稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。まさかのここに。

目次という名の戯曲変移の歴史

稲垣和俊戯曲集です。
稲垣和俊戯曲集は変化し続ける戯曲集です。
引っ越しを期に今まで書いてきたことを適当に目次としてまとめます。URL貼ったので読みたい戯曲あればそこから飛んでください。フライアウェイ。


1、存在できない期
アカデミー時代に太田省吾にはまって、太田省吾意識しまくっていた時期。
あと、どうとでも演出できる抽象的な作品を書いていた時期。



○マイスウィート心中
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/200533

男と女のセックスシーンとピロートークシーンを交互に繰り返す短編。
お互いの中に自分の存在の証明を見出そうとするも失敗する。


○ロミオ、ロミオ、ロミオ
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/204620

二次元の世界にしかロミオが存在しない。
そしたらいくら呼びかけてもロミオは来ないじゃないのっていう坪内逍遥訳のロミオとヂュリエットを元に構成した短編。


○確かにあったね、さようなら
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/205624

引っ越し直前の男女を描いた短編。
断捨離をするかしないかで言い争う。



2、登場人物喋り始め期
劇作家の友達が構成を気にせず会話ばっかり書いてて、どうしてそんな喋らせるのかを聞いたら登場人物が勝手に喋るんだと言う。
噂には聞いたことがあったが、本当にそういうのあるんだと仰天し、ならば自分もと始めてみたら本当に勝手に喋り始めた。びびった時期。



○僕達VS宮島直子
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/201404

放課後の教室に宮島直子のことが好きな田中と川崎がいて、互いにそれを認め合った瞬間に川崎が宮島直子に告白されて田中が悶絶しはじめるっていう短編。
マジで勝手にキーボードカタカタして書いてた。


○夢のあらわれ
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/203044

オリンピックが決まった東京のどこかの建築現場で、日雇い労働する者たちの一日。
ちゃんとした物語を書こうとしたけど結局最後なんか投げやりになってる。
これも電話のシーンとか勝手に喋ってたんじゃないかと思う。



3、長ゼリフ書きまくり期
コフィ・クワユレというフランスの劇作家の戯曲を役者として演じて、自分が書いたマイスウィート心中も演じて、どちらも再演をした時に、マイスウィート心中の再演が圧倒的に辛かった。演出のやりようはあるかもしれないけど、演技のやりようがないというのが実感で、演出のやりようなんて抽象的に書けばどうとでもできるんだし、って自分の中での余白の作り方を疑いはじめた時期。その結果、何を思ったか長ゼリフこそ演じがいあるじゃないのと言わんばかりに、登場人物勝手に喋ってくれる時とくれない時を行ったり来たりしながら長ゼリフばかり書き始めた。



○夕焼け公園で奔走中
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/210827

夕焼けの公園で、靴紐がほどけそうでほどけない状態の男と、カンフーしてる男と蚊柱にまみれている女にインタビューしてみる話。
みんな怒涛に喋っている。


○パーティさながら愛と孤独
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/07/31/105011

ある朝ユキコが目覚めたら、徳川埋蔵金を三代にわたって掘り当てようとする家族の家にいて昨夜の記憶がない。母はカレーを作っていて、息子にパーティしようと誘われ、トランプを作ることになる。その家には後継者がいないらしい。
稲垣和俊戯曲集として公演した。楽しかった。



4、演技をセリフに期
長ゼリフばかり書いていると、同じ思考回路、同じ口調になりがちになってきた。そこで気付いたことは言葉が生まれるという時、その瞬間は即興的で、それは役者が演技をする感覚と似ているということであって、セリフを生み出す時に劇作家は役者にならざるを得ない。ある状況があって、なかったとしても、セリフを書くという時、何を喋るか、劇作家はそのセリフを喋らなければいけない状況を演じているからセリフが生まれてくる。劇作家は、根源的に役者である。もちろん他の要素もかなーりあるのだけども。さすればセリフを喋らなければならない状況でどういう演技をするかの選択がどういう言葉が生まれるかに直結する。どういう質の言葉を喋るかに直結する。細かくあーしてこーしてなんて差異をつけようなんて考えない。演技を変えれば良いわけです。
僕の場合は路上で観察した超人間を身体中に宿してコロコロ瞬発的に変えていくパフォーマンスをしていたため、意識の複数路線を瞬発的に行ったり来たりしたり、無意識に身をまかせるような演技が多くなっていた。


○さよならアワーアワー
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2017/05/21/211500

○おつかれサワーサワー
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2018/07/22/204501

それぞれ一つの戯曲であり、同時に上演もできるつくり。
さよならはいきなり路上で刺されてから倒れるまでの女の怒涛のモノローグ。
おつかれは女を刺してから自分を刺すまでの男のもったりとしたモノローグ。
稲垣和俊戯曲集として公演した。大変だった。けど収穫も大きかった。


○愛じゃなくとも逃避行
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2018/10/13/004300

大雨が降っていて帰るのが面倒臭い夜。
タクシー乗り場でタクシーを待っている時ポロッと喋ってしまった男女が愛じゃない逃避行に出る。
逃避行に出たはいいけど誰も追ってくる人がいなくて困る話。
「さながら」って団体で公演してくれた。どうもありがとう。



5A、言葉の迷路へ期
後藤明生が書いた小説を読んで衝撃を受けて、僕が書きたい書き方がこれだと思ったし、より高度で、断然知的であるし、断然面白いし、うわーんってなって、しかして、僕と後藤明生は生まれた時代は違うのであるから、後藤明生のように知的になれなくとも開き直って後藤明生的な言葉の迷路を僕の生きた時代感覚で展開させようと挑んでいた時期。あと、夏目漱石にもどハマりして、夏目漱石の言語感覚、ユーモアセンス、人間の見る目の細かさ、そう、細かさ、細かさを辿る人間たちがいて、どこまでも細かく、自分のリズムとテンポを駆使し、ミクロの宇宙へ飛び立てるなら飛び立ちたいと考えていた時期。



○明夜、蛇になれない
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2020/02/04/212653

昔住んでいた街の駅で、昔一緒に住んでいた恋人にふと電話をしてしまうところからはじまるモノローグ。ふとについて喋り続ける。
さよならアワーアワーの上演を経て、こういう演技で書きたいと、上演演技→戯曲となったはじめての例。
「さんかく」て集まりで原作として編集され「ハローグッバイピリオド」というタイトルで公演した。


5B、物語の高速ハンドリング
大きく分けて、ダイアローグの戯曲と一人でずっと喋っている戯曲とに最近分かれていて、ダイアローグの戯曲に関して、最近、書ききれていないのであるけども、書きかけは何個かあるので、書きかけだけど、一応書いとこうと。
考えているのは登場人物がポロッと話した言葉や行為が物語全体を急に変えていくような戯曲、あと、どこまでもふざけてみたい、物語のスピード感を運転したい。高速乗っているみたいな感じで。モノローグでやってるようなハンドリングを物語全体でしたいって感じ?



○お隣さん、愛おくれ。
http://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2020/02/04/224904

大雪の日、アパートの部屋の鍵をなくして、一緒に住んでいる彼女が帰ってくるのを部屋の前で待っていた中田山は、隣の部屋の住人依子に誘われて、隣の部屋で彼女のまりを待つことになる。依子は関ちゃんという女性と同居していて、なんだか仲があまりよろしくない模様。まりが帰ってきたけどご飯を一緒に食べようと誘われる。
書きかけ、ずっと書けてない、、


○フーイズマリコ
結婚を控えたカップルがイチャイチャしながら眠りにつき、女がふと起きると男が寝言でマリコと喋る。マリコって誰よと起こして問いただすも男は本当にマリコに心当たりがない、マジでない、困った。
書きかけですらないが何時か書く。


6、風景を描く感覚。
萩原朔太郎の月に吠えるの朗読を聞いて、脳内をキャンパスに声という絵の具で風景が描かれる感覚に感動した。
文字で読むだけだと分からない、声になって描かれる風景を、演技から生まれる言葉で描こうとしている時期。


○行人日記
https://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2020/10/29/202718

夏目漱石の行人の主な物語を現代に移行し、ビデオレターという形式を使った四人のモノローグリレー。
今までしてきたモノローグの一旦の集大成感がある。
人間劇場第一回公演で上演。


○何処ツ何時ツ
https://gikyokusyu.hatenablog.com/entry/2021/02/22/212009

井筒を原作にした、老人ホームに入所する現代の老婆が自分の懐かしさを探す旅。
夢を描くように頭の中ぐちゃぐちゃになって書いている。
人間劇場第二回公演で上演。


以上現在。
2021年2月。