稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。まさかのここに。

愛じゃなくとも逃避行

「愛じゃなくとも逃避行」

  

  雨、帰るのは面倒くさい、
  傘、さしても濡れる雨、

1、タクシー乗り場、屋根の下。

  夜、
  
  男、女、待っている。

  女の手、スマートホンへ。
  男、雨に触れる。
  男の手、濡れる。

  男、女を見る。

 

女  なんですか。
男  濡れてしまいました。
女  ・・・。
男  雨降ってる中に手を出すと、濡れるんですね、当たり前ですが。
女  当たり前ですよね。
男  すごい雨ですね。
女  そうですね。

 

  間。

 

男  逃げ出してみませんか。
女  えっ、
男  逃げ出してみませんか。
女  えっ、あっ、何から。
男  何からでしょう。

 

  男、ゆっくりと辺りを見回す。

 

男  都会のネオンから。

 

  間。

 

女  新手のナンパですか。
男  ナンパ、なななナンパ、これは、なななななナンパと言うのでしょうか。
女  どこへ逃げるんですか、ラブホですか。
男  ラブホ、ららららラブホ、ななななナンパ、いや、違うんです、勘違いしないでください、ナンパじゃないです、ラブホとかじゃないです、いや、ほんと、あれ、そういうんじゃないです、あら、でも、とりようによってはナンパなのかもしれない、逃げ出したくなったんです、今、ふと、そしたら隣にあなたがいた、ただそれだけなんです、ラブホ、いや、あなたがラブホにどうしても逃げたいというのならラブホでもいいんですが、いやおかしいおかしい、何を言っているんだ、頭おかしいですね、忘れてください、忘れてください、三分前に戻りましょう、三分前の何も会話などする気配のなかった二人に戻りましょう。

 

  間。

 

女  戻れませんよ。
男  戻れませんよね、タイムマシンなんてないんだ、ああ、なんて言うのかな、一言二言交わしてしまうと、あれですね、元の二人には戻れないんですね、私たち。無言が、つらい。
女  声をかけられるとは思いませんでした、今までの人生で見ず知らずの人に声をかけられたのなんておじいさんとかおばちゃんとか、あっ、声かけてくるな、って雰囲気プンプン出しながらですよ、だから、不意をつかれました、いやはや、不意を突かれると人間、どうなるか分かったもんじゃないですね、雨すごいから、ああ、帰るの辛いなって、雨だるいな面倒くさいなって、四分前は毎分毎分思ってたんですね、でも今は、なんて言うか、この雨の中を全力疾走で走り始めたい衝動に駆られています、なんで都会のネオンから逃げたいんですか。
男  えっ、あっ、全力で走り始めないでね、なんか、なんか、僕のせいかと夜寝れなくなるから。
女  走りませんよ、濡れたくないし、明日も仕事だし、風邪引きたくないし、スマホ防水じゃないし、なんで都会のネオンから逃げたいんですか。
男  えっ、あっ、なんでだろ、なんで都会のネオンなんだろうねえ、なんとなく、なんとなくの流れでっていう感じはあるかもしれないけど。
女  都会のネオンがなんか悪さしたんですか。
男  いやあ、そんなことないですよ、都会のネオンは悪さなんかしないですよ。
女  嫌いなんですか。
男  嫌いってわけでもないですけどね、むしろ綺麗だなって思うことのほうが多いですけどね。
女  えっ、田舎のネオンだったら大丈夫なんですか。
男  えっ、田舎のネオン。
女  都会のネオンからは逃げたいけど、田舎のネオンなら大丈夫なんですか。
男  えっ、どうだろ、大丈夫そうな気もするけど。
女  都会ってどこまでが都会なんですか。
男  もう、あれ、もう、すみません、都会のネオンからは逃げたくないです、むしろ立ち向かいたいぐらいです、すみません、適当に言ってしまっただけです。
女  じゃあ、何から逃げたいんですか。
男  ええと、なんでしょう。何事からも、ですかね、
女  ああー、分かります、分かります、逃げ出したいけど、何から逃げ出せばいいのか分からない感覚、分かります、分かります。でもね、おじさん、考えてみてください、逃げるってことは逃げるってことですよ、尻尾を巻いて逃げるってことですよ、敵に背中を見せながら逃げるってことですよ、敵って誰だよ、逃げられますか、そんな覚悟ありますか、何事からもってほんとに何事からもってことですよ、親兄弟友達嫁子供仕事趣味その他諸々自分を取り巻く何事からも逃げるってことですよ、そんな覚悟ありますか。
男  覚悟って言われても、今急に思っちゃったことだからなあ、今、覚悟って言われても、なあ。
女  ダメだなあ、おじさん、ダメだなあ、ダメだなあ、ダメですよ、逃げちゃダメですよ、えっ、逃げちゃダメですよね、普通、大の大人が、何逃げるなんて言ってるんですか、逃げちゃダメなんですよ、前を向いて上を向いて、振り返っちゃダメなんですよ、家族はいますか。
男  ええ、ええ、嫁に子供が二人、まだ小さいですが、
女  ダメですよね、逃げちゃ、何弱気になってるんですか、これからでしょ、立ち向かっていかなきゃならないことたくさんあるでしょ、知らんけど、そんなもんでしょ、人生、家族仕事捨てて逃げるなんて、嫁子供の顔、頭に浮かべて言えますか。
男  言えません。
女  そうでしょ、だからね、おじさん、逃げちゃダメですよ、簡単に逃げるなんて言っちゃダメ。
男  ありがとう、逃げちゃ、ダメだよね、やっぱり、そうだよね。
女  ほら、タクシーが来ましたよ、家族の元へ、いつもどおりの顔で、いつもどおり帰ってやんな。
男  ありがとう、それでは。

  

  タクシー、来る。

  男、乗ろうとする。
  女、それを阻止する。

 

男  えっ。
女  具体的には。
男  えっ。
女  逃げるって具体的には何しようとしてたんですか。
男  えっ、あっ、具体的に。
女  そう、具体的に。
タクシー運転手  えっ、ちょっとちょっとお客さん、乗らないの?
男  乗ります、
女  乗りません。
タクシー運転手  えっ、乗らないの。
女  乗りません、っていうか、ちょっと待っててもらえますか。
タクシー運転手  えっ、ちょっと待ってなきゃいけないの。
男  あれ、えっ、何言ってるの。
女  逃がしませんよ、もはや、私から。
男  えっ、何言ってるの。
女  答えてください、逃げるって具体的には何しようとしてたんですか。
男  あれ、さっき、逃げちゃダメだって、家族の元へ帰んなって話だったよね、
女  分かってます分かってます、言いました言いました、逃げちゃダメだって言いました言いました、でも逃げちゃダメだって分かりつつも逃げたくなるのが人間じゃないですか、
タクシー運転手  話長くなりそうだけど、私も待ってなきゃいけないの。
女  っていうか、はい、ほら、今、ほら、だってさっき、私に、逃げてみませんか都会のネオンからって言ったのに、ほら、今、一人でタクシー乗るってことはほら、なんか、そうでしょ、言い逃げっていうか、ね、私から逃げてることになりますよね、ね。
タクシー運転手  いや、私は知らないけども。
男  いや、具体的にと言われましても、そんな考えて発したわけじゃないので、
女  だって言ったんだから、言ったんだから、逃げ出してみませんかって、言ったんだから、どこ行こうかぐらい考えたでしょ。
男  そりゃあ、一瞬は。
女  どこですか。
男  逃避行と言えば、北です。

 

  女、タクシーに乗る。

 

女  運転手さん、北にお願いします。
タクシー運転手  北?
女  北にお願いします。
タクシー運転手  ざっくり、北?
女  ざっくり、北にお願いします。
男  ちょっと待ってくださいよ、さっき決心したとこなんだから家族の元へいつもどおり帰るって、あなたに逃げ出してみませんかっていったのは一時の気の迷いでした、本当にすみません、落ち着きましょう、馬鹿げてるよ。
女  馬鹿げてますか。
男  馬鹿げてますよ。
タクシー運転手  ざっくり、北?
女  ああ、あああ、ああああ。
男  えっ、あっ、あれ。
タクシー運転手  泣かせてしまいましたね。
男  えっ、あっ、ごめん、ごめんよ、泣かないで。
女  ああ、あああ、逃げ出したい、何事からも、
タクシー運転手  よっぽど辛い日々を過ごしているんだろうねえ。
男  えっ、何、どうしたの、何かあったの、そんなに辛い毎日なの。
女  いえいえ、全然、むしろ、職場の人たち優しいし、友達にも恵まれてるし、彼氏もすんごい好きだし愛してくれるし、なんか、むしろ、全然なんだけど、逃げ出したい、何事からも。ああ、あああ。

 

  間。

 

男  分かっちゃうんだなあ、これが。
タクシー運転手  えっ、分かっちゃうの。

 

  男、タクシーに乗る。

 

男  運転手さん、ざっくり、北へ。
  
  タクシー走り出し、暗転。

 

 

2、ホテル。

 

  男、テレビのリモコンをいじっている。
  女はこのシーン中、寝る前にするルーティンをこなす。

  男、誤ってペイチャンネルのお試し版映像を流してしまう。
  女、全ての行動をやめ、テレビを見る。
  男、すぐさま、チャンネルを変える。

  

  間。

  

  男、何事もなかったかのように振舞う。

 

女  見てもいいですよ。
男  えっ。
女  ペイチャンネル
男  見ませんよ。
女  見ないんだ。
男  さっきは間違って押したんです、あれ、このボタンなんだろって、したら、あれが流れたんです、それだけです、決して見たかったわけではありません。
女  見たくないんだ。
男  見たくありません。

 

  雨の音。

 

男  あのう、佐々倉さん。
女(以下、佐々倉)  なんですか。
男  やっぱり、部屋は別々でとったほうがよかったんじゃないかなと。
佐々倉  えっ、なんでですか、別々のほうがいいんですか、ペイチャンネル見たかったですか。
男  違いますよ、だってあなた、もし私がやばかったら、あなた、やばいっすよ、襲われてますよ、やばくなくて感謝して欲しいぐらいですよ、えっ、怖くないんですか、私、さっき会ったばっかなのに。
佐々倉  怖くないですよ、だって逃げてるんですよ、私たち、一緒に逃げてるんですよ、なのに別々の部屋とか意味ないじゃないですか、ただの一人旅じゃないですか。
男  そうだとしてもさあ、自分の体もっと大事にしないと。
佐々倉  棚橋さんて風俗嬢にもそんなこと言いそうですよね。
男(以下、棚橋)  えっ、なにそれ。
佐々倉  私はどう見えますか。
棚橋  えっ、なんですか。
佐々倉  私のこと、どんなふうに見えますか。
棚橋  えっ、あっ、かわいい、ですよ。
佐々倉  あ、ありがとうございました。あっ、いや、そういうことじゃなくて、
棚橋  あっ、ごめん、そういうことじゃなくて。
佐々倉  あっ、えっ、かわいいですか。
棚橋  あっ、いや、変な意味じゃなく、かわいいですよ。
佐々倉  変な意味でかわいいってなんですか。
棚橋  えっ、あっ、なんだろうね、変な意味でかわいいってなんだろうね。

 

  雨の音。

 

佐々倉  変ですね。

棚橋  あっ、えっ、変ですか。
佐々倉  私、変わらない、いつもと同じことしてる、私、風呂上がって、化粧水を二回つけて、保湿して、乳液なんかもつけて、明日は仕事に行かないて決めたのに、私、肌を気にしてる、毎日の夜のお手入れから抜け出せない私がいる、変わらないじゃないですか、部屋別々なんて、意味ないじゃないですか、逃げ出したんでしょ、私たち、それなのに、私、変ですね。
棚橋  ああ、はい、ええ、まあ、そうですね。
佐々倉  雨、止まないですね、
棚橋  ああ、ええ、まあ、雨がこうさせたと言っても過言ではないですね。

 

  雨の音。

 

佐々倉  触りたいですか。
棚橋  えっ。
佐々倉  触りたいですか。
棚橋  えっ、何に?
佐々倉  私に。
棚橋  あっ、あなたに。
佐々倉  そう、私に。
棚橋  ・・・触りたくないですよ。
佐々倉  そうですか。

 

  雨の音。

 

棚橋  勘違いしないでください、決して触りたくないわけじゃないですよ、決して、あなたに興味がないとかそういうわけではありません、むしろ触りたいぐらいですよ、でも触らないんです、そう触らないんです。だってダメでしょう、触っちゃダメでしょう、だって、だって、ねえ、そんな、なんて言うの、ダメだよ、あなたとは今日、会ったばっかだし、私には妻も子供もいるんだし、
佐々倉  妻と子供からは逃げましたよね、
棚橋  妻と子供からは逃げました、妻と子供からは逃げました、だがしかし、だがしかし、ねえ、そんな即座に、ねえ、逃げた瞬間ねえ、ダメでしょう、触っちゃダメでしょう、あなたは、すごくいい匂いですね、うん、なんかもう、風呂上がりのいい匂いだし、風呂上がったあとの女子の雰囲気というかなんと言うか見ちゃいけないものを見せつけられているようで、なんと言うかだけども、ああ、触りたくない、決して触りたくないわけではないんだけども、えっ、触っていいんですか。
佐々倉  触っていいですよ。
棚橋  えっ、触っていいんですか、というか触って欲しいんですか。
佐々倉  触って欲しくないけども触っていいですよ。
棚橋  えっ、それって触っていいんですか。
佐々倉  触っていいですよ、触って欲しくないけど。
棚橋  えっ、それって、僕がここでお金あげてたらエンコーってやつだよね。
佐々倉  エンコーじゃないですよ、お金もらってないんで。
棚橋  ああ、そうか、エンコーじゃないか、お金出してないから、えっ、触るよ。
佐々倉  はあ。
棚橋  えっ、ほら、もう、右手伸びてるよ。

 

  棚橋の右手、伸びてる。

 

佐々倉  そうですね。右手伸びてますね。

棚橋  えっ、ほら、もう、なんか、ほら、どこ触ろうか迷ってるよ、まずはどこに行くべきか迷ってるよ。

 

  棚橋の右手、宙を彷徨っている。

 

佐々倉  頭、背中、腰、脚、おっぱい、お腹、腕、さあて、この右手はどこを触るんでしょうか、触って欲しくないけど。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の右手、棚橋のズボンのポケットからスマートホンを取り出す。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の目、スマートホンの画面を見る。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋の左手、スマートホンの画面に触ろうとする。

 

佐々倉  誰ですか。

 

  棚橋の左手、止まる

 

棚橋  えっ、あっ、いやあ。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  奥さんですか。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  逃げたんですよね。
棚橋  逃げたんでした。

 

  別の場所から、全く同じ音、タンタラタラララタラララ、

  二つのタンタラタラララタラララ、  

  佐々倉の右手、スマートホンへ。

  

  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  誰からですか。
佐々倉  彼氏からです、今夜会う約束してたんです。

 

  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

  二人、音の鳴るスマートホンを片手に持っている。
  
  タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、もう片方の手で佐々倉に触れる、
  スマートホンが落ち、暗転、音が消える。

 

 3、秘境駅
  
  ベンチが一つ。
  その奥におじさんが寝ている。

  

  棚橋、佐々倉、現れる。

 

佐々倉  いい空気ですね。
棚橋  すごいね、いい空気だね。
佐々倉  誰もいませんね。
棚橋  誰もいないね。
佐々倉  さすが無人駅といったところですかね。
棚橋  すごいね、さすが無人駅だよね。
佐々倉  もう何しても怒られないって感じですね。
棚橋  えっ、何しても。
佐々倉  駅なのに。
棚橋  ねえ、駅なのに、ねえ、駅なのに、誰もいない、駅なのに、自然を感じる、駅なのに、電車が通るのに、無人駅、
佐々倉  どうしてだろう、なんで無人駅って来たくなるんですかね、
棚橋  えっ、なんでだろうね、無人駅だから、っていうより、誰もいないから、いや、うん、誰もいないからじゃない。
佐々倉  誰もいない場所ならたくさんあるでしょうに、それこそ、とことん山とか、とことん海とか、トイレとか、そもそも自分の部屋とか、
棚橋  分かった分かった、すごいことを思いつきました、こういうのはどうでしょう、誰かいそうなのに誰もいないからじゃあないでしょうか。
佐々倉  誰かいそうなのに誰もいない。
棚橋  誰かいそうじゃない、だって、いてもおかしくないじゃない、でも誰もいないからさ。
佐々倉  そういう場所に来たかったというわけですか。
棚橋  いや、まあ、うん、そうなんじゃない。あっ、見て見て、熊出没注意だって。
佐々倉  熊。
棚橋  怖いよー熊、怖いよー、熊出るんだよ、ここ、
佐々倉  死んだフリの練習でもしてみますか。
棚橋  えっ、ここで。えっ、必要。
佐々倉  なにしても怒られませんよ、ここなら。
棚橋  ああ、まあそうだけど。

 

  佐々倉、倒れる。

 

棚橋  あっ、ちょっと、もう、汚れちゃうよ、立って立って、何してもいいからって、もう、やめなよ、もう、
佐々倉  ちょっと黙って、見てください、死んでますか、私。
棚橋  死んでますかって死んでるわけないでしょうに、
佐々倉  違いますよ、棚橋さん目線で見られても困るんです、熊目線で見てもらわないと。
棚橋  熊目線て何よ、僕は熊じゃないんだから、熊目線にはなれないよ、
佐々倉  そんなことは分かってますよ、できる限り、できる限りの話ですよ。

 

  棚橋、できる限りの熊目線で、佐々倉を見る。

 

棚橋  生きてるね、だって、ほら、呼吸してるじゃない、胸動いてるじゃない。
佐々倉  えっ、違います違います、全然違います、全然熊目線じゃなくないですか、っていうか熊じゃなくないですか、えっ、だって、熊にならないと、熊目線になるには熊にならないと、
棚橋  熊になるってなんなのよ、
佐々倉  だって、ほら、熊が二足で立ってますか、いやそりゃたまには二足で立つこともあるでしょうけども、基本四足でしょう、えっ、間違ってますか、基本四足歩行でいいですよね熊って、したら、ねえ、違うでしょう。
棚橋  こうでしょうか。

 

  棚橋、四足歩行になる。

 

佐々倉  そうですよ、熊って言ったらそうですよ、しかしですよ、熊は喋りません、
棚橋  なるほど、あっ、えっ、熊ってどんな鳴き声ですっけ。
佐々倉  えっ、分かんない、熊の鳴き声分かんない。
棚橋  グワオーとかそんな感じ、
佐々倉  まあ、いいでしょう、グワオーで。
棚橋  グワオー、グワオー。
佐々倉  いいですね、熊っぽくなってきましたね。
棚橋  グワオー、あっ、じゃあ、この目線で見ますね。
佐々倉  どうせならこうしてみましょう、ちょっと遠くに行ってもらって、そこから。見つけるところから。
棚橋  見つけるところはいいでしょう。
佐々倉  熊は喋らない。
棚橋  グワオー。

 

  棚橋、四足歩行ではける。

  佐々倉、一人、倒れている。

 

  棚橋、熊となり現れる。

 

棚橋  グワオー、グワオー。グワッ。

 

  棚橋、佐々倉を見つける。

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  棚橋、佐々倉の周りをまわる。

 

棚橋  グワオー、グワっ。

 

  ベンチの裏へ行った棚橋の動きが止まる。

 

棚橋  あっ、えっ、ちょっと、
佐々倉  しゃべらない。
棚橋  あっ、違う違う、えっ、死んでる、死体、死体。
佐々倉  えっ、死体。

 

  佐々倉、ベンチの裏へ。

 

佐々倉  あっ、本当に、死体。これ、死体ですか。すみませーん、大丈夫ですかー。
棚橋  ああ、ちょっと、むやみに触らないほうがいいんじゃないの。
佐々倉  えっ、なんでですか。
棚橋  だって、なんか、ほら、殺人事件とかだったら、ほら、なんか、
佐々倉  息してますよ。
棚橋  息してますか。
佐々倉  すみませーん、大丈夫ですかー、すみませーん。

 

  おじさん、起き上がる。

 

棚橋  わっ。
おじさん  あれ、あっ、今、何時。
棚橋  あっ、今。
佐々倉  何時でしょう、昼前なのは確かですけど、私たちスマホを捨てたので、正確な時間は。時計持ってますか、
棚橋  えっ、時計。あるかな。
おじさん  スマホを捨てた。すごいね、あっ、寝てた。
佐々倉  ええ、多分。
棚橋  あっ、時計あるでしょう、駅だし、時計ぐらい。
おじさん  いや、まあ、ありがとう、俺、あれだわ、スマホ、あるわ、俺の、あっ、充電切れてるわ。

 

  おじさん、時刻表を見に行く。

 

おじさん  あれ、今何時だっけ。
佐々倉  だから私たちは。
おじさん  ああ、そうだった、スマホ捨てたんだった、
棚橋  時計ぐらいありそうですけどねえ。
おじさん  スマホ捨てるってすごいね、スマホ捨てるって、何があったの。
佐々倉  逃げてるんです、私たち。
おじさん  えっ、何どうしたの、殺人でも犯したの。
棚橋  そんなことはしていません。
佐々倉  殺人を犯しました。

 

  間。

 

棚橋  えっ、何、えっ。
佐々倉  三角関係だったわけです、この人と私と、この人の妻と、三角関係のもつれってやつですよ、そして、この人の奥さんを殺しました。あー、この人の奥さんは毎日この人と会っているのに、私は金曜日か土曜日の夜にしか、しかも、月一回ぐらいしか会えない、不公平だと思ったわけです、この人を独り占めにしたかった、だからこの手で殺したんです、うーん、こう、首を絞めたわけです、そして、そうだなあ、この人の家の庭に埋めました、この人には二人の小さな子供がいるということで、その子供も殺しました、通報されると厄介なので、そして親切に母親と同じ庭に埋めてやったというわけです。そして私たちは逃げ始めたというわけです。

 

  間。

 

棚橋  なんでそんな嘘つくの。
佐々倉  何かが物足りないと思っていたんですよ、逃げ始めたのはいいけどもどうも追われている感覚が無い、スマホも捨てたし、あなたは捜索願ぐらい出されているかもしれませんが、私は一人暮らしだし、今はまだ彼氏との約束を一晩ほっぽらかして、一日仕事を無断欠勤しているだけなので、多分捜索願なんて出されていないでしょう、だから、そうですね、ATMでお金を下ろすとなると足跡が付いてしまうんじゃないかと思いまして、とりあえず、しがない地方都市の民家の庭に落ちてあった鎌を拾って、となりに吊るしてあった汚いタオルで顔を隠して、銀行強盗でもしてやろうかと思ったんですが、流石に最初からそこまでは行ける気がしなくて、えーと、とりあえず、牛丼屋強盗をして、二十万円を手に入れたというわけです、はい、そんな、逃避行です。
棚橋  何を言ってるの。
佐々倉  昔、っていうか中学生か高校生ぐらいの時、観た映画を思い出していて、全然内容は覚えてないんですが、なんか銀行強盗とかして二人で逃げるんですよね、その映画を思い出していて、一シーンだけ強烈に覚えているのが最後なんか誰かの知り合いかなんかに裏切られて、なんかめちゃくちゃ銃で撃たれるわけですよ、めちゃくちゃ、もうこっぴどく、撃たれすぎてこう、なんか、跳ねてるんですよね、死体が、跳ねてるんですよね、そのシーンを思い出してて、逃避行の最後っていうのは悲惨っていうイメージがありまして、いやはや、しかし、この逃避行に悲惨な物陰はないぞと、せいぜい職場辞めさせられるとか、悲惨ですけど、超絶悲惨ですけど、誰かに怒られるとか、まあその程度だなあと。
おじさん  この駅から出るでしょう、あの階段を登って、したら、山道に出るのね、その山道を右側に進むわけだ、すると大きな広場に出るのね、広場って言っても、周りバンバン木生えてて、ちょっと広大ななんもない土地があるわけなんだけど、まあ、ヘリポートらしいのね、ヘリが来るのね、なんか、真冬だと雪とか積もるからさ、来れなくなるからヘリで来るらしいのね、なんで来るのかはなんかあんだって、ヘリ使っても来て作業しなきゃならないものが、あるわけよ、その広場にさ、一度だけ、死体が転がっていたのよ、死体が、その死体がおかしいのね、背中にリュック背負って倒れてたっていうのは分かるんだけども、片手に座布団を持っていたというの、これがおかしい、真相は分かっていないんだけども、首を絞められた跡とか刺された跡とかは一切なくて、まあ、行き倒れだとか、ホームレスが最後の場所にここを選んだとか言われているんだけども、なんだ座布団って、リュックを背負っているのは分かるんだけども、座布団ってなんで持ってるのと。
棚橋  リュックの中には何が入ってたんですかね。
おじさん  それは知らないよ、俺、見てないんだもん、そこまでは知らんよ、
棚橋  ああ、すみません。
おじさん  問題は座布団さ、まずこの座布団で出来うる全てのことを考えてみたんだ、まず、座る、これが一番スマートな考え方よ、でも座る必要あるかと、あの山の中のぽつんとした広場で座る必要あるかと、いや、座る必要はあるかもしれない、けど、汚れちゃうよと座布団が、下、土だよと、座布団土まみれになってしまうよと、そして二つ目がこう、折ってさ、二つ折りにしてさ、枕にする、これも同じよ、枕にして寝る必要あるかねと、あんな場所で、あっても汚れちゃうよ座布団が、と。
棚橋  終電逃したのかもしれませんよ。
おじさん  終電逃したから、ああ、ここで寝なきゃとなったその言い分も分かる、分かるんだけど、そもそも何故座布団を持っていたのかねと、そういうことになるよね。
棚橋  確かに。
おじさん  俺の推測はこうだ、俺の推測はだな、これは殺人事件さ。
棚橋  殺人事件。
おじさん  そう、殺人事件なのよ。つまり、その座布団を持った死体というのは落語家さ。その落語家になんらかの恨みを持った人物が、その落語家を殺した。しかし、落語家は死んでもなお座布団を離さなかった、落語家だから、落語家の執念というやつさ、そして、その落語家を殺した奴が、行き倒れて死んだかのように見せかけてここに連れてきた、しかし座布団は離さなかった、落語家の執念というやつさ、これが私の推測です。
棚橋  落語家、それはとても安易な思いつきですね、
おじさん  落語家以外はありえない、落語家以外何がありうると言うんだ。
棚橋  例えば、こういうのはどうです、座布団の開発者。
おじさん  座布団の開発者。
棚橋  座布団の開発者が最高の座布団、もう、すっごい、ふっかふかで、なんかもう、ずっと触っていたくなるような最高な座布団を開発して、もう、すごいぞと、なんか、座布団史上類を見ないすんごい座布団が出来上がったぞと、しかも安いぞと、安い材料費で作れるから、安い値段で売れるぞとなって、その情報を嗅ぎつけたライバル会社がヤバイぞと、こんな座布団売られたらたまったもんじゃないぞということで、その座布団を開発したやつを暗殺した、そこでこの誰も来やしないような場所に行き倒れのように見せかけた、そういうのはどうでしょう。
おじさん  なるほど、落語家が座布団開発者になっただけってことね。
佐々倉  もっとシンプルに考えてみてはどうでしょうか。
おじさん  シンプルとは。
佐々倉  なんか分かんないけど大事な座布団をお母さんかおばあちゃんかなんかにプレゼントで買って、そして歩いていたら、熊に出会った。
おじさん  熊に。
佐々倉  ほら、看板出てるじゃないですか、熊出没注意って、だから死んだふりをした、そしたら、
おじさん  死んだ。
棚橋  実にシンプル。
おじさん  しかし一つだけはっきりしたこと、どんな死に方であったとしてもだ、座布団は大切だったってことさ。
棚橋  確かに。
佐々倉  おじさんはなんでそこで倒れていたんですか。
おじさん  おじさんはどうしてそこで倒れていたか、これまた実にシンプル。おじさんは酔っ払っていた、すこぶる酔っ払っていた、どこにでもある話だね、毎日の仕事、毎日の家族との付き合いの中、別の時間を探す際、おじさんは酔っ払うしかできなかった。酔っ払うしか術を知らなかった、酔っ払いながらこの駅に来ていた、酔っ払いながらふと寝転んでいた、寝転びながらも考えていた、おじさんにとっての座布団とはなんだろうと、おじさんは死ぬのかもしれないと思った、おじさんの右手にはウイスキーの小瓶が握られているだけだった、ただそれだけのことなのでした。

 

  佐々倉、倒れる。

 

棚橋  えっ、ちょっと大丈夫。
佐々倉  大丈夫です、死んだふりをしているだけなのです、重要なことに気付いたのです、死んだふりをして生きてきたのかもしれないと思ったわけです、生きるために死んだふりをしてきたというわけです、あー、生きるために死んだふりをするというのは、あー、なんだか、なんだかって感じですね、あー、

 

  おじさん、倒れる。

 

棚橋  もう、おじさんまで。
おじさん  なるほど、死んだふりをしてきたというわけか、死んだふりをしながら死んでいこうとしているというわけか、しかし男なら、いや男ならという考えは良くないのかもしれない、人間ならば、いや、生物ならば、一度くらい死んだふりをせずに熊と戦ってみたいものよのお。
佐々倉  あっ、熊だ。
棚橋  えっ、どこ。

 

  佐々倉、指差した先には棚橋。

 

棚橋  えっ、俺。
佐々倉  あっ、熊だ。
棚橋  えっ、また。
佐々倉  あっ、熊だ。
おじさん  うわあ、熊だ。

 

  棚橋、四足歩行になり、

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  棚橋、うろうろする。

 

棚橋  グワオー、グワオー。

 

  おじさん、立ち上がる。

 

棚橋  グワッ、グワオ。

 

  おじさんと熊、見つめ合う。

 

おじさん  さあ、さあ来い。
熊  グワオー。

 

  おじさんと熊、取っ組み合う。

 

佐々倉  おじさん、がんばって、おじさん、がんばって。
おじさん  うおおお。
熊  グワオー。

 

  おじさん、熊を一本背負い

 

熊  グワオ、オオ、

 

  おじさん、勝利の仁王立ち。

 

おじさん  勝った。
棚橋  負けた。本気でやったのに。
佐々倉  やった、おじさん、
おじさん  勝った、勝った、熊に勝ったぞー。熊に、勝ったぞー、うおー。

 

  おじさん、栄光に浸る。

 

おじさん  勝ったけど、なんだ、勝ったからなんなんだ。
佐々倉  おじさん。
おじさん  勝ったからなんなんだ、英雄も自分で英雄だと思うのは一瞬だというわけだ、あとは栄光に浸る時間があるだけ、英雄じゃない英雄だった自分に戻るというわけか、俺は熊に勝った、それは確かなわけだけども、ね、なんなんだ。うん、帰るよ、それじゃ。

 

  おじさん、去る。

  残された二人。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  あっ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  捨ててなかったんですか。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  あっ、いや、マナーモードにしてたんだけどね。

 

  タンタラタラララタラララ、
  
佐々倉  捨ててなかったんですか。
棚橋  捨てようと思ってたんだよ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  捨てないんですか。
棚橋  捨てますよ。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、スマホを手にとる。

 

  タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、スマホを見つめる。

 

佐々倉  捨てないんですか。
棚橋  捨てるって言ってるじゃない。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  棚橋、思いっきりスマホを投げる。
  棚橋と佐々倉、その行方を見ている。

  タンタラタラララタラララ、が消え、暗転

 

4、海食崖、崖の上。

 

  波の音。海猫の鳴き声。

  棚橋、佐々倉、いる。

 

佐々倉  海ですね。
棚橋  そうですね。
佐々倉  海来ちゃいましたね。
棚橋  断崖絶壁ですね。これが断崖って感じですね。
佐々倉  どうして海に来ちゃうんでしょう。
棚橋  あなたが言い出したんですよ。
佐々倉  えっ、そうか私か、いや、棚橋さんでしょ。
棚橋  いや、佐々倉さんですよ。
佐々倉  そんなことはどうでもいいでしょうに。
棚橋  刑事ドラマみたいですね、ほら、あるでしょう、最後に犯人を追い詰めて、なんか私がやったわって白状してって、
佐々倉  私、刑事ドラマ見ないので。
棚橋  いや、俺もあんま見ないけどさ。
佐々倉  死を、意識せざるを得ないわけです。
棚橋  やめなよ、そういうこと言うの。
佐々倉  本当のことを言ってるの、死を意識してしまう、この波を見ていると、この雲を見ていると、この、音を聞いていると。時間がすごく遅く感じる。
棚橋  本当のことは重要かな。
佐々倉  逃げているんですよ、棚橋さんはあれですね、逃げることからも逃げているといった感じですね。
棚橋  そんなことないじゃない、逃げてるじゃない、ちゃんと逃げてるじゃない、スマホも捨てたじゃない。
佐々倉  じゃあ見てくださいな、この海を、この崖を、このゴツゴツした岩岩を。
棚橋  何、死にたいってこと。
佐々倉  考えているのです、この逃避行の終わりを、私たちは何を求めているのか、この関係はいつまで続くのか、うーん、うん、考えているのです。
棚橋  死にたいってこと。
佐々倉  死にたい、いや、死にたいかどうか、うん、いや、確固とした実感が、だから、そうですね、こういうことです、あの秘境駅でおじさんが熊に勝った時の実感が、うーん、だから、さっき食べた海鮮丼はまさしく美味しかったんですが、美味しかっただけといいますか、いや、だから、どうしたいですか。
棚橋  えっ。
佐々倉  これからどうしたいですか。
棚橋  うーん、どうもしたくないんだよなあ。
佐々倉  どうもしたくない、そうなんですよねえ。
棚橋  死にたくもないし、誰かに追いかけられているわけでもないから遠くに行く必要もないし、というか面倒くさいし、ここで家借りていっちょしばらく住み着いてやりますかとそんな意欲もなければ、お金もないし、もはや、もう、帰りたくも、ない。
佐々倉  どうもしたくないとはこういうことですね。

 

  間。

 

佐々倉  えっ、帰りたくないんですか。
棚橋  えっ、帰りたく、ないよ。
佐々倉  あっ、そうなんですか。

 

  間。

 

棚橋  えっ、そうじゃないの。
佐々倉  えっ、あ、そうじゃないのとは、
棚橋  えっ、帰りたいの。
佐々倉  いやいや、帰りたくないですよ。
棚橋  えっ、帰りたいよ。
佐々倉  えっ、帰りたいんですか。
棚橋  あっ、うん、ちょっと帰りたいかなって。
佐々倉  えっ、えっ、あっ、ちょっと。
棚橋  そう、ちょっと。ね。
佐々倉  まじすか、まじすか、ちょっと帰りたいんですか。
棚橋  いや、ちょっとね、ちょっとだよ、えっ、帰りたくないの。
佐々倉  帰りたくないですよ。
棚橋  あっ、なんだ、帰りたいのかなって。
佐々倉  そんなこと言ってないじゃないですか、帰りたいなんて、私、一言も言ってないですよね、
棚橋  えっ、だって、なんか雰囲気が。
佐々倉  だって、ここで帰ったらなんか。負けじゃないですか、なんか負けじゃないですか。
棚橋  なんとなく分かるけど、なんとなく、
佐々倉  えっ、まじで、まじで帰りたいんですか。
棚橋  いや、だから、それは、ちょっとね、ちょっと。
佐々倉  ちょっとなんかないでしょ、帰りたいにちょっとなんかないでしょ、帰りたいか否かでしょ、ちょっとって、それ、ずるいなあ、逃げてるなあ。
棚橋  逃げてるって言われても、ちょっとはちょっとなんだもん。
佐々倉  いや、ずるいずるい、帰りたいなら帰りたい、帰りたくないなら帰りたくない、どっちかですよ。
棚橋  じゃあ、帰りたくない。
佐々倉  信じられないなあ、その言葉、今さら。
棚橋  えっ、じゃあ、帰りたいですよ。
佐々倉  えっ、帰りたいんだ、帰りたいんですね、まじか、帰りたいんだ。
棚橋  えっ、何、どうすればいいの、なんて答えれば正解なの。
佐々倉  正解とかないんすわ、帰りたいって思ってる時点でちょっとちょっとなんですわ、
棚橋  仕方がないじゃない、仕方がないじゃない、仕方がないじゃない。帰りたいよ、ちょっとは。その、培ってきたんだから、家庭とか、仕事とか、培ってきたんだから、色々と、考えて、必死こいて、潰れなさそうなとこ慎重に選んで、上司にダメなやつ認定されないようにアレして、嫁さんとなんかいろいろ子供のこととか相談しながら、さあ、なんか、休日はちゃんと家にいるし、俺の親父の時みたいに仕事仕事にならずに、でも、仕事もちゃんとしながらだけど、休日は出来るだけ家族と一緒にいるし、嫁と二人きりで今だに月一回デート行くみたいな若々しい関係もさあ、培ってきたわけよ、潰しちゃったんだから、この逃避で、いや、まだ分からないけども、今なら、まだ間に合うかもってどっかで思ってるわけだけども、明らかに、あなたと関係を、いや、だから、その、肉体関係も持ってしまったわけだし、その、浮気とか不倫とか一切なかったのに、いや、そりゃあ、いろいろ、うーん、いや一切しなかったわけなのに、ここに来て、ある意味、浮気して、精神的には、あれかもしれないけども、いや、違う違う、いや、そうじゃないんだけども、しかし、少なくとも肉体的にはね、肉体的にはさあ、やってしまったわけだけども、だって、そりゃあ、やるじゃない、って、ってそんな話じゃなくてですよ、まあ、聞いて、聞いてるか、だから、培ってきたんだもん、色々と、一番上がこないだ初めて料理作って、無理して、カレーとか作っちゃって、嫁に習って、なんか、まあうまいよって、そんな、そこまでじゃないけどうまいよ、うまいよ世界で一番なんて言ったりして、そろそろ反抗期とか来そうでビクビクしながらも、あいつは大丈夫かもとか思ったりしてる自分もいてって、いや、でも来るんだろうなあ、反抗期、怖いなあ、いやだなあ、反抗期来たらいやだな、お父さんの後のお風呂嫌だとか言われたら嫌だな、嫌すぎてへこむな、へこみすぎて、あれだな、なんかうーん、へこみすぎるだろうな、うーん、あれ、そう、何の話だっけ、いや、だから、そういうのをさ、培ってきたわけじゃない、だからさ、だってさ、うん、だからさあ、そういうことだよ。うーん。
佐々倉  逃げようっと言ってきたのはあなたですよ。
棚橋  逃げようって言ったのは私でした。逃げようっと言ったのは私です、逃げたいって思ったのも確かなのでありました。しかし、何から、そして、どこへ。
佐々倉  それを探す旅とでも言いましょうか。
棚橋  あっ、なるほど、それは、少しかっこいいですね。ニンクウってアニメ知ってます?
佐々倉  名前ぐらいしか。
棚橋  その、主人公のフウスケが、母ちゃん探して旅してんだってよく言うわけですよ、そんな感じで、俺、逃げる理由探して逃げてんだって、言うのは、少し、そうですね、なんか、いいですね。
佐々倉  ああ、ああ、まあ、いいですね、うん、なんか、いいと思います。
棚橋  そうですね、すみません、なんか、
佐々倉  とりあえず、駅まで戻ってみましょうか、
棚橋  そうですね、しかし、すごい崖だなあ、ここは、

 

  二人、はける。

 

  青年、トボトボ現れる。
  崖の上に立つ。

  海を眺める。
  太陽を見つめる。
  息を思い切り吸い、

 

  二人、そっと戻ってくる。

 

棚橋  あのう、
青年  太陽の、バカヤローっ。
棚橋  えっ。

 

  間。

 

青年  太陽の、バカヤローっ。

 

  間。

 

青年  太陽の、
棚橋  私は好きだーっ。

 

  間。

 

青年  えっ。
棚橋  太陽が、大好きだーっ。

 

  間。

 

佐々倉  あれ、なんか、ありましたね、そういうCM、なんか、ありましたね。

 

  間。

 

棚橋  私は好きだーっ。
青年  あのお、
佐々倉  私は普通だーっ、好きとか嫌いとか、太陽に対してそんなに感情を持ったことがないーっ。

 

  間。

 

青年  俺は、俺は、バカヤローっ、太陽のバカヤローっ。
佐々倉  私は普通だーっ。

 

  間。

 

棚橋  実は私も普通だったーっ、夕日とか朝焼けとか綺麗って思うことはあるけど、あー、好きだわー太陽、めっちゃ好きだわーって感覚ではないかもしれないと今思ったから、私も普通だーっ。
佐々倉  そういう話を聞くと私は嫌いだったー、太陽が嫌いだったー、肌的にシミになるからだーっ。

 

  太陽を眺める三人。

 

青年  なんなんですか、あなたたちは。
棚橋  君が自殺をすると思った。しかし、君は自殺をしなかった、ただ叫んだ。だから私も叫んだ。
佐々倉  私たちは何をしようとしているのか分からなくなりました。なにかしようとして何もしていないような、だから叫んだ。
青年  ああ、はあ。
棚橋  私たちは逃げているのです。
青年  えっ、何から。
棚橋  それを探す旅とでも言いましょうか。
青年  えっ、何言ってるんですか。
佐々倉  あなたはなんで叫んでいたの、まさか本当に純粋な気持ちで太陽がばかやろうと思って叫んでいたわけではありますまい。
青年  いや、まあ、はあ。
棚橋  是非、聞きとうございますなあ。
青年  えっ、なんで。
棚橋  えっ、なんでって、ねえ。
佐々倉  ねえと言われましても。
棚橋  なんでだろ。
青年  えっ、なんで聞きたいんですか。
棚橋  なんで、ちょっと待ってください、ちょっと待ってくださいよ。うんそうだ、これだ、これじゃダメですか、ただ聞きたい、これじゃダメですか。
青年  なんすかそれ、興味本位ですか。
棚橋  そうです、興味本位です。
青年  いやですよ、じゃあ、
棚橋  ちょっと待って、こういうのはどうでしょう、聞いて相談に乗ってあげたい、
青年  なんすかその上から目線は、なんで見ず知らずの人に相談をするんですか、頭いかれてるんですか、
棚橋  えっ、頭いかれてるのかな。
青年  恥ずかしいでしょ、誰もいないと思って叫んだんだから、ちゃんと確認して叫んだんだから、あなた方が行ってしまってもう戻ってこないと思いながら叫んだんだから、
佐々倉  つまり太陽に叫ぶってことは太陽に叫ぶなりの理由があってのことでしょう。太陽に叫びたくなるぐらいの大きなことがなきゃ叫ぶことはないでしょう、例えば、家のゴミ箱にハエがたかってて、うわ、もう最悪、糞が、おいおいおいおい、太陽のバカヤローっとそうはならないわけでしょう。
青年  それはどうでしょうかね、太陽に叫びたくなるぐらいの大きな理由がなくとも太陽に叫びたくなることはありうるのでないすかね。
棚橋  つまりあなたは太陽に叫びたくなるぐらいの大きな理由なしで太陽に叫んでいたとそういうわけでしょうか。
青年  そういうことになりますね。
棚橋  ではなんで叫んでいたんでしょう。
青年  それが、確固たる理由がないんですね。
棚橋  確固たる理由がない。
青年  それはもちろん、モヤモヤした理由はありますよ、先週告白したらふられたし、進路希望どうしようか分かんないし、ゲーム買うお金欲しいし、しかし、確固たる理由はないんですね。
棚橋  なるほど、つまりモヤモヤしているから叫んだ、そういうことになりますかね。
青年  そういうことになりますねって言ってるそばから、バカヤローっ。

 

  間。

 

青年  どうですか。
棚橋  えっ、なんですか。
青年  僕の叫び、どうですか。
棚橋  いや、なんか、すごいね、ねえ。
佐々倉  はい、なんか、モヤモヤの魂っていうか、ねえ。
青年  そうでしょ、週一ぐらいでここに来て叫んでいるんです。
棚橋  それはすごい、それは、もう、なんというか、プロですね。
青年  そうでしょ、もはやプロじゃないかな、
棚橋  いや、すごい、プロのなんかを経験できるとは。
青年  あなたの叫びも良かったです。
佐々倉  えっ、私ですか。
青年  そうですね、なにか、なんというか、モヤモヤ度が、すごく、でも、あなたはダメですね。
棚橋  えっ、ダメなの。
青年  なんか、ダメですね。
棚橋  えっ、なんで、なんでダメなの。
青年  えっ、なんでだろ、もっかい、もっかい叫んでみてよ。
棚橋  えっ、分かりました。

 

  棚橋、叫ぼうとするが、

 

棚橋  えっ、なんて叫べばいいんでしょう。
青年  もうダメだ、その時点でダメだ。
棚橋  ええっ、どうしよ、なんて叫ぼう。
青年  思ったことをそのまま言えばいいんですよ。
棚橋  太陽のバカヤローっ。

 

  間。

 

青年  ダメですね。
佐々倉  ああ、ダメだなあ。
棚橋  えっ、なんで。
青年  だってまず、僕のパクリじゃない。
棚橋  君だってどっかで見たことあるような聞いたことあるような文句のパクリじゃない。
青年  いや違うんですね、僕は違うんですよ、僕は太陽バカヤローって思ってんですね、本気で、あんた思ってないんですよ、太陽バカヤローって思ってないんですわ、本気で思ったこと言わないと。
棚橋  本気で思ったこと。
青年  ほら、目を閉じて、
佐々倉  息吸って。
青年  浮かんできたでしょ、言葉、浮かんできたでしょ。
棚橋  ああ、ああ、あああ。
青年  ほら来てんじゃない、言葉、来てんじゃない、
棚橋  ああ、案ずるが産むが易しーーっ。

 

  間。

 

佐々倉  どういうこと。
青年  まあ、さっきよりは、まだまだいけるね、
棚橋  まだまだっすか、プロ。
青年  もっとモヤモヤ度をね、モヤモヤ度を深めていかないと。
棚橋  モヤモヤ度。
青年  はい、目閉じてえ。
佐々倉  息吸ってえ。
棚橋  言葉、言葉ってやつはーーっ、

 

  間。

 

青年  んん、ちょっと遠のいたかな、ねえ。
佐々倉  そうですね、ちょっと、高尚に見られたいって欲が出ましたね。
棚橋  ああ、欲出ちゃってた、欲出ちゃってた。
青年  はい、目え閉じてええ。
佐々倉  息吸ってええ。
青年  ここ大事よ、ここ大事だから。
棚橋  はい、あっ、息が。
佐々倉  息吸ってええ。
青年  モヤモヤ度深めて、モヤモヤ度深めて、今まで生きてきた中で感じたモヤモヤ、深めて、はいっ。
棚橋  アーノルドッ、シュワールツネッガーーっ。

 

  間。

 

青年  いいじゃん、
棚橋  えっ、いいっすか。
青年  ねえ、
佐々倉  うん、
青年  めっちゃいいよ、すごい、めっちゃいいって言ってるそばからシュワールツネッガーーっ。
佐々倉  ネッッガーーっ。
三人  ネッッガーーっ。

 

  間。

  夕日が沈んでいる。

 

青年  夕方と、夜の、境さ。
棚橋  えっ。
青年  三谷幸喜の映画で知ったんだけど、マジックアワーって言うんだってさ。
佐々倉  ああ、あの、映画。
青年  カメラで一番美しく撮れる時間帯ですわ、カメラ持ってないけど。
棚橋  スマホなら、あっ、スマホ捨てたんだった。
青年  スマホ、捨てた、やばいね、あっ、俺のスマホで撮ろっか。
佐々倉  あっ、そういう流れ、写真撮る流れ。

 

  青年、スマホを掲げる。
 
青年  はいっ、ポーズっ。

 

  ポンっ。

 

棚橋  カシャって言わないんだね、
佐々倉  そうですね、最近のは。
棚橋  なんだか、なんだかって感じだね。
佐々倉  そうですね。
青年  ラインで送りたいんだけど。
佐々倉  あっ、私たち、スマホを、
青年  あっ、そっか、捨てたんだっけ、えっ、なんで。
佐々倉  逃げてるからですよ。
青年  ああ、そっか、逃げてるんだった、そっか、じゃあ、この写真は俺だけのものか、なんか、なんだかなあ。
棚橋  大丈夫です、この経験は忘れません、このモヤモヤは。
佐々倉  モヤモヤ。

 

  三人、夕日があったであろう方向を見つめる。

 

青年  俺、自殺するわ。

 

  間。

 

棚橋  ああっ、えっ、そう。えっ、なんで。
青年  海猫が呼んでいるんだ、お前も一回ぐらい空飛んでみたらどうかってさ、
棚橋  ああっ、えっ、すごいね、どうした、何があったの。
青年  だからなんにもないんだって、なんにもないんだけどね、
佐々倉  あるね、ありますよ、そういう時。
青年  あっ、分かる、
棚橋  えっ、ある、海猫に呼ばれる時なんてあるの。
佐々倉  海猫に呼ばれる時はないですね。
棚橋  えっ、どういうこと、
青年  俺、自殺する。
棚橋  えっ、今、今すぐするの。
青年  今、うん、今だな、そう、今この時、うん、今このマジックアワー、うん。
佐々倉  マジックアワー、それは写真だけでなく人までもマジックにかけてしまうものなんですね。
棚橋  何言ってるの。
佐々倉  一つ、提案があります、私たちにあなたを殺させていただけませんか。
棚橋  えっ。
佐々倉  突き落とさせてもらってもいいかな、あなたを。
青年  俺を殺すってこと?
棚橋  何言ってるの、佐々倉さん。
佐々倉  私たち、なにか、振り切れてないんじゃないかって、なにかが、なんだろ、何かが。
棚橋  ちょっと待って、ない、ないよ、何言ってるの。
青年  えっ、俺、殺したいの。
佐々倉  いや、全然。
青年  じゃあ、なんで。
佐々倉  今のままじゃ、なんだか、そう、なんだかって感じなのね。
棚橋  佐々倉さん、落ち着いて。
佐々倉  落ち着いてます、私は至極冷静です。
棚橋  至極て何、至極なんて言葉使う女の子いる、至極冷静て、
青年  いいよ。
棚橋  ちょっと、何言ってるの。
青年  自殺したいって思ってたのは事実なんだわ、死にたいって思ってたんだわ、怖いけど、めっちゃ怖いけど、スカスカなの、なんか、スカスカしてるの、表層的な付き合い、いや、そんなんじゃないけど、友達はいないわけじゃないよ、けっして、いじめられてるとかそういうのもないんだよ、ただ、スカスカなんすわ、そう、ずっと、今だけじゃない、ずっと、飛びたいって、あの、海猫みたいに飛びたいって思ってたんですわ、でも、人間、飛べないよね、人間、海猫じゃないから、飛べないよね、飛行機とかじゃなくてよ、ちゃんと自分の体で、飛びたいって、人間は、でも、一回しか飛べないわ、そりゃあ、スカイダイビングとかも別よ、そういうの抜きにして、俺たち、一回しか飛べないわ、でもさあ、それ、ありじゃあない、って、あなたたちと叫んで、すごい、なんて言うか、ランキング上位だわ、FFテンの雷除け200回連続成功したぐらい上位、うん、叫んでる時だけなのよ、俺は、叫んでる時だけ、でも、だんだん叫ばなくなる、俺も、叫ばなくなっていく、なんだか、なんだか、ね。ありじゃないかって。
棚橋  考え直せ、考え直せ、生きてたらいいこといっぱいあるぞ。
青年  そりゃああると思うよ、そりゃああると思うけどね、そういうことじゃないんだよね、
棚橋  ええ、どういうこと。
佐々倉  棚橋さん、
棚橋  えっ、何?
佐々倉  逃げ出したいって言いましたよね。
棚橋  言いましたけどもね。
佐々倉  チャンスだと思うんですよ、
棚橋  何がチャンスよ、逃げ出したくても人を殺したいなんて言ってませんよ。
佐々倉  私たち、逃げきれてないじゃないですか、なんか、逃げきれてないじゃない、これはですよ、なんて言うんですか、逃げざるを得なくする行為とでも言いましょうか、だって、そうでしょ、根本間違ってたんですよ、だって、何も逃げることがないんだもん、そりゃあ、わけ分かんないよ、逃げることから逃げられなくするためにですよ、
棚橋  殺すの、逃げるために殺すの、どういうこと、そんなことってある?
佐々倉  だって、あなたはさ、なんかさ、だってさ、一回私とやったぐらいでさ、めっちゃ逃げたみたいな感じ出してますけど。
棚橋  どういうこと、一回あなたとやったら、逃げた感って何、
佐々倉  だって、なんか、私、なんか、全然逃げられてる気がしないんだもん、あんま、変わらない、なんかスリルというか、いや、そう、なんだろ、逃げてるぞーって感じ、なんか、いや、もう、逃げてることを求めてるわけじゃないと分かっていつつも、えっ、何を求めてるんだ、って、分かんないけど、でも、とことん、とことんやってみたいと思ってるのね、とことん、何かをとことん、そう、これよ、なんでもいいけど、とことんってこと、とことんやってみたい、それが今、とことん逃げてみたい、でも全然とことんじゃない気がして、とことんやってみないかと、この青年を死なせてあげて、そしたら、警察が殺人事件じゃないかってなって、私たちはそれから、とことん逃げるの、もうほんと、とことん、そういうこと、分かる?
棚橋  えっ、ちょっと待って、ちょっと、えっ、いいの。
青年  やってみよっか。
棚橋  待って、ダメだよ、えっ、そんなんで命捨てていいの、いやダメでしょ、えっ、
佐々倉  じゃあいいですよ、分かりました、私だけで、私だけでやりますから、棚橋さんは帰ってくださいよ、奥さんと子供のもとへ、帰って、私だけで逃げます、私だけで。
棚橋  なんでそんなこと言うの、なんでそんなこと言うの、一緒に逃げてきた仲じゃない。
佐々倉  じゃあどうするのですか、

 

  青年、崖の淵に立ってる。

 

青年  マジックアワー。
棚橋  やっぱり考え直そう、気が狂ってるよ。
青年  こええ。
棚橋  怖いだろ、怖いだろ、やめとけ、戻ってこい。
佐々倉  私はこの青年を押します、そして、走ります、ダッシュします、ダッシュで逃げます、初めて人を殺します、そしてダッシュで逃げます、何事からも、本当に何事からも、日常からも、彼氏からも、親、お兄ちゃんお爺ちゃん、おばあちゃん、父方のお婆ちゃん、美沙子、洋次、高橋先輩、中澤先輩、新井さん、三沢さん、常連のおばさんたちからも、全てから逃げます、それぐらいのことしなきゃ、それぐらいのことしなきゃ逃げられませんよ、きっと、とことん、とことん逃げるって、そう、この、若者を崖から、それぐらい、とことん、
棚橋  佐々倉さん、
佐々倉  棚橋さんはそこで見てるんですね、とことん、見てるんですね。
青年  いく、いっちゃう、まじで、いく。
佐々倉  いきますよ。
青年  最後の言葉考えないと、どうしよ、人生最後の言葉なんて言おう。

 

  佐々倉、一歩前へ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  えっ。
棚橋  あっ、えっ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

青年  あああ、死ぬかと思った、死ぬかと、思った、生きてる、俺、生きてる。
棚橋  えっ、携帯、君の?
青年  ああ、えっ、携帯、えっ、僕のじゃないですよ。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  捨てたよね、スマホ、捨てたよね、

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  捨てたのに、えっ、どっから聞こえるの、なんで、なんでスマホが鳴るの。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

佐々倉  ああ、あああ、あああ、
棚橋  佐々倉さん。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、
  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

  スマートホンの音が世界を包み込み、暗転。

 

 5、ネイルサロン。

  

  佐々倉、いる。

  棚橋、入ってくる。  

 

佐々倉   いらっしゃいませ〜。
棚橋  どうも。
佐々倉  今日はどのようになさいましょうか。
棚橋  えっ、あっ、えっ、どのように、
佐々倉  ネイル、されにきたんですよね、
棚橋  えっ、あっ、ええ。では、ネイルを。
佐々倉  どのプランになさいましょうか、
棚橋  えっ、プラン、
佐々倉  ジェルプランですとお値段7500円、
棚橋  7500円っ。
佐々倉  普通のカラーリングですとお値段5000円、
棚橋  5000円っ。
佐々倉  あと爪をテカテカに、もうテッカテカにするプランなどもありますが、
棚橋  じゃあ、あのう、普通ので、
佐々倉  普通のでよろしいですか、
棚橋  普通ので、よろしいですよ、
佐々倉  このジェルプランの際は、普通の方より本当に落ちにくいと評判でして、ほら、これも、私がしているのなんかもこのジェルを使ってるんですが、ほら、見てください、これで2週間目なんです、普通の方ですと、2週間も経っちゃうとほとんど落ちちゃうんですが、まあ、どっちみち爪は伸びてくるのでまた塗りに来なきゃいけないんですけどね、でも、まあ、見比べてみたら分かるんですけど、ツヤとか、全然違ってきますね、もう、全然。まあ、そんな感じなんですが、どうしますか、
棚橋  ああ、ええ、いや、普通のほうで、
佐々倉  かしこまりましたー、それでは。
棚橋  えっ、
佐々倉  あっ、手を。
棚橋  あっ、手か、
佐々倉  はい、手を。ネイルしますんで、
棚橋  そうですね、あっ、そうでした、

 

  棚橋、手を出す、
  佐々倉、手を見る。

 

佐々倉  荒れちゃってますね、
棚橋  荒れちゃってますか、
佐々倉  整えていきますね〜。

 

  間。

佐々倉  今日はどうしていきましょうか。
棚橋  えっ、あっ、どうしましょう、
佐々倉  お客様、初めてですか、
棚橋  ええ、ええ、初めてです、
佐々倉   緊張しなくても大丈夫ですよ、リラックスしてくださいねー、男性のお客様もたまにいますよ、今の時代、女性だけのものではないですから。
棚橋  ああ、はい。
佐々倉  花つけたり、星つけたり、そういうようなネイルは望んでないですかね、シンプルに色塗るだけって形で進めていきましょうか。
棚橋  ああ、はい。
佐々倉  何色がいいですか。
棚橋  何色がいいですかね、
佐々倉  えっ、私が決めるんですか。
棚橋  えっ、ダメですか。
佐々倉  ダメじゃないですが。
棚橋  お願いします。
佐々倉  はあ、そうですねえ、あまりあからさまに明るいピンクとかオレンジてのもあれでしょう、
棚橋  あれですね、
佐々倉  かと言って無難な当たり障りないというのもどうかとも思いますよね、
棚橋  どうかと思いますね、
佐々倉  水色なんてどうでしょう。ちょっと新たな世界にチャレンジする感覚で。
棚橋  ああ、いいですね、水色、はい、じゃあ、水色で、
佐々倉  水色で、かしこまりましたー、じゃあ、温めていきますねー。

  

  間。

 

棚橋  あれから。
佐々倉  は、
棚橋  どうしてた。
佐々倉  あれから。
棚橋  あれから。
佐々倉  あれから。
棚橋  どうしてましたか?
佐々倉  なんのことでしょう。

 

  間。

 

棚橋  確かに。
佐々倉  はあ。
棚橋  言った。
佐々倉  何を。
棚橋  もう会わないって。
佐々倉  はあ。
棚橋  言った。
佐々倉  拭いていきますねー。
棚橋  君もか。

 

  間。

 

棚橋  君もなの。
佐々倉  ええと、何がですか。
棚橋  あれから、あれから、僕は、あれから、
佐々倉  カラーリングしていっちゃいますねー。
棚橋  家帰って、嫁に、いろいろ聞かれて、分からないって、なんか、記憶喪失装って、分からないって、会社にも、それで通して、病院行ったりして、特に異常はないけどもって、なって、ねえ、なんか、でも、疲れてるんだろって、会社からは、特に怒られたりもせずに、有給扱いなって、クビとかには全然ならず、家庭も崩壊なんてなく、皆、分かってるんだよね、きっと、絶対、記憶喪失とか嘘だろって、分かってるんだけどね、分からないから、どうして三日間もいなくなるのか、人がどうして、三日間もいなくなるのか分からないから、嫁とかもさ、浮気かなんかかもって、思ってんだろうけど、まあ、実際浮気まがいのこともあったけど、いや、そういうことじゃなくて、でも、壊れたくないからさ、壊したくないからさ、皆、信じてくれて、あの三日間は、なんか、なくなって、なんだったんだろって、けっこう、僕的には、すごいことしたんだけど、とてつもないことした気でいたんだけども、
佐々倉  なんのことか全然分かんないんですけどね、
棚橋  本気で言ってるの、
佐々倉  なんのことか全然分からないんですけどね、三日間、いなくなったんですか、仕事ほっぽらかして浮気したってことですかね、分からないですけどね、すごいですねー、そんな経験私したことない、一度はそういうことやってみたいですよねー、
棚橋  やめてやめて、えっ、ごめん、ごめんよ、俺のこと知らないふりするのやめて、ごめんよ、約束破ってごめんよ、でもさあ、一回でいいんだ、一回だけ、話してよ、あの時のこと、どう思ってるのか、あれからどうしていたのか、君まで、なんか、さ、一回だけでいいからさ、話してよ、仕事辞めさせられなくて済んだってことかな、
佐々倉  私、仕事辞めさせられるようなこと一回もしてませんけど。
棚橋  君は、えっ、なんなの、えっ、忘れてるの、覚えてないの、
佐々倉  動かさないでくださいねー。
棚橋  すみません。動かしませんから、動かしませんから、君は、えっと、なんだ、えっ、名前は。
佐々倉  名前、私ですか、佐々倉と言います、指名してくれたりする感じですか。
棚橋  佐々倉さんだよね、佐々倉さんだよね、佐々倉さんだよね。
佐々倉  大丈夫ですか、
棚橋  僕だよ、棚橋ですよ。
佐々倉  はあ。初めまして。
棚橋  逃げ出したいって言ったでしょ、そしたら、君も、逃げ出したいって。
佐々倉  すみません、動かさないでくださいねー、
棚橋  あっ、はい。すみません。今度はさ、今度はすごいから、僕、今度は凄いことするから、ねえ、逃げようよ、もう一度、ねえ、逃げ出そうよ、ここからさ、俺、ちゃんと逃げますから、ガチでとことん、ガチマチに逃げるから、銀行強盗もするし、殺人だって犯すかもしれない、今度の俺はすごいから、君が逃げてるってバッチバチに、もう、バッキバキに感じるように逃げるからさ、俺の世界はここじゃないのよ、違うんだ、こんなまやかしの世界じゃないのよ、戻ってきて気付いたのよ、ねえ、逃げよ、もう一回、もう一回だけでいいからさ、
佐々倉  はーい、動かさないで、そのままでいてくださいねー、
棚橋  そういうこと、そういうことなの。
佐々倉  そういうことです、そういうことですよー。
棚橋  ああ、はい、すいません、
佐々倉  すぐに終わらしますので、すぐに終わらしますので我慢してくださいねー。
棚橋  帰ります、
佐々倉  まだ途中ですよ、まだ全然終わってませんよ。
棚橋  鳴り止まないんだあの音が、
佐々倉  音?
棚橋  あー、うるさい、ほんと、うるさい、
佐々倉  大丈夫ですか、何も聞こえませんが、
棚橋  聞こえなくなったの。
佐々倉  えっ、なんですか、何か聞こえてる感じですか。
棚橋  スマホの着信音ですよ。
佐々倉  着信音。
棚橋  鳴り止まないんですよ。
佐々倉  でればいいじゃないですか。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  えっ。
佐々倉  でればいいじゃないですか。
棚橋  でる。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ、

 

棚橋  でる。

 

  タンタラタラララタラララ、タンタラタラララタラララ

 

棚橋  はい、もしもし。

 

  音が止むが、棚橋の右手の指には水色がついてる。

 


終わり。