてものはこの山にはない、あれはひいおじいちゃんが作った嘘の伝説と資料だよ、もしくはひいおじいちゃんに教えたというその人の嘘だ、全部嘘だ、仮に武士の一団がこの地に来ていたとしてもそれは本当にここを開拓に来たってだけで埋蔵金なんて埋めに来やしなかったの、だからないの、そんな物、ないの、あるわけないの、なかったでしょ、金属探知機が反応して、ここだってなっても掘ったら、ない、与えられた資料の暗号を遂に解き明かした、埋蔵金はこのポイントに埋まっているつって、掘ったら、ない、ないんだよ、そんな物、あるとしてもこの山にはないんだよ、それを百三十年も追っかけて、ない物を追っかけてるんだからそんな物見つかるわけないんです。そんな物を追い続けるなんて馬鹿ですよ、信じたいのは分かります、信じなきゃ生きていけないのも分かります、しかしない物はないんだ、僕はこの家は継ぎません、ええ、継ぎませんとも、僕は自由だ、家に生かされているんじゃない、僕が生きているんだ、だから僕は漫画家になる、ユキコさんと結婚して、信じれるものは愛です、愛さえ信じられれば生きていける、そうでしょう。ねえ、そうでしょう。
 
  洗い物の音がやむ。
 
母  食べないなら、片付けるけど。
孝仁  えっ、ああ、もう、うん、お腹一杯。
 
  母、孝仁の皿を片付け、洗い物を始める。
 
父  謝れよ。
孝仁  えっ。
父  謝れつってんの、父さんに。
孝仁  嫌です。
父  謝れよっ。
 
  洗い物の音。
 
孝仁  ごめんなさい。
父  俺じゃないだろ、お前の父さんに謝れっつってんの。
ユキコ  えっ。
父  もしくは、この一族にだよ。
 
  孝仁、どこに謝ればいいか分からず、なんとなく上の方に、
 
孝仁  ごめんなさい。
 
  間。
 
父  確かに俺はこの一族と関係ないよ。
ユキコ  えっ、関係ないんですか。
父  でもお前は違うだろ、お前はここの本当の息子だろ。
ユキコ  えっ、本当の息子なの。
父  それを継ぎたくないもんだから適当なことばかり並べくさって、先生は本当にすごい方だった、自分の人生の全てを埋蔵金に捧げて、百三十年の重みを引き受けて、穴を掘ってたんだよ、俺も掘ってるけどさ、先生の意志を継いで掘ってるけどさ、本当のところはお前が継いでいかなきゃなんないと思うんだよ、先生言ってたよ、荻原にしか出ない、荻原以外は出ないよと、俺も掘ってるけどさ、掘ってる時その言葉が響くんだよ、頭の中で、荻原にしか出ないって、百三十年だよ、それを信じたこともないくせに、信じる前から諦めて、百万回ダメで望みなくなっても、百万一回目はなにか変わるかもしれないってドリカムツルーが言ってるだろ、この家は継がれなきゃダメなんだ、先生の意志を、一族の意志を、ね、ユキコさんと結婚して子供つくって、穴を掘り続けるべきなんだよ。
ユキコ  ちょっと。
孝仁  いやだ、僕はユキコさんと結婚して漫画家になって自由に暮らすんだ。
ユキコ  だからちょっと待って下さいよ、私は結婚するなんて一言も。
 
  間。
 
父  ユキコさん、あなた、昨夜何をしてたか思い出しましたか。
ユキコ  えっ、いや、それは。
父  あなたはもはや、死体です。
ユキコ  死体。
父  ユキコさん、あなたは昨夜首をくくろうとしていたんです、山で。
ユキコ  えっ。
父  それを私が見つけ、この家へ連れてきたんですよ。
ユキコ  私が自殺を。
 
  ユキコ、酒を注ぎ、飲む。
 
父  一度死んでいるんだ、この先の人生なかったようなもんだ、じゃあ、いいじゃない、この家に来ればいいじゃない。
ユキコ  私が死んだ。
 
  ユキコ、飲む。
 
母  あなたはなんで死のうとしたの?
ユキコ  私はなんで死のうとしたか。
 
  ユキコ、飲む。
 
母  あなたは幸せじゃなかったんでしょ。
ユキコ  私は、幸せじゃ。
 
  ユキコ、一升瓶から直接飲む。
 
父  あっ。
孝仁  ユキコさん。
ユキコ  うっぷ。なかった。
 
  間。
 
ユキコ  ああ、ああっ、あああっ、私は幸せじゃなかったの、ああっぷ、今まで幸せじゃなかったの、ああ、そんなことないそんなことない、幸せだった幸せだった、だって私は自由だったし、あっ、選べたんだし、生き方を、ああっ、えっ、あれ、自由て幸せ?選べるって幸せ?結局自分から選んだことなんてなかったんじゃないの、ああっ、あれ?あっ、あっ、そうか、あっ、うん。
父  ユキコさん。
孝仁  ユキコさん大丈夫ですか?
ユキコ  萩原孝仁、萩原孝仁、いたかな、あーいた気もするなー、いたかもしれない、分かんないけど、うーあー、告白なんてしたのかな、ミサンガとか切ったかな、あー、分かんない、分かんないけど、小学校の記憶ほとんどない、なんで、何故だか全然ない、むしろ物心ついたの高校生なんじゃんって感じ、あー、ね、そういうの、あれ、何の話してたっけ、あ、うん、ああ、私が何で自殺をしたかですね、そうですねえ、簡単に言いますと、簡単には言えないんですけどねえ、うーあー、私が私として生きて、私を、こう発揮して、私ならではっていう生き方がね、流れに流されて、なくなってくというかそんな物もともとないっていうか、流れに身を任せて何が悪いのっていう、うーあー、山ってね、暗いんすよ、夜の山って、とてつもなく暗いの、闇が深いっていうの、山に飲み込まれてね、私も闇の一部になって、東京から地元に帰ってきて驚いたのは、道が大きくなってて、その大きい道にはスーパーとかコンビニとか出来てて、あーっていう、でもね、山は山のままなんすよ、山ってだけで山なんすよ、山は絶対的というかなんと言いますか、うーあー、トランプ作りきったのは嬉しかった、嬉しかったけど、でっていう、それからっていう、ああっ、あっ、何の話でしたっけ、バナナの剥き方の話か。
孝仁  ユキコさん。
ユキコ  あっ、違う、チューインガムの真の発音の話か、あのチューインガムってのはねえ、チュー、イン、ガムなのよ、インが大事、インが大事なの、ガムの中にチューが入ってるの、だから、チュー、インガムなの。
孝仁  ユキコさんっ。
ユキコ  なんすか、なんすか。
孝仁  結婚して下さい、ユキコさん。
ユキコ  結婚はさあ、それとこれとはさあ、違うじゃない。
 
  ブオオーーん。
 
父  えっ、えっ、なんなのなんなの。
ユキコ  あはははは、いや、あはははははは。
 
  チャンチャララランラン、チャラララララランラン。
 
父  えっ、洗濯またしてたの。
母  してません。
父  えっ、なんなの、なんなの。
母  大丈夫ですよー、怖くないですよー。
孝仁  お母さん。
父  だからなんなの、それは。
母  大丈夫ですよー、怖くないですよー。
孝仁  お母さん、やめて下さい、父さんは死んだんだよ、この家は継がれないんだよ、僕はこの家の子供じゃないんだ。
父  お前はこの家の子供だろ。
孝仁  だから違うんですって、それはあなたの勘違いなんです。
父  ええ、違うの。
母  大丈夫ですよー、怖くないですよー。
孝仁  お母さん。
 
  ピピピピっ、ピピピピッ、ピピピピっ。
  ここから家中にある家電、付属物、諸々鳴る。
 
母  ダメだなあ。
孝仁  ダメなんです、この家はもうダメなんです。
母  これはどうだろ。
 
  母、マトリョーシカのトランプを部屋中にテープで貼る。
 
母  大丈夫ですよー。
孝仁  お母さん。
父  おいおい、説明しろよ、何なんだよ、これは。
母  怖くないですよー。
ユキコ  あはははは、パーティっぽくなってきた、なってきた。
父  えっ、パーティってこんなの。
  
  部屋中にマトリョーシカが存在していく。
  しかし、鳴き声は止まない。
 
母  だめねえ。
孝仁  お母さん。
母  あなたは私の息子。
孝仁  違う。
母  あなたは私の夫。
父  違いますよ。
母  あなたは私の息子の嫁。
ユキコ  ・・お母さん。
 
  母、歌う。
 
父  おい、何歌ってんだよ。
母  いいから、手伝って。
父  えっ。
母  手伝って。
父  ああ。
 
  父、歌う。
 
ユキコ  うーあー。パーティっぽくなってきましたねえ。
孝仁  ユキコさん、ユキコさん、結婚して下さい。
父  えっ、今。
孝仁  今しかないですよ、協力してくれませんか、ユキコさん。
母  ほら。
父  あっ、ああ。
 
  母、父、歌う。
 
ユキコ  うーあー。
孝仁  キスしてもいいですか。
ユキコ  ええ~、キス、したいの、ええ~どうしよっかな~。
孝仁  お母さん、片して。片して。
 
  母、歌いながら机の上を素早く片付け始める。
 
母  手伝って。
父  ああ、すみません。
 
  父、歌いながら母を手伝う。
 
ユキコ  えっほんとに、ほんとに私とキスしたいの?
孝仁  ええ、キスしたいです。
ユキコ  えっ、それは私が魅力的だってこと。
孝仁  はい、とっても魅力的です。
ユキコ  うははははー私魅力的なんだー。
孝仁  はい、魅力的です。
ユキコ  えっじゃあじあじゃあーどこが魅力的か言ってみ、言ってみ、ほら。
孝仁  それや、もうその身体から醸し出る雰囲気が、もうすでに魅力的です。
ユキコ  えっ、それって、キスしたいっていうか、えっ、ていうか、あはははは。
孝仁  はい、そうですね。
ユキコ  いやあ、キミ偉いよ、正直、すっごい正直。
孝仁  はい、すみません。
ユキコ  いや謝らなくてもいいんだよ、すっごくいいことだと思うよ、いや、ほんと、そんなに正直になれる人いないよ、この世の中。
孝仁  ありがとうございます、で、キスの方は。
ユキコ  ええ~どうしよっかなあ~。じゃあじあじゃあ~、キスしたくなるような事してよ。
孝仁  えっ、それはどういう。
ユキコ  キスしたくなるように舞ってみてよ。
孝仁  えっ、舞ってみる。
ユキコ  だから、キスの舞、キスの舞を踊れっつってんの。
孝仁  えっ、キスの舞を踊る。
ユキコ  それでその舞が良かったらキスしていいよ。
孝仁  えっ、キスしてくれるんですか。
ユキコ  その先も~、考えてみてもいいよ。
孝仁  えっ、キスの舞なのに。
ユキコ  うん、キスの舞からの。
孝仁  分かりました、それでは、踊ってしんぜよう、今宵あなたのためだけに、男孝仁、花を咲かせに参りましょう、あっそれ、キッスの舞っ、キッスの舞っ、キッスの舞ったらキッスの舞っ。
 
  孝仁、舞う。
 
ユキコ  あはははははは。
 
  ユキコ、舞う。
  母、いつの間にか二階から持ってきた布団を机の上に敷く。
 
父  いいのか、これでいいのか。
母  ありがとうございます、それでは、あとは若い人に任せて、ね。
 
  父、母、はける。
 
ユキコ  あはははははは。
孝仁  どうですか、ユキコさん。
ユキコ  んーとね、おっけい。
 
  ユキコ、孝仁、布団に入る。
  その周りからマトリョーシカが見ている。
 
  キスをしようとしたところで、電気が消え、
  家中の音が聞こえる。
 
  その鳴き声がふと笑う。
 
終わり。
 
 ーーーーーーーーー
この戯曲の感想、意見、アドバイス等、このページのコメント欄にて受け付けています。一言だけでも、長文でも、なんでも、よろしくお願いします。
 

公演します

 

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書いたものを公演します

是非来てください

 

 

「パーティさながら愛と孤独」

 

あらすじ

ユキコが目覚めると知らない家にいた。昨夜のことは覚えてないらしい。その家の母がカレーを作っている。孝仁はトランプを作っている。この家は徳川埋蔵金を掘り当てるために130年掘り続けている一族らしい。そして跡継ぎはニートらしい。そして跡継ぎは他人らしい。そして跡継ぎは跡を継ぎたくないらしい。徳川埋蔵金は確実に裏山に埋まっているらしい。埋蔵金を掘り当てることは天命らしい。

 

出演

木嶋美香

久保田友理

居石竜治(RadicoTheatre)

最終悟

宮尾昌宏(劇団プリズマン)

 

スタッフ

作・演出  稲垣和俊

音             最終悟

宣伝美術  渋革まろん

宣伝写真  連木綿子

 

日時 

2017年7月27日(木) 19時A

                 28日(金) 19時B

                 29日(土) 14時B/19時B

                 30日(日) 14時A/19時A

 

※開場は開演の30分前を予定しています。
※本公演はダブルキャストです。A最終悟/B宮尾昌宏
※全席自由席です。
 会場は普通の民家なので、客席が限られております。
 お早めにご来場ください。

 

場所
旧加藤家住宅
http://oldkatohouse.tumblr.com/

JR京浜東北線蕨駅」西口から徒歩12分

埼玉県蕨市南町2丁目8番2号

 

チケット

前売り、当日   2000円

romantist721@gmail.comに日時と枚数とお名前をメールして下さい。

 

お問い合わせ

08053677600

 

 よろしくお願いしますー。