稲垣和俊戯曲集

戯曲集をここに。

多分、会えなくなるであろう君へ

多分、会えなくなるであろう君へ
 
最後の言葉を探さなければならない
さようなら
違う違う
そんなちんけな言葉じゃないのだ
君へ
また何処かで会えるかな
そんなわけないそんなわけない
そんなわけないのだ

いつだって君には失望している
実を言うと 
いつだって
君の体は汚らしい
うっすらと生える体毛
いたるところにあるブツブツ
君の体のラインはわたしが最も欲している体ではなかった
初めて陰毛を見たとき、初めて陰毛を見た時のことを覚えている
必死で抜いた
必死で必死で
しかし君は生えている
痛かったろうに痛かったろうに
 

ごめんね
耐えられなかったのだ
ごめんね
恥ずかしかったのだ
ごめんね

ああ、眠れない
こんなに眠れないのは久しぶりだ
瞼を閉じても閉じても、あの感覚に陥らない
あの感覚
フワフワとした雲に乗っているような
真っ暗な世界の中でわたしがいるベッドだけがクルクル回っているような
あの感覚が懐かしくなってくる
 

眠ろう眠ろう

世の中は弱肉強食を鉄則としている
スポーツの世界においては勝者よりも敗者の方により拍手が送られる例をまま見受ける
実社会においてそのような甘っちょろい考えは通用しない
敗者は勝者の餌食となって滅びるしかない
では社会の勝者とは何か
それは、より高度の知的能力、平たく言えば、より高い学歴を身につけた者である
学歴社会を批判することは優しい
しかし、その学歴社会を改革するために
まず自らが高度の学歴を得て社会の指導的立場に立たなければ所詮は弱者の遠吠えとして終わるのだ
社会の勝利者たれ
これがわたしの贈る言葉である
君は勝者ですか、敗者ですか

敗者です
間違いなく敗者です滝沢先生
なんてったってこの長い夜を終わらせることができない、まず一点
そしてこの言葉に沿うならば、学歴社会に秀でることはなかった、もう一点
そしてあの時の山崎かよのように、何かに心から打ち込めることはなかった、また一点

心から
心から

君はベッドの端に座り
君は少し空いた窓に向かい
君は網戸を吹き抜ける風を感じ
君は満月を眺めてる
君は満月に帰ろうとして窓に手を掛ける

最後の言葉を探さなければならない
多分、会えなくなるであろう君へ

さよならの言葉に変わる言葉を見つけなければならない

ああ、眠たい
わたしが眠ろうとするのを邪魔するのは誰か
心地よい風
ほどよい毎日の疲れ
洗濯したばかりのシーツにわたし的には丁度いい高さの枕
丁度いい温度丁度いい時間丁度いい腹八分目に丁度いい1日の思い出

わたしが眠ろうとするのを邪魔するのは誰か


まず蚊
多分、蚊
絶対、蚊
蚊がわたしの眠りを邪魔する
あいつはわたしの耳元をぷーんと飛ぶから
そのプーんて音はとてつもない程の不快感があるから
あいつがわたしの腕にとまったせいで、あいつがわたしの腕にとまっていなくても、あいつがわたしの腕にとまったと思い込んでしまい、あいつを叩き潰そうと腕を叩き、しかしあいつの遺体はない、錯覚か、パジャマや布団や髪の毛が腕に触れてただけか、しかしあいつがいたような気もする、いやいたんだよ
あいつはいるのかいないのかわからない
いやいるから
だから
あいつのせいだ
あいつのせい
あいつはいるのかいないのかわからないから
あの時
あの時も君は何も言わなかった
いや言ってた
なんか言ってた気がする
でもどうでもいいことだったんだろう思い出せない
なんてったっているのかいないのかわからない存在なのだから

思い出した
なんか言ってた
確か、「ツライ?」って聞いてきた
「どう思う?」って聞いたんだ
そしたらしばらく無言だった
何分後か何十分後かは覚えていない
炊飯ジャーぐらいの河童の銅像がすぐ近くにあるらしいから見に行こう的なことを言ってたんだ
行くかボケって冷静に思ったんだ
その後もまだいっしょにいたのかどうか

プーんて残り香みたいな音はあった
君はいるのかいないのかわからない存在なのだから今も
たった今も
いや、いる
確実にいる
プーんてした気がする
いいじゃない
本当に別れるってことで
偶然会うなんて考えないわたし
下北沢に会いにだって来ないし
別れたら来ない
そういうとこわたし
多分一生来ないと思う
何年も経っても
井の頭線小田急に乗っても
下北沢にはもう降りないわ
わたし
東京の地図の中で
下北沢は永遠に抹消
人が別れるって
そういうことじゃない
そういういうことって下北沢には降りないってこと?
人が別れるって下北沢にはもう降りないってこと?
だとしたら完全に別れられるわけない
だって下北沢に用事があったら?
そりゃあ降りるよ下北沢
古着とか買うよ下北沢
でも本当に別れるのだとしたら下北沢は永遠に抹消
しもきたざわという5文字を完全に忘れ
下北沢という単語なんてなかったかのように思えたら

しもきたざわ

忘れられない
意識してしまう限り考えてしまう
ああ、眠れない
わたしは眠らなければならない
わたしが眠らなければならない理由
明日へのエネルギーを蓄えるために
なんてったって、寝なきゃ明日を動ける気がしないから
なんてったって、寝なきゃ明日に働ける気がしないから
わたしは働かなければならない

生きるために
イコール眠る
イコール明日への活力
明日への活力のために

ああ、眠れない
こればっかしは意識の問題であると言い切ってしまおう
寝よう寝よう思うから眠れないのだ
しかし寝よう寝ようは離れない
はっきりと寝よう寝ようが身体中を満たしてる
しもきたざわ
そう
この感覚
ふっと手を振る感覚
気楽に別れを告げる感覚
後腐れなく
明日に何も待ってかない感覚
さようなら
そう
この感覚
君はいつだってわたしを忘れているから
ともするとわたしが存在しないかのように振る舞うから
大都会に投げ捨てられた空き缶のようにわたしは1人をもてあそぶ
でもわたしは存在してるじゃん
ここにいるじゃん
いつも何事もなく去ってくのはやめてください

君は何も知らない
君は何も知らなかったことにする

羊が一匹羊が二匹羊が三匹…
わたしが眠るためにできること
羊を数えること
羊が…匹羊が…匹羊が…匹…
わたしが眠るためにできること
意識しないこと
羊が…匹羊が…匹羊が…匹…
意識しないこと

君は一歩ずつ歩く
その歩幅は一定ではなくバラバラで
その足跡には迷いがない
網戸越しの月
月ってこんなに丸かったっけ
月ってこんなに黒ずんでたっけ
体に黒ずみが増えてきた

そして夜は明ける
君はさっそうと去って行く
でもその前に
わたしのことをちょっとでいいから考えてください
ほんの5秒でいいですから
1,2,3,4,5,…6

さようなら
そろそろさようなら
でも君は何も知らない
わたしがここでさよならと言うことすら知らない
違う世界を生きてしまったのか
わたしは存在しないのか

君が知らない世界から君にさよならを言うことはなんになるのだろう

多分、会えなくなるであろう君へ
さよならの代わりの言葉は見つからない

多分、私たちは明日を何事もなく迎えるのだろう
多分、私たちは明日に何事もなく出会うのだろう
多分、私たちは明日に何事も持ってけないから
でもわたしは絶えず死に続け、君は何度も生まれ変わってく

わたしは君にさよならを言うけれど、君は別れがあることにさえ気付かずに歩く

君の体は汚らしい
汚らしい体が羨ましい
 
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